1-7 メルトプリズン
熱によって溶解された扉がしゅうしゅうと煙を吐き、扉であった箇所に開いた大穴から見える廊下の景色に出雲は目を疑った。
ひしゃげた黒い塊――かろうじてそれが銃器であると判別がつく程度には出雲にとって見慣れてしまったものだ――が無造作に転がされ、鋭い刃物の様なもので切り裂かれた痕が残る防護服の中でぐったりしている研究員が転がっている。
そしてなによりも、溶けた扉を何の躊躇もなくくぐって入ってきた青年の言葉に、出雲は言葉を失ってしまう。
『助けに来た』
そう、確かにそう言ったのだ。
出雲は、自身の脱出願望が幻覚を見せた結果なのだろうか。それとも、やはり自身の限界に来てしまって頭がおかしくなってしまったのだろうかと幾度も瞬きをしたものの、目の前に広がる光景や、そこに立つ青年の姿は一切変わることはなかった。
「……おい、聞こえてるか?」
「え、ぁ……は、はい」
声をかけられ、出雲はようやっと現実に引き戻されたように慌てて声を上げた。
自らの声が若干裏返ってしまうほどに動揺していたことなど気づきもせず、出雲は青年の姿をまじまじと観察する。
施設に監禁されてからの間、白と黒程度しか見ることのなかった色彩に栄える赤色のつんつんと跳ねた硬質そうな髪。
同じ男性として羨ましいと感じる程引き締まった体躯を包む薄い灰色のワイシャツにダメージジーンズという出で立ちも、やはり出雲の目には新鮮に映っていた。
しかし、何よりも出雲の目を引いたのは、その青年の顔の上部半分を覆うほどの、揺らめく炎のようなペイントの施された半月の面であった。
「心が壊れてるってワケじゃなさそうだな」
「……たぶん、まだ正気だと思います」
「それだけ受け答え出来りゃ十分だ」
口元の表情だけでもわかる溌剌とした笑みに、出雲は沈んでいた心が急速に浮上してくるのを感じていた。
「あ、あの……助けるって……なんで――」
慌てて疑問を口にしようとした瞬間、部屋全体がぐらりと揺れる感覚に、重心を保とうとした出雲は思わず口を噤む。
施設そのものを狙い澄ましたような爆発に似た衝撃に、きょろきょろと視線を彷徨わせる出雲に青年が声をかける。
「質問は後だ。陽動班が暴れだしたみてぇだからな。俺たちも行くぞ」
「あの! なんで、僕なんですか?」
踵を返そうとしていた青年の背中に問いかける出雲の声に、青年は首を傾げる様な調子で振り返る。
出雲からすれば、自身をこうまでして助ける必要性のある人物や団体などに心当たりなどなく、また、それだけのことをするだけの価値があるとも思えなかったのだ。
本当は別の人を助けるつもりで、人違いをしているのではないだろうかと思ってしまうほど、出雲の自己評価は低い。
そんな出雲に赤い髪をがしがしと掻きながら近づいてくる青年は、出雲が身を引く暇も与えないほどの手早さで出雲の手を握る。
「お前がここに収容されてたSレートなんだろ?」
「え、Sレート……?」
「……あー。験体番号68、であってるか?」
「は、はい……」
「なら間違いねぇな。俺たちの目的はお前の奪取だ」
「それは――」
「おそい」
なぜ、そう問いかけようとした出雲を遮る様に、青年とは別の声がかかる。
ぎょっとして声のほうへと顔を向けた出雲は溶けた扉の大穴の向こう側、廊下で倒れている研究員に座って出雲たちをじっと見つめる女性と目が合った。
目が合った、といっても感覚的なもので、実際にはその女性も手を引こうとする青年と同じく、お面を被っていた。
こちらはお祭り等で見かけるお面屋で売っているような安っぽい猫のお面というのがまた、出雲を混乱させる一因となってしまうが、いまさらひとつ二つ増えたところでこれ以上混乱しようもない。
こげ茶色の肩下あたりまで伸び、方々に跳ねた柔らかそうな猫っ毛を揺らして立ち上がった女性は、くびれを強調するようなしなやかなボディラインを隠すつもりもないのか、黒のタンクトップにショートデニムという簡素すぎる出で立ちをしていた。
「悪ぃなミケ姐さん」
「カガリ、はやく」
「おう。 ……っつーわけだ、さっさと行こうぜ。ここから出たら話聞いてやっから」
先ほどと違い、柔らかな語気とは裏腹に有無を言わせない調子で手を引くカガリと呼ばれた青年に出雲は従うしかなかった。
元より断るだけの心理的根拠に乏しく、脱出の目があるならばそれに乗じない理由もまたなかったのだ。
二歩目を踏み出した時には、すでに手を引かれるだけでなく自分の足で歩きだし、自力で扉を超えて廊下へと立っていた。
「ま、自己紹介だけはしとくか。俺はカガリだ。お前は? いつまでもSレートだの68号だのじゃ嫌だろ?」
「僕は、道敷。道敷出雲です」
「出雲か。よろしくな」
にっ、と。擬音が聞こえてきそうな程に良い表情を浮かべ引いていた手をそのまま握手に切り替えてカガリが笑う。
ミケと呼ばれた女性が埃を払う様に服を叩きながら二人に近づき、出雲の手が空いたのを見計らって声をかける。
「私は美花。よろしく」
「え、っと、でも、さっきミケさん、って……」
「カガリが勝手に呼んでるだけ」
こちらはカガリとは対照的に、淡々とした調子で手を差し伸べてくるものの、別段機嫌が悪いというよりは、フラットな状態のテンションが低いのだろうと出雲は納得して握手を返す。
簡素といえば簡素な自己紹介を終えたところで、美花が何かを察したように顔を廊下の曲がり角のほうへと向けた。
「増援か?」
「そう」
「んじゃ、まぁ、適当に蹴散らすとするか」
「任せた」
「おう、ミケ姐は出雲を頼むぜ」
「わかった」
少ないやり取りに、長い付き合いからくる信頼を感じ、出雲はほんの少しだけ身を引いて両者を眺め、出雲の耳にも明確に聞こえてきた慌しい足音にハッとなってそちらを見た。
美花が先ほど視線を向けた先、廊下の曲がり角から続々と10名ほどの人数の完全武装した職員が出雲たちの方へと駆け寄ってくるのが見て取れ、思わず身を硬くする。
「カガリに任せておけば大丈夫」
硬直した出雲の隣へといつの間にか並び立っていた美花が掛ける淡々とした言葉の中に含まれた、出雲を安心させようとする意図に、出雲は緩やかに自身の硬直が解けてゆくのを感じていた。
既に観戦モードといった雰囲気を匂わせる美花と、その隣で待機している出雲の前で、職員たちを阻むように立つカガリが声を張り上げる。
「それじゃ、いっちょ熱くなるとしようか!」
職員が構えた銃が火花を噴くのと、カガリの身体から炎が吹き上がるのは、同時の事であった。