5-36 ハートフル23
黄泉路は机を飛び越える勢いで駆け寄り、美花を抱き起こす。
浅く上下した胸元を一瞥し、ひとまずは安堵の息を吐いた黄泉路であったが、美花の救命と本来の依頼――子供達の保護――のどちらも自分ひとりでやらねばならないという事を思い出す。
混乱によって空転しそうになる思考を落ち着かせるべく、まずは何をすべきかの優先順位を整理する。
「(……子供を運ぶにしても、意識がないままだと手間だな……まず、美花さんの手当て、傷を見ることが先決かな)」
黄泉路は美花の傷口を見るべく、悪いとは思いつつも人命優先と言い聞かせ、黒ずんだ液体を吸ったジャージのチャックに手を伸ばす。
「(ごめんなさい、でも、助けるためだから……)」
ジャージの下は幸いタンクトップを着ており、それをずらすだけで腹部の傷は見ることが出来た。
慌てて手近なもので止血しようとした黄泉路は、その傷口の違和感に気づく。
「……弾は――貫通してない……でもこれならまだ暫くは大丈夫かな」
自身が幾度となく撃たれた事があるからこそわかる。自動拳銃の弾丸がこの位置に着弾していてこの程度の出血ならば、致命的な血管は傷ついていないと確信していた。その上で懸念材料があるとするならば臓器関係になるが、それはこの状況でなかったとしても素人の黄泉路には手をつけようがない。
今はただ、美花の生命がすぐすぐ途切れてしまわないという事だけが黄泉路を安心させ、冷静さを保たせていた。
「(……よかった。美花さんが生きてて……。でも、あまり悠長なことは言ってられない。速く美花さんを外に連れて――病院?いや、薬研さんに。迎えは姫ちゃんに……頼むには――)」
順を追うように美花を助けるための手立てを考え、病院に連れ込むという真っ当な手段を思いついた直後に否定する。
それはそうだ。この日本において、銃で撃たれたなどと担ぎ込めばおおごとになるのは必至、加えて事情の説明も出来ないとなれば普通の病院は望めまい。
あとは芋づる式に、美花を薬研の下の運ぶ方法と、その連絡手段とを思い浮かべ、ふと、黄泉路の思考が止まる。
「あ、れ……標ちゃん、さっきから繋がってない?」
当初、施設に入る直前までは通じていたはずの念話。だが、この施設に入ってからというもの、彼女のキンキンと脳内に響く音声は聞こえなくなって久しい事に気づく。
それから慌てて標へ向けて呼びかけるも、応答する気配がない事に不安が膨らむ。
「(何でだ、どこから聞こえてなかった? 何が原因――いや、そうじゃない、今はそれより美花さんを運んで――)」
「ん……」
「っ!?」
美花をどうすべきか、そればかり考えていた思考が、不意に上がった声によって中断される。
そこでふと、自身が説得した心蝕者を放置していた事に気づき、その姿が消えていることに焦った物の、黄泉路の意識はすぐに別のものへと移り変わった。
「うーん……すごく嫌な夢……だった、ような……」
頭を摩りながら起き上がったのは、検査衣を纏った少女。
黄泉路が最後の最後に心蝕者が能力を解除したかどうかの試金石にした、その少女であった。
「眼が、覚めたの?」
「え、誰? ……ひぅっ!? ち、ちちちち、血まみれ、大怪我して、だ、だいじょうぶですか!?」
「あ、いや。これは僕じゃなくて……」
「ひぁああ!?」
「とりあえず、事情を説明するから落ち着いて。このお姉さんもちゃんと生きてるから!」
「そ、そうです……か?」
取り乱した少女を落ち着かせるべく、あえて語調を緩めて柔らかく笑いかければ、少女はとりあえず黄泉路の言葉に耳を傾ける気になったらしく、困惑しつつも口を閉ざして黄泉路の説明を待った。
「(洗脳は解けてるみたいだし、子供達はこの子に起こして貰って、僕は美花さんを運ぶか)」
ちらりと少女へと視線を向け、美花を気遣いつつ抱える準備をしながら、今回の事件と自身の目的を手短にかいつまんで説明する。
「じゃあ……お兄さんたちは私たちを助けに……?」
「端的に言うとね。もう君たちで実験なんてさせないよ。さぁ、動けるかい?」
「はい、ありがとう……お兄ちゃん」
「お礼はここを出てからね。君は他の子を起こして貰える? さすがに僕一人だと運べないから」
「わかりました!」
「ここに居る皆が起きたら、とりあえず他の子が寝てる場所まで行こうか。一箇所に集まってたはずだし、そろそろ眼が覚めてるといいんだけど……」
言いつつ、美花の身体を揺らさぬように姫抱きにした黄泉路が立ち上がれば、一瞬だけ眼が合った少女はぽうっと顔を赤らめて、すぐにハッとなり倒れている少年のほうへとかけてゆく。
「おきて、陽太!! 陽太ってば!!」
「うが――っ痛ぇ……なんだよ谷内ぃ……叩くなっつーの。なんか頭ジンジンするし気持ち悪ぃ……」
「そんなことはいいから!陽太も千佳と賢を起こすの手伝って!!」
「な、なんだよ、どうしたんだよ」
「詳しい説明は後! このお兄ちゃんの言うこと聞いて! 私たち助かるんだよ!!」
「……よくわかんねぇけど。わかった! おら賢起きろー!!」
途端に室内が騒がしくなり、反響した子供の声に美花の眉が僅かに動く。
そんな光景に黄泉路も口元が緩むが、腕にかかる美花の重みが気を引き締めさせ、子供が一通り眼を覚ましたあたりで声をかけた。
「皆、そろそろいいかな。他の子が集まってる場所に戻ろうと思う。付いて来て」
「わかったよ兄ちゃん。皆もそれでいいな?」
少年と少女の声が唱和したのを確認し、子供達間を抜けて美花を抱いた黄泉路が廊下に出る。
その後を追って歩き出した子供と共に、黄泉路は実験区画を目指すのだった。