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5-30 ハートフル17

 部屋唯一の出入り口のかすかな開閉音に気がついた瞬間、美花の意識はすっと警戒態勢に入っていた。

 如何に精神的に取り乱していたとして、敵地で油断しきるほど美花の中に染み付いた経験は温くはなかった。

 否、本来ならば、敵地でこうしてへたりこんでしまっている事自体がありえざること、であった。

 それだけ今回の出来事が美花にとってショックだったのだと、当の美花本人ですらある種の驚きを抱く程の事態であった。

 故に美花は判断を誤る。

 ここですべきは、警戒などではなく(・・・・・・・・)不意打ちでの制圧(・・・・・・・・)だったのだと、思い至ることが出来なかった。


「よーぅ。美人ちゃん。いい感じに元気がねぇなー? ははっ。俺っちとしてはそっちのほうが楽で良いから万々歳ってヤツなんだけどな」

「……」


 入ってきた軽薄そうな笑みを浮かべた青年の存在を問うよりもまず、真っ先に目に入った虚ろに佇む4人の子供を美花の目が捉え、相手の正体に思い至る。

 倒すべき敵と相対したことで自らの揺らぎを押し殺した美花はすばやく戦闘態勢に入りながらも、自分が置き去りにしてしまった仲間――黄泉路の事へと意識が逸れる。

 子供を囮にしてあの場所に呼び込んだという事実から、美花は目の前の青年、心蝕者がこの手の能力者に多い用心深い暗躍を得意とするタイプだと推測し、ならば何故自分のもとへと態々姿を現したのかをすぐさま理解した。


「まず私、か?」

「へぇ。獣女のクセに頭は回るんだ。でも残念、お前で最後だぜ」


 帰ってきた言葉の意味を理解しようとし、美花の思考が一瞬止まる。

 なぜならそれは、この施設へ突入したもうひとりの存在、美花が置き去りにしてしまった少年は――


「嘘。事実ならお前は黄泉路を私の前に立たせるはず」

「信じたくない気持ちはわかる。すっげーわかる。でも現実なんだよなぁ。いやもうアイツまじでチョロすぎ。今頃夢の中で俺っちの駒になれるようにじっくり締め上げら(りょうりさ)れてるぜ」


 心蝕者の返答を聞くが早いか、美花はその身のこなしでもって机を飛び越え、心蝕者へと迫る。


「そう。ならその前にお前を倒せば良い」

「だろうな! 弱ってる獣女だからって油断するわけねぇだろ」

「く……」


 踏み込み、あと数歩で拳が届くという距離でありながら、美花の腕は空を切った。

 間に割り込むように滑り込んできた少年によってこれ以上前進することが叶わなかったからだ。

 美花に好き好んで子供をいたぶる趣味はない。実験区画での制圧は能力者が見当たらなかったからこその早期解決の手段でしかなく、目の前に原因があれば態々子供を殴ってまで最短距離を進もうとは思えない。

 それが美花という人間の在り方であり、今は輪をかけてそうあろうとしている節があった。

 子供を制圧すれば、確かに目の前の敵をしとめることは容易になるだろう。だが、それを実行に移そうかと脳裏によぎるたびに、セットとなって実験区画での黄泉路の蒼白な顔が浮かんでしまう。

 怯えた瞳の幻影が美花を締め上げ、獣化すれば容易に、暴力を振るうことなく操られた子供たちを振り切って心蝕者を仕留められるにも関わらず、美花は人間としてその場に立っていた。


「はははっ、変身しねぇの?」

「うる、さい」

「まぁいいさ。俺っち毛深い女は好きじゃねーし、美人のまま人形になってくれるっつーんなら大歓迎だ」


 乱戦から一歩引いた位置から煽る心蝕者を苛立たしく思う反面、挑発に乗る必要はないと自らの理性で歯止めをかけ、美花は入れ替わり立ち代りに掴みかかってくる子供の手をすり抜ける。

 美花の目指す場所が明白であることが心蝕者にとって大きなアドバンテージとなっていることは、当然美花も理解していた。

 心蝕者はすくなくとも戦場における指揮者としての技能は持ち合わせているらしく、距離をつめようとする美花の前には必ずあと一歩の所で子供の妨害が入ってくる。

 しかも、元々の室内が狭いことも合って、子供の身体能力であっても4人でカバーすることで美花を囲い込むように陣を形成し、虚ろな八つの瞳が美花の獣めいた視線と幾度となく交錯する。


「粘るなー。俺っちダルくなってきたし、そろそろおとなしく捕まれよ」

「断る」

「んで? まだ続ける気?」


 心蝕者が面倒臭そうに欠伸をする。どうやら自身は能力を維持することにさほど負担は掛からないのだろうと理解すれば、いくら自身の肉体が大幅に強化される能力を持っている美花であっても、先に力尽きるのは自身であると理解出来てしまう。

 とん、と。軽くステップを踏み、此処へ来て初めて美花は心蝕者から――子供たちから距離をとった。


「たしかに、面倒なのは私も同じ」

「だからあんたが諦めれば――」

「もういい」

「うん?」

「もうお前の底は見えた」


 タン、という軽やかな足音。

 それは人体が宙へと舞い上がった音だ。

 美花がすぐ背後にあった机へと飛び乗り、それを足場に大きく跳ぶ。獣化していなくとも、戦場に身を置いてきた猫を思わせるしなやかな身体は空中でしっかりと目標を見定め、前衛をつとめていた子供ふたりの背後へと着地し、的確に脳を揺らし、意識を刈り取る。

 そのまま、常に美花と心蝕者とを隔てるように、心蝕者が自身の防御の為に使用していた子供ふたりの並ぶ位置まで一足で駆け込み、みぞおちとあご、それぞれ1発ずつ綺麗に打撃を加えることで室内に再び静寂の波が訪れた。

 動くものが美花と心蝕者だけとなった室内で、心蝕者のヘッドフォンから流れる洋楽だけが場違いな軽快さを奏でていた。

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