5-14 ハートフル
デパートから戻った黄泉路は部屋に荷物を置き終わると、真っ先にある場所へと向かう。
帰路の途中、やはり自分が前に進むには、それしかないのだと再三思考をめぐらせ、覚悟を決めた結果であった。
「……すぅ、はぁ……」
自分自身に聞かせるような深呼吸の後、廊下と部屋を隔てる扉を控えめに叩く。
ややあって告げられる入室許可から一拍空けて、掛けた手に力を込めて扉を開き、中へと入る。
「……黄泉路。どうしたの?」
「あら、黄泉路君。おかえりなさい」
果の部屋を訪れた黄泉路を出迎えたのは二つの女性の声。
一つは部屋の主である南条果のもの。もう一つは、畳の上で足を崩して座って顔だけを黄泉路のほうへと向けた狩野美花のものであった。
思いがけぬ先客に思わず言葉を詰まらせかけるも、黄泉路はどうにか果の出迎えに応答する為の言葉をひねり出す。
「ただいま、です」
「数日振りの外出は楽しめたかしら」
ちゃぶ台で書類仕事をしていたらしい果に出迎えられて、黄泉路は曖昧に笑う。
その表情が外出前より幾分か柔らかいものである事を感じ取った果は緩く笑みを浮かべて応え、向かいに座るよう黄泉路を促す。
お茶を入れるために席を立った果と入れ替わるように、勧められるままに靴を脱いで畳にあがり込んだ黄泉路へと、美花の視線が注がれる。
なんともいえない気まずさに閉口していれば、ややあって急須と湯飲みを持ってきた果が対面に座って口を開く。
「有意義な時間になったようですね」
「ええ、おかげさまで」
差し出された緑茶に口を付けながら黄泉路は小さく頷く。
会話が途切れ、湯飲みに口を付けたままちらりと覗き見るように視線を向ければ、自身のお茶を口へ運びながら落ち着いた様子で待ってくれている果が目元を緩ませていた。
明らかに切り出すのを待っている果の様子に、さすがの黄泉路も腹を括り、小さく息を吸い込んで正面から果を見据えて黄泉路は口を開く。
「――あの皆見支部長」
「なんでしょう?」
南条果という一個人から皆見支部長という役職へと気持ちを切り替えた果の視線は内面を見透かすようで、黄泉路は思わず姿勢を正す。
一度自分で切り出した以上、相手を待たせるのも悪い。なるべく簡潔に用件を伝えようと、果の視線を真正面から受け止める。
「僕に、依頼をさせてください」
「……理由を聞かせていただけますか?」
訓練が上手くいっていないことも、初めての依頼から抱え込んだものがあることも、南条果は知っていた。
それでも一切の手を差し伸べなかったのは、支部長としての立場故の事だ。
果個人の我侭で言うならば、不運で縒り上げられた縄の上で綱渡りを続けるような目の前の少年の力になってあげたい。
だが、それも内容による。つい先日失敗とまでは行かないまでも、手痛い経験をしたばかりの黄泉路にその任を任せてもいいものか、果には判断できなかった。
本人が望んでいようと、止めるべきなのが大人の、保護者としての役割なのではないかとすら思う。
そんな逡巡を押し殺した瞳に見据えられ、黄泉路はゆっくりと言葉を搾り出す。
「強くなりたいんです。何も守れないのは嫌だから。自分も、大切な人も、守れるくらい強く」
「それは、依頼でなければならない理由にはなりませんよ」
たしかに、強くなりたいと思った事は嘘ではない。だが、それでは先の言葉に繋がらない事を指摘されれば、黄泉路は観念したように本心を伝える。
「夜鷹の皆に保護されて、何もしないでじっとしている方が正しいんだってことも理解してます。でも、保護されてるだけじゃ、嫌なんです。――僕は、皆の役に立ちたい」
一気に吐き出し終えれば、訪れた沈黙がより一層重くなったように感じられて、黄泉路はじっと審判を待つような心持で果の目を見る。
黄泉路がこうした本音を夜鷹の面々に伝えるのはこれが初めてのことだ。
そんな我侭を言える立場ではない、そう自身に言い聞かせていた。
だが、そうしていてもいつまでも自身の弱さは、後ろめたさは、克服できない。自らで動き、掴まなければ始まらない。
そう決心したは良いものの、慣れない事をしたという後悔が沈黙の中でじわりじわりと内心で広がってゆくようで、いつまでこの重苦しい空気が続くだろうと、黄泉路が気を紛らわせるように思っていた時だ。
「いいんじゃない?」
「え?」
「狩野さん、何を……」
今まで一切喋らず、聞きに徹していた美花が同意を示した事で、黄泉路も果も呆気にとられてそちらを向く。
二人の視線を受け止め、なんでもないという風に湯飲みに口を付けていた美花が眠そうな目のまま果を見る。
「役割が無いのは、不安になるでしょ」
「それは、そうですが……」
「黄泉路。次の依頼、2日後。私と折半」
「え、っと、それは、良いんですか?」
支部員だけの裁量で決めてしまってもいいものなのか、伺うように黄泉路が視線を向ければ、果は逡巡した後に諦めたように首を振るのだった。
「わかりました。狩野さんの補助と考えればさほど危険もないでしょう。ただし、一人での依頼は今後暫くは回せませんよ?」
「はい」
「狩野さん。黄泉路君の事、頼みますね?」
「ん。私も実戦の方が良い」
話がまとまった事への安心感で気が抜けた黄泉路は湯気も僅かになったお茶を啜りながらふと、どうして美花が果の部屋にいたのだろうという、入室時に抱いた疑問が再び湧き上がる。
問えば、お茶請けの煎餅を小気味良い音を立てて噛み切っていた美花が咀嚼交じりに視線を果へと向ける。
「先ほども話しましたとおり、依頼が入ってきましたので手が空いている狩野さんにお願いしようとしていたんですよ」
「あ、なるほど」
「丁度ミーティングを始めるところだったので、黄泉路君も参加するならこのまま話を始めましょうか」
「はい、お願いします」
ちゃぶ台から下ろされ、脇へと除けられていた書類を手に、果は依頼について話し始めた。