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5-38 ハートレス

 黄泉路が美花の救命活動に勤しんでいる頃。

 白塗りの地下回廊を、ずり、ずりという何かを引きずるような鈍い音が蠢いていた。

 痛みきった金髪が蛍光灯の灯りに照らされて揺れる。

 その青年の表情は絶え間ない激痛を堪える為に歪み、瞳には恐怖と安堵、そして怒りが渦巻いていた。

 首から下げられた自慢の高品質ヘッドフォンからの音すら、今の青年にとってはひどく邪魔な存在に感じられていた。

 折れ曲がった指を庇うようにして壁伝いに歩く様は憐憫を誘うものの、この施設においてかの青年――心蝕者に同情するものはいなかった。


「ぐ、そ……あの、やろう……ぜってぇ、殺す、殺す、ごろず……っ」


 痛みに歪んだ口の端からは血の混じった涎が垂れ、吐き出される怨嗟の声だけがむなしく廊下の空気に溶けて消えていた。

 はじめこそ、あの場から速やかに逃げ出さなければという恐怖と、痛みが永遠に続くかもしれないという不安に押しつぶされそうになっていた心蝕者であったが、一向に黄泉路が追いかけてくる様子がない事から、命乞いをしていたときとは一転し、すでにその精神性は元のものへと回帰していた。

 ゆえに、湧き上がるのは現在も自身を苛み続ける理不尽な痛みと、それを与えた黄泉路に対しての憎しみが胸中に渦巻く。

 敵対者の末路をどうするかという思考に耽る事で心蝕者は苦痛から逃避をしていた。

 やがて、心蝕者の壁伝いに触れていた手が扉に掛かる。

 それは心蝕者が求めて止まないものであった。


「や、っと……かよ、くそが……それも、これも、アイツの所為だ……」


 折れた足の指は歩くたびにズキズキと痛み、そう長くない距離を歩くだけで額に脂汗を滲ませた心蝕者は扉の先の螺旋階段を慎重に上った。

 だが、上りきる直前、出口である隠し扉の蓋が、どうやっても自身の片腕の腕力では開けられない事に気づき憤慨する。


「がああああ!! くそがっ!!!! どうしてどいつもこいつも俺っちの邪魔しやがるんだよくそがああああ!!! おい、魔女(・・)!! いるんだろ!? 開けろよ!!!!」


 黄泉路に気づかれるかもしれない。

 そんな思考はもはやするりと抜け落ちた心蝕者が吠え立てれば、程なくして隠し扉の向こう側から呆れた様な女性の声音が返ってくる。


「騒々しいやつだな。それほど騒がずとも聞こえておる。男の癖にその程度の扉も開けられぬとは悲しい奴め」

「うるせぇんだよさっさと開けろ!! 俺っちが怪我したのもテメェが助けに来ないからだろうが!」


 扉がぎぃっと、久しく使われていないであろうことを示す音を奏でながら開かれれば、そこは孤児院に併設された教会の中であった。

 祭壇の裏手側から這い出してくるなり文句を喚き立てる心蝕者に、心底辟易した様子を隠しもしない少女が、いくつも並べられたベンチの背に腰掛けながら迎える。

 その少女の髪はステンドグラスから差し込んだ月光によって白銀に輝き、艶やかな髪を象徴するようにエンジェルリングが浮かんでいた。

 ある種の神々しさすら纏っている少女の首から上とは対照的に、少女の服装は奇抜そのものであった。

 というのも、黒を貴重としたゴシック&ロリータ風の衣装に赤いリボン。極めつけは、じゃらじゃらとこれでもかと髑髏型のシルバーアクセサリーを身に着けている事だろう。

 なまじ顔やスタイルがいいだけに、衣装のセンスだけが飛びぬけて悲惨に見えるが、当の本人の立ち振る舞いでそれすらもありだと思わせるような、ある種の風格を漂わせていた。

 左右で違う金と赤の瞳が心蝕者の疲弊した顔をじっと見据え、それからややあって、やれやれと首を振りながら指先を心蝕者へと向ける。




【我は万能、我は不滅、傷などいらぬ、我こそ完全の体現者。全ての瑕疵よ、我が前より去れ。 ――《万障廃する蛇の指輪(ヒールリング)》】




 呟いた少女の指先から光が溢れる。

 それは一瞬だけ蛇のようにうねり、心蝕者の手足を包んだかと思うと、次の瞬間には錯覚だったかのごとく消えうせた。

 だが、決して錯覚ではない。それは心蝕者自身がよく理解していた。


「ほれ。傷とやらならもうないぞ」

「……ったく、酷い目にあったぜ。ちくしょうあのクソ野郎……」

「呆れた奴だ。礼を失するにも程がある。悪態よりまず先に感謝すべき相手がいるのではないか?」

「あァ? そもそもテメェが俺っちをすぐに助けに来なかったからこんなことになったんだろうが!」

「はて。我は既にしかと忠告したはずだぞ? 火傷せぬうちに本筋に注力するようにとな」


 少女が肩をすくめた拍子にじゃらりと鎖が揺れる。

 それは数珠繋ぎのように繋がった銀の髑髏がこすれあう音だ。

 明らかに装飾過剰な少女の吐く正論に、心蝕者は額に青筋を浮かべながら唾を散らす。


「うるっせぇんだよ、だいたいテメェが途中で引き上げたから俺っちがせっかく洗脳したガキ共が全部奪われちまっただろうが!」

「途中で引き上げるも何も、貴様が我の力を借りたいからと、悪の研究所の職員の殺害を依頼したのではないか。我はしっかりと仕事をこなしたぞ」


 それにな、と。魔女と呼ばれた少女は続ける。


「貴様は確かに我に、『悪の研究所に囚われた(・・・・・・・・・・)少年少女を(・・・・・)解放するため(・・・・・・)』と言っていたな?」

「だからなんだってんだよ」


 魔女の声音がさっと低く、重いものへと変わった途端。

 ふわりと魔女が宙へと浮かび上がると同時に、教会の背景が捩れて歪む。

 まるで景色を、空間そのものを握りつぶすかのように歪曲した背景を背負った魔女が、心蝕者を見下ろしながら告げる。


「――貴様が我を謀ったということだ」

「なっ!?」

「貴様は先ほど言ったな? 我が手助けせぬから、『洗脳したガキ共が全部奪われた』と。……そもそも貴様の話では子供には手を出さないという話ではなかったのか?」

「そ、それは……単なる言葉の綾で――」

「見苦しい言い訳など聞きとうない。ようは貴様も先の施設の悪漢と同じく悪であったという事で相違あるまい。ならば我が下す審判は一つ」


 魔女の周囲が歪む。それは夜の暗さではなく、それより先に光が存在しないという闇そのものが顕現したような、そんな非常識な空間が発生しては消えてを繰り返す。

 心蝕者はその光景をよく知っていた。

 何故ならば、その力こそが、地下施設の職員を鏖殺した、異常現象そのものなのだから。


「我は遍く悪に終わりを告げる者――」

「あ、あ……ああ――ッ」



【星よ星、光を捕まえる黒き凶星(まがつぼし)、我が手を辿り、そなたの亡くした熱を埋める手伝いをさせておくれ。我が手示す先は我が敵の熱、手繰り巡り辿り着く星の旅路、その末尾を彩っておくれ。 ――《黒より黒き至る死の星(ダークスフォーム)》】




 少女の詠唱が終わる。

 あわせたように明滅を繰り返していた闇が、ふっと、心蝕者の胸元に現れ――室内に暴風が吹き荒れた。

 それはさながら竜巻のようで、しかし、その風の向きはただひたすら、心蝕者の胸の前に留まった闇へと向かっていた。


銀冠の(クラウン)……(ウィッ)――」

「迅く、消えよ」


 引き寄せる力に負けて、心蝕者の足がふわりと浮き上がる。

 刹那、際限なく周囲を飲む闇に触れた心蝕者の腕がぐじゃりと潰え、鮮血が舞う暇もなく闇へと飲まれてゆく。


「ぐげ、げががががぁぁあぁああぁあ!?」


 心蝕者の声すらも飲み込んで、闇が収束する。

 一変して災害があったといわれても納得してしまうほどに荒れた教会の中に静寂が戻れば、銀冠の魔女は重力を感じさせない柔らかな足取りで宙から舞い降り、心蝕者のあった場所へと立った。

 魔女と呼ばれた少女の瞳に感慨はない。まるでそこに何の意味も、興味も見出していない様な無機質な淡白さでもってただ瞳に映る光景を処理しているようであった。

 彼女にとって大事なのは、自らの志を共に出来るかどうか。敬意を払うに値する者かどうかであり、コードネームとはその証左であった。

 だが、心蝕者という存在は、自らの言葉によってただの数多いた悪のひとつへと成り下がった。


「我を利用しようとするなど、驕りが過ぎるぞ。心蝕者――いや、百々森透(とどもりとおる)。貴様の真名など覚えるに値せぬ。ではな」


 故に魔女は“心蝕者”ではなく、“百々森透(そのたおおぜい)”と呼んだ。

 少女が再び何事かを呟くと、その姿はまるで景色に溶ける様に消える。

 後に残されたのは大破した大量のベンチの破片や祭壇の残骸、途中でねじ切れて放り出されたヘッドフォンの端子。

 心蝕者という青年の姿は、この世のどこにも残されていなかった。

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