5-18 ハートフル5
廊下に出た2人は足早に奥へと進んで行く。
すでに何者かによる被害が出ている以上、もはや気配を殺す意味もない。
奇襲や出会い頭の遭遇戦のみに注意を絞り、通路に設置されたいくつかの部屋の扉を覗いては無人であることを確認して奥へと向かう。
だが、いくら進めど襲撃はおろか人の気配すらない事実に、黄泉路は嫌な予感に背筋の寒さを感じていた。
小走りで駆け抜けた部屋の中には、少し前までは人が居たのだろう、かすかな生活感を抱かせる収容所に似た間取りの部屋と、おそらくは職員や警備員が使っていたであろう部屋があった。
通り過ぎてきたいくつかの部屋の数々を見てゆくうち、破壊された部屋とそうでない部屋との法則性が見えてくる。
「職員に対してのみ能力を使ってるみたいですね」
どちらのタイプであっても、現在の室内が無人であることに変わりはない。
しかし、徹底して破壊されているのは後者――おそらくは研究所を使っていた側の設備への損壊や、そこで人が死んだのだろう痕跡の一部が残されていたのだ。
当然美花もその事実に気づいている様子で、黄泉路の声には振り向かないまま小さく首を縦に振ることで同意を返す。
となると自然、次の疑問がわいてくる。
職員だけが狙い打ちで殺されているのは、良い。
一般的な倫理観からすれば良くはないのだろうが、こんな施設で子供を人体実験に使っていた人間がどうなろうと、黄泉路たちは知ったことではないという意味で、さっくりと思考からはずして黄泉路は口を開く。
「……子供は、何処に行ったんでしょう?」
「そんなに時間はたってない。私達が配置についてから騒ぎが起きた様子はなかった」
「姫ちゃんと似たような能力者が連れ去ったとか?」
「転移系能力は希少。姫更程の能力はもっと稀」
「だとしたら、やっぱり子供たちはまだこの中のどこかにいるって事ですよね。……にしては、静か過ぎませんか?」
姫更の様な、距離や物理的な障害に関係なく移動を可能とする能力者がいたならば、この短時間で施設内を無人にすることも可能だと黄泉路は踏んでいた。
だが、実際問題、能力が現実的なものから乖離すればするほど、その希少度は増してゆく傾向にあり、姫更のようにほぼ制限なく他者を転移させるような能力者は極めて稀だということだった。
となれば、必然的に子供たちや生き残った研究者はこの施設の中に居る可能性が高く、仮にもただの被害者であるはずの子供たちが、ここまで気配を殺していられるだろうか。
生きていて気配を消せる方法など、鍛錬によって身についたものでなければ意識を手放しているか。そのどちらかくらいしか思い浮かばない黄泉路は、せめて後者であってくれと祈るような気持ちで美花の背を追いかけていると、ふと、通り過ぎようとした部屋の中に目新しいものを見つける。
「美花さん、ちょっと」
声をかけて制止し、室内をのぞく。
室内はやはり破壊の後が見て取れるものの、他の部屋よりもやや大きいつくりになっている事で幾分かマシな印象を抱かせる。
しかし、黄泉路が気になったのはそれではない。
何も無いことが多く、ともかく子供たちの安否が優先だと調査を後回しに、気配が無ければ眼を向けることも少なくなっていたにも関わらず、一目で異質だと認識したのは、壁にかけられた一枚の図面であった。
「この施設の地図が、どうしたの」
「いえ、あの……なんというか、この地図だけ、綺麗過ぎませんか?」
「詳しく」
わずかに遅れて地図の前で並んだ美花の問いかけに、黄泉路は自らの違和感の正体を説明すべく室内を見渡し、再び地図へと視線を戻す。
「今までの部屋、元々何も無い部屋は無傷で、こういった職員用らしい部屋は、家具からなにから、全部壊す勢いで荒らされていたのに、この部屋は、地図だけがまったくの無傷なんです」
「地図が無傷で、何が不思議?」
「……不思議、というか、なんていうんだろう。すみません」
それ以上のうまい言葉が浮かばなかったこともあり、尻すぼみになりながら黄泉路は謝罪を口にする。
「いい。これで内部構造がわかった。次に行く場所も決まった」
「えっと、どこです?」
「この先の実験場区画。人を纏めるなら、最適」
どうやらこの短い時間で施設の地図を頭に入れたようで、美花は踵を返して先を急ぐとばかりに部屋を出て行こうとする。
黄泉路もあわててその後を追いながら、最後にふと、部屋の出入り口から室内へと眼を向け、不意にイメージが頭を過ぎった。
この襲撃の犯人が、自身らと同じく地図を見るためだけにこの部屋に入り、地図以外の全てを掃討した後に、悠々と地図を――さきほどまで自分たちが足を置いていた場所に立って眺めていたのではないか。そんな予想であった。
「あ……」
「黄泉路、急ぐ」
「――すみません、今行きます」
美花に急かされ、黄泉路は小さく頭を振ってそのイメージを払拭する。
あまりにも人間離れした事件を起こした犯人の、人間味にあふれたその行為を、結び付けたくなかったのだ。
これから敵になる相手の事情など、知るはずも無い。これから殺すかもしれない相手の人情など、知りたくも無い。
そう本能的に拒絶して、目的地へと向けて足を速めた。




