5-22 ハートフル9
地図では確かにただの通路であったはずだと、自身の記憶と目の前の現実を天秤にかけたものの、すぐに、何の手がかりも無く彷徨う事に疲れた気持ちが上回る。
隠されていたということは何か重要なもののはずだという、自らでも薄いと自覚のある根拠を旗頭に踏み込んだ黄泉路は、ふと、先ほどまでは壁だった部分が、今は何の変哲も無い鉄製の扉に挿げ替わっている事に気づく。
「……僕が扉に気づかなかった? いや、でもさすがにそれは……」
ないよなぁ、と、首をかしげ。やはりここには何かがあるという期待を胸に、扉から視線をはずして奥まった通路を進んでゆく。
程なくして廊下も終わり、突き当たりに観測室と印字されたプレートが取り付けられただけのデザイン性の欠片も無い、機能性だけでつけましたといわんばかりの扉が現れる。
「観測……モニタールームとか、そういうのかな?」
実験施設だけに、観測するのは実験区画の中だけの可能性もある。施設全体の監視や防犯を目的とした部屋であれば良かったのにという思考が頭を過ぎるが、すぐに無いものねだりだと自身の思考を打ち消して黄泉路は扉に手をかける。
何の抵抗も無くすんなりと開いた扉の隙間から、そっと中を探るように覗き込んだ黄泉路の視界に映るのは、いくつものモニターの明りだけが室内の光源となっている仄暗い個室だった。
どうやら施設の電源が生きているのと同じく、この部屋の装置は生きたままであったようだ。
見える範囲内に人影が無いことを確認した黄泉路が室内へと入れば、覗き込んだときよりも開けた視界に部屋の全景が入ると共に、いまだ稼動しているモニターに映し出されている光景はこの施設の中の一部分であることがわかる。
「(……やっぱり、施設全体を監視するのが目的の部屋じゃないか)」
主に映されているのは子供たちを収容していただろう、こじんまりとした簡素な個室。
そのほかには、先ほどのような実験区画のものなのだろう、黄泉路はまだ未見ではあったが、かつて自身が連れまわされた東都収容所の実験区画に酷似した内装であったこともあり、すんなりと納得する事ができた。
納得と共に、そんな事が一目でわかってしまう程度にはあの場所の記憶は根深いのだなと思うと苦いものが込み上げて来るものの、ぐっと飲み下して気付かなかった振りをしてモニターを追って目を動かしてゆく。
映像であるにもかかわらず動きは無い。動くべき存在がこの施設に存在しないのだから当然といえば当然なのだが、ずらりと壁面に並んだモニターの多くが一見しただけでは同じ部屋を何台ものカメラで映している様にしか見えないこともまた、無言の圧力めいて黄泉路の心の内にほんのりと影を落としていた。
「……?」
そんな中、黄泉路はふと、室内の明度の変化に気付いて眺めていたモニターから視線をはずす。
天井に目を向けかけるが、すぐに天井の明りではないと理解した黄泉路は、ならばとこの部屋に入ったときから唯一の光源として機能していたモニターに変化が無いか、先ほどよりも多少明るくなった方を注視する。
黄泉路から見て左手側。室内を覗き込んだ際には見えていなかった壁面に並んだモニターのひとつが、とある光景を――動きのある映像を流していた。
詳細を見ようと近寄った黄泉路が、内容を理解すると同時に頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けたのは同時であった。
「――ッ!?」
他の映像とは違い、そのモニターだけは過去の録画を再生していた。
すぐにそう確信を持ったのは、映像の中に他ならない黄泉路自身が存在していたからであった。
衝撃が抜けきらぬまま、黄泉路はモニターから目をそらす事もできず、食い入るように画面の中の光景を瞳に映す。
映されていたのは、先の実験場。
美花がその体躯のままの獣へと変貌して子供たちを薙ぎ倒し、茶色い存在が飛び回るたび、駆け抜ける毎に。次々と検査衣だけの簡素な出で立ちで目を虚ろにした少年少女が倒れてゆく。
青白い顔で呆然と眺めているだけの自分の姿が、画面の前でただ映像を見続ける自分と重なり、視界が明滅するような錯覚に陥る。
やがて動画は美花が黄泉路へと近づいて、黄泉路がそれを拒絶する場面へと差し掛かる。
監視カメラの遠目からでも動揺しているのが手に取るようにわかる美花の仕草に、黄泉路は改めて自身の不甲斐無さと美花を傷つけてしまった事実を突きつけられた気がした。
美花の姿が部屋から消え、ややあってからそれに続いて映像の中の黄泉路が部屋を出てゆく。
そこまで見終えた所でようやく落ち着きを取り戻し始めた黄泉路であったが、いったん映像が終わったかに思えたモニターが再び同じ場面を再生し始めた事で驚きが疑念に変わる。
――何故、このモニターだけが意図的に選んだとしか思えないこの映像だけをリピートするのだろうか。
その疑惑の答えを見出すよりも先に、背後から人肌の何かが黄泉路を抱きしめた。
「っ!?」
「くっそチョロいなお前」
接触している箇所から内側へと侵食するような嫌悪感によって意識が遠のいてゆく中、黄泉路は若い男の声に反応するように首を傾けようと力を振り絞る。
それに伴って拘束を逃れた反動で体勢を崩して床に倒れこむ黄泉路は視界の端で、軽薄そうな笑みを浮かべた青年の姿を捉えていた。
表面から内側へと入り込むような異物感に意識が削り取られてゆく中で黄泉路にできた最大の抵抗であったが、その抵抗も限界であった。
「……み、か――」
床に投げ出されて暗転してゆく意識の狭間で、青年のせせら笑いが聞こえたような気がした。