5-17 ハートフル4
螺旋階段は下へ下へと続いていた。足音を忍ばせていてもかつかつと小さな音を響かせる。
ひやりとした空気が肺を満たすものの、喉に感じる埃の少なさは空気清浄機が稼動しているような人の手の行き届いた屋内を思わせる。
等間隔に設置された足元の照明とあいまって、この施設が稼動しているのだと再認識させる。
階段を下りきったところで現れた両開きのガラス扉が招かれざる二人を拒むが如く立ちふさがっていた。
その奥にまっすぐに伸びる廊下は白一色で整えられており、清潔感を通り越して病的にすら思える。
夜鷹支部の灰色の地下回廊とは違う、どこか研究所の廊下を思い起こさせる光景に黄泉路は小さく喉を鳴らす。
躊躇なくガラス扉を押し開いて中に入り、小走りで移動を始める美花の後姿にハッと我に返った黄泉路が後を追う足音が反響する。
「……変」
左右に分かれた廊下の手前で警戒しつつ進路の確認をしていた美花が呟く。
その小さな声すらも反響して遠くまで聞こえてしまうのではないかという静けさの中、あえて美花が声に出して疑問を呈した事に、黄泉路は首をかしげる。
「何がですか?」
「人の気配」
「……そういえば、誰とも遭遇してませんね」
いわれてから、黄泉路は政府の施設に潜入したにもかかわらず、ここまで人気がないことに思い至る。
夜であるという理由をつけられたとしても、これほどの施設が夜間に無人になるなどということは果たしてあるのだろうか。
そこまで思案をめぐらせたところで、黄泉路はふと、右の奥のほうから声が聞こえた気がした。
「今、右のほうで声がしたような……。美花さんは聞こえました?」
自身よりも数段聴力に優れているらしい美花に問いかければ、一瞬の沈黙の後、美花は横に首を振る。
「……聞き違いですかね?」
「確認。大事」
自身ではなく、同行者の黄泉路が感じたものではあるが、こうした場での些細な違和感は信じるべきというのが美花の経験則である。
その法則に従い、端的な言葉でついてくるように身振りで指示し、黄泉路と連れ立って通路を右へと折れる。
通路はこれまでと同じく大人が2人すれ違う分には苦労しない程度の幅。
だが、進み始めて少ししたところで違和感を覚える。
その違和感の正体にはじめに気づいたのは美花であった。
ピンと気配を鋭く、細く絞って立ち止まった美花に、黄泉路は僅かに遅れて立ち止まり様子を伺う。
すると、今までは動いていて気づかなかった程の微かな臭いが鼻を突いた。
「……こ、れは」
「血の臭い」
すえた鉄を思わせる嗅ぎ慣れた臭いに、黄泉路は仮面の下で顔をしかめる。
声音から特に変化を感じさせない美花であったが、警戒度は増した様子で、通路の先で明かりが漏れたままの部屋へと注意を注ぐ。
スライド式のドアが開かれたままになっているらしい部屋へとそろりそろりと近づく中、黄泉路も後方に注意を払いつつ後を追った。
「な――」
扉の前までやってくると、自然と開け放たれた扉から部屋の内部が――その惨状が目に飛び込んでくる。
黄泉路の足元には、なぜこの部屋の扉だけが開け放たれたままであったのかの答えが転がっていた。
肉と骨がねじ切られたような断面に巻き込まれ、持ち主の物だろう多量の血液の中に沈んだ事で元々の色もわからぬほどに変色した袖らしき布に巻かれた肉片。
意思を持たない自動扉が、部屋を利用するものが既にいなくなった今に至るまで、もはや人ではなくなったモノを検知して律儀にもその口を広げていたのだ。
二の腕の半ばから先だけが残された右手がこの部屋にいた者がどうなったのかを否が応にも暗示させる。強いて言うならば、その右手がどう見ても子供のものには見えない事だけが救いであっただろうか。
臭いの元はこれだったのかという納得が遠く、他人事のような感想として黄泉路の脳裏を過ぎる。
無機質な室内に噎せ返る死の匂いに顔を顰めはするものの、黄泉路が絶句し、立ち尽くしたまま目を奪われたものはそこではなかった。
今までの景色から一転、白かっただろう壁はアイスをスプーンで掬ったかのようにきれいに抉り取られ、外側を覆っていたらしい鉄筋の一部が捻じ曲がったように寸断されて飛び出していた。
床にも同様のクレーターのような痕が散乱し、部屋の中にあったらしい何らかの機械の破片も巻き込んで足の踏み場を確保するのも難しい。
何をすればこうも綺麗に全てを一緒くたに破壊できてしまうのか。
理解の、常識の外にある力によって齎されたのだと見せ付けるような室内の様相に黄泉路が息を呑んでいると、隣に並んだ美花がさっと前へ出る。
何の躊躇もなく血痕を跨ぎ超えて室内に入ってゆく美花の姿に、僅かに遅れて我に返った黄泉路も後を追う。
「戦闘の痕でしょうか」
「これをやれるのは能力者だけ」
「ですよね」
あまりのことに頭が回っていないという自覚はあったが、それにしても要領の悪い問いかけだったと黄泉路は恥じ入るように言葉を区切る。
頭を切り替えるために、どうしてこの施設の中でこのような惨状が発生したのかに思考を向ける。
「……実験台にされた子供の反逆……にしては廊下だけ被害がないのは変ですよね」
「孤独同盟」
「っ! ……僕たちと同じように、この施設を探り当てたって事ですか? でも、目的は一体……」
「能力者が欲しいのは、向こうも一緒」
美花の端的な返答に、黄泉路はハッとなって言葉を詰まらせる。
言われてみればその通りなのだ。
地下組織として人手――戦力がほしいのは三肢鴉も孤独同盟も同様であり、ここは能力者を作る実験場だ。
さすがに三肢鴉はその理念からして、嫌がる子供を無理やり戦線に立たせるようなことはない。
しかし、孤独同盟は純粋な犯罪者集団であり、利益が出るならば子供であっても利用価値があれば誘拐でも強盗でもしてしまう。
朝軒家の一件でその事実を思い知らされたばかりであったが為に、黄泉路は途端にこみ上げてくる不快感を処理するべく深く息を吐く。
「(落ち着け、今回の目的は子供達の保護なんだ、孤独同盟が居たってやる事は変わらない)」
「ここはもういい。次に行く」
「はい。子供達を探しましょう」
不気味な静謐を保ったままの廊下へと戻った2人は通路の奥を目指して歩き出すのだった。




