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5-19 ハートフル6

 程なくして、前を駆けていた美花の歩調が緩み、ひとつの扉の前で立ち止まる。


「……ここ、ですね」

「実験場区画。その中でも、一番大きな部屋」


 それはつまり、人を集め、留め置くのに適した広さがある部屋だ。

 警戒しつつ重厚な扉を緩やかに開ける美花の後ろから室内を覗き込んだ黄泉路の目に、蛍光灯による一律の光が殊更強調されるような白一色で統一された壁面。

 その中で、浮いたように、乖離したように。

 別の色が蹲っていた。


「――こ、ども」


 明るく色素が薄らいだ茶色の輪が掛かった髪の、華奢な体躯。

 身を包む検査衣の袖から覗く手足は蛍光灯の色彩の下では余計に細く、白くみえてしまう。

 おそらくは14、5歳程度。後姿から少女だろうと、そう認識すると同時、黄泉路の足は自然と美花を追い越していた。


「黄泉路、待っ――」


 すぐ背後から美花の制止がかかるものの、黄泉路はすでに美花の手が届く範囲から離れ、蹲った少女のもとへと駆け寄ってゆく。

 どこか、自分の足が、地面が、ここではない場所を踏みしめているような錯覚の中、黄泉路は少女の後姿に、かつての自身を重ねていた。

 日常ではない場所、儘ならない身体、自由なき世界。自身の非があるかもわからぬまま囚われて、一方的な理由によってのみその自身の身体を弄ばれる。

 その失意を、黄泉路はよく理解していた。

 だからこそ、黄泉路はすぐさま駆け寄ったのだ。

 その結果など――考えることもせずに。


「きみ、大丈夫!?」


 蹲った小さな肩に手をかけた黄泉路の脳裏に掠めた少女の印象は、軽い、だった。

 続けて黄泉路のさほど込めてはいない力でも、まるで糸のついた傀儡のように振り返った少女の見上げてくる顔に、黄泉路は脊髄が粟立つのを自覚する。


「――」


 ひどく虚ろな瞳の中に、無機質な、何の感情も、思考も見られない眼球に、反射するように黄泉路自身の顔が映っている。

 確かに黄泉路の事を捉えているはずなのに、少女は黄泉路を見ていない。

 その様子に違和感を抱くのが先か。

 少女がそのか細く頼りないように見える指先が黄泉路の目を的確に突こうと伸ばしてくるのを、眼球が認識するのが先か。


「黄泉路!」


 パシン、と。乾いた音。

 一拍遅れて、黄泉路は隣に駆け寄ってきていた美花が少女の手を払いのけたのだと理解する。


「っ!?」

「ぁ……」


 一瞬、少女と美花との間で、何が起きたのかと黄泉路は視線を彷徨わせた。

 風に揺れる柳の枝葉を思わせる覚束無い挙動で立ち上がった少女に反応して黄泉路の肩をつかんだ美花が後ろへ下がるままに引きずられて距離をとった黄泉路は、改めて、目の前の少女が異常であることを理解する。

 虚ろな瞳は、黄泉路と美花を見ているはずなのに、やはり認識している風には見えず、立ち上がった不健康そのものの体つきと相まって幽霊のようであるとすら思えてしまう。


「あの、美花さん――」

「罠。はめられた」


 問おうとする黄泉路の言葉を遮って告げられた美花の言葉に、ようやく黄泉路も理解する。

 最初から、この状況そのものが不自然だったということに。

 今まで誰一人いなかった、破壊の、襲撃の痕跡が色濃く残された施設の中で。

 どうしてただの少女が態々広い部屋に1人で蹲っていたのか。

 罠である、とすれば、これだけでは終わるまい。

 ふらふらと夢心地の中を歩くような少女の足取りが黄泉路たちを追いかけようと一歩、また一歩とその素足で床を踏む。

 2人が警戒して距離を置こうと、今しがた入ってきたばかりの扉へと数歩後退りした所で、その足が止まる。


「黄泉路」

「はい」


 ずり、ずり。

 ざりざりざり。


 開け放たれた扉の外。

 先ほどまでは薄ら寒いと感じるほどに無音だった空間に音が満ちて、数多の生き物が蠢く、呼吸の音が、足音が、混ざり合い、連なり、押し寄せてきていた。


「ぁ――ぅう……」

「う゛……ぅ……」


 呻き声にも似た、子供の声が満ちる。

 ぞろぞろと踏み込んできた足はどれも裸足で、踏みしめる姿はどこか頼りない。

 黄泉路と美花へと向けられた瞳の色は様々だが、そのどれもが虚ろで、一切の意思を感じることができない。

 まるで、そう。まるで。


「――ホラー映画か、何かですかね?」

「ゾンビじゃないだけマシ」


 呻き声を遮る様にこぼされた黄泉路の現実逃避とも取れる軽口を嗜める美花の声音は固い。

 目の前の現実から逃げてもどうにもならないという事を遠まわしに指摘されたように思え、黄泉路は小さく頭を振って思考を切り替え、この場をどう切り抜けるかに意識を向けた。


「……生きてますよね」

「催眠術だと思う」

「催眠って――」

「そういう能力(スキル)なら可能」


 そんな馬鹿な、と。言いかけたところで、美花に遮られて言葉を飲み込む。

 以前能力についての講義を受けた時、そのような能力の区分があるという話があったことを思い出したのだ。

 【支配(ドミネーション)】、何かを支配する事に長けた能力。発現例も少なければ、強力な能力者も多くない、そう聞いていた。

 だが、こうして目の当たりにしてしまえば、その少ない能力者の、強力な部類とバッティングしてしまったという事をいやでも自覚せざるを得ず、黄泉路はちらりと美花を見やる。


「ええっと……この場合対処法は?」

「能力者を倒す」


 予想通りの返しに、黄泉路はどうしたものかと口を噤む。

 なにせ、ここにいるのは操られた子供だけ、加えて自分たちがこの場にたどり着くまで一切の妨害や、罠の気配すら潜めていた事を考えれば、支配能力の使い手は施設に入ったころから黄泉路たちを監視していたのだろうというのは想像に難しくない。

 完全に後手に回った上、この手の能力者が自分から前に出るなどという可能性は低い。

 相手は操り人形の物量に任せてしまえばよく、黄泉路たちは保護対象を掻い潜って敵を倒さねばならない。

 一気に難易度が上がった、そう正しく理解した所で、隣に立つ美花の気配が変わったことに、黄泉路は気づいた。


「美花、さん?」

「――黄泉路」


 愛嬌のあるデフォルメされた猫の面の向こう、美花の瞳が、きらりと光ったように感じられた。

 その色は微かな怯えと芯の通った覚悟を感じさせるものの、どこか人間的ではなく。


「信じてる」


 囁く様な声音が子供の声と、いまにも取り囲もうという足音に紛れ――






 美花の全身が変質した。

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