5-29 ハートフル16
ぼんやりとした意識が覚醒へと向かうにつれて、黄泉路は現実的な自身の身体の重さを再認識し、その身体が床に転がされている事を理解する。
うっすらと開かれた目に映る、薄暗い室内。
意識を失う前とさほど変わらぬ室内の様子に、さほど時間は経っていないのだろうかと思うのも束の間、立ち上がった黄泉路は室内に視線をめぐらせる。
「――あの人は」
【傷心】と呼ばれる能力を持ったヘッドフォンの青年の姿を探すが、意識を手放す前と比べ、モニターの大半が消灯してしまっているが故に室内を見通すのに苦労してしまう。
室内の明度は黄泉路が踏み込んだときよりも暗い。意識を失っている間に青年が消したと考えるのが妥当だろうと推測していた黄泉路は、唯一明かりのともったモニターに視線をとめる。
心に多大な動揺を生み出した例のループ映像、それだけが操作する主を失ったらしい今でも延々と同じ部分を繰り返しているのをじっと見つめ、ややあって小さく首を振る。
「もう迷わない。大丈夫。僕はもう、怖くない」
既に行うべき優先順位を定めた今となっては、その映像はまた違ったものとして受け入れることが出来る。
繰り返されている映像は、美花が、手早く子供たちを無力化しようと努力した結果だ。
頭を切り替え、まずは室内の電気をと、暗闇に慣れ始めた目を凝らしているうちに、床に放り出された衝撃でカバーがはずれ、電池が飛び出したリモコンに目が止まる。
電池を入れなおし、幾度かカチカチとボタンを操作すれば、蛍光灯がヴゥン……とガラスに曇った振動するような音を響かせて部屋を照らす。
一気に見やすくなった室内に、先ほど同様に潜んではいないかと人影を探すが、元々期待薄だっただけに黄泉路はすぐに次の行動――モニターの点灯の為にボタンを操作する。
「(僕を仕留めたと思ってる、なら、次は美花さんの所へ向かうか、子供を連れ出すか。どっちにしても、これだけの数のカメラの死角には入れないはず)」
カチ、カチ。
静寂にボタンを操作するかすかな音だけが響くこと数秒。
設置されたカメラの数に対してモニターが足りていないのか、いくつかのモニターはボタンによってカメラを切り替えられる事に気づいた黄泉路は、子供達を監禁していた個室を映していたカメラを切り、代わりに通路や実験区画等の、子供を集めて置けそうな場所や、美花が進みそうな場所へと映像を合わせていく。
やがて、色彩が統一されていることで逆に目に悪そうな白一色の景色の中に、ぽつんと別の色が映る画像に切り替わる。
「見つけた!」
映し出された映像は、どうやら黄泉路と美花が別れてしまった研究区画から程近い職員用の研究室のようであった。
室内の見栄えなど気にする様子もなく壁面の一部を埋める資料が収まった戸棚に、ただ機能さえ果たせばいいといわんばかりの簡素な机が元々の部屋の主の気質を表すような空間、その中を、茶髪の女性が肩を抱いて座り込んでいた。
無事だった、そう安堵する気持ちと、早く会いに行かなければという気持ちが混ざり合い、思わず手元が滑ってリモコンが床へと落ちる。
固い床に落ちた弾みにどこかボタンが押されたのだろう、黄泉路の見ていたモニターのすぐ隣が別のカメラへと切り替わり、また別の異物が映りこむそれに、黄泉路は再び目を奪われる。
ソレを見た瞬間、黄泉路はモニターに背を向けて部屋から飛び出し、美花のいる研究室の方へと駆け出していた。
「(間に合え、間に合え、間に合え――)」
息を止め、身体を動かす。足音が響くのも構わず――むしろ、近づいていることを知らせる様に――廊下をひた走る黄泉路の足元で、赤い塵が僅かに舞う。
次の瞬間には幻のように空気に溶けて消えるそれに、黄泉路が気づくことは無かった。
◆◇◆
白塗りの廊下を悠々と歩くスニーカーの音と、それに追従するぺたりぺたりという歩幅の短い足音がまばらに響く。
天井からの光源で作られた影は7つ。うち6つは前後にあり、それらの影は小さいものだ。
そんな中にあって、人影の中心に立つ靴音の発生源である大人サイズの影だけが、時折リズミカルに頭を揺らす。
「――」
音楽に合わせて鼻歌交じりに歩く青年のヘッドフォンからは絶え間なくシャカシャカと激しい音が漏れるが、咎めるものはいない。
皆一様に、ただ歩く、その行為だけを忠実にこなすような無機質さを感じさせる行進を続ける光景はある種の不気味さを感じさせる。
「よし。止まれ」
青年、心蝕者が一声かければ、うつろな目をした少年少女が示し合わせたかのようにぴたりと足を止めてその場で直立不動となった。
「……じゃ、そこのお前とお前。ここで立ってろ。俺っちが呼んだら来い。残りは俺っちについて来い」
適当に前にいた3人のうちふたりを心蝕者が指名すれば、言葉ではなく行動で忠誠を示すように、一行が立ち止まった部屋の前、扉の両脇を固めるように立ったまま動かなくなる。
外を警戒する理由は心蝕者には思い当たらない。故にこれは、どちらかといえば室内にいる標的に対しての保険の意味合いであった。
「獣女と対面と行くとするか。バケモンの顔してなきゃ美人だったし、あのガキが下拵えしてくれた分しっかり味わってやらねぇとな」
ヘッドフォンを首にかけ、漏れて来る音楽を聞き流しながら、心蝕者は軽薄な笑みを浮かべたまま扉に手をかけた。