5-13 理不尽との邂逅8
レジで会計を済ませ、別会計にて袋を分けてもらった最新刊の三種を刹那に渡していると、ふと、耳慣れた甲高い声が頭に響く。
『よみちんよみちん! 今どこ!?』
「あ、わっ」
「うん? どうしたのだ?」
「――あ、いや。なんでもない。ごめんね。 (標ちゃん、どうしたの?)」
『どーしたもこーしたもないですよぅ。カガリさんがよみちんと逸れたーって私の所に連絡してきたんですよぅ。よみちん、携帯持ってないから繋がらないーって』
「……あ」
脳内に響く標の声で、ガンと頭をぶん殴られたような衝撃と共に、すっかり忘却の彼方だったカガリの事を思い出し、店内に掛けられた時計を見てハッとなる。
すでに逸れてから軽く数時間は経過しており、むしろよく今まで連絡が無かったものだと思うと同時、途端に罪悪感が溢れ出す。
「どうしたというのだ。先ほどから様子が変だぞ」
「……連れと逸れたの忘れてた」
「はぁ……だから言ったであろうに。ここへ来る前、良いのか、と」
「あー……」
そういえば言われていた。確かに言われていたと、思い返すに自身の間抜けさに辟易しつつ、黄泉路は本がぎっしりと詰まった大きな紙袋を持って刹那に向き直る。
「ごめん、刹那ちゃん。僕、そろそろ行かなきゃ。色々ありがとうね」
「ああ。今日は大いに有意義な日であった。我のほうこそ礼を言おう。運命の輪が廻りしとき、再び見えようぞ」
「……うん。またね。刹那ちゃん。元気で」
本の包みを片手に抱えて黄泉路に手を振る刹那に会釈し、黄泉路はその場を離れながら改めて標へと声をかける。
「(ごめん、今から案内してもらっていい?)」
『まっかせてくださいよーぅ。道案内は私のお仕事ですしぃー』
人の波を掻い潜りながら、言われたままに歩く事しばし。
標の案内でたどり着いたのは、つい先ほど刹那にこれでもかという程品を勧めてもらった家具売り場であった。
売り場の前で腕を組んで手持ち無沙汰な様子のカガリを見つけ、黄泉路は短く標へと礼を告げると小走りでカガリのもとへと駆け寄ってゆく。
「すみません燎さん、はぐれてしまって」
「お、黄泉路。……って、買い物してたのか?」
「ええ、まぁ、はい」
「……ま、いい。お前が何かを欲しがるってのは悪い事じゃねぇしな」
「すみません。心配掛けてしまって」
「おう、それはしっかり反省しろ。……ま、笑えるようになって良かったよ」
「……ありがとうございます」
頭を乱雑になでられて、その中に安堵を見出している自身の内心に黄泉路は思わず困ったような笑みを浮かべる。
数時間はぐれた間に何かがあった事は察したものの、黄泉路があえて口に出さないならば問うまいと、カガリは言葉を仕舞い込んで売り場の方へと視線を移した。
「それじゃ、さっくり買って帰るか」
「あ、それなんですけど」
先に家具を買ってしまったことを告げれば、カガリは意外だという驚きとも付かない表情を隠しもせずに一瞬目を瞠るものの、直ぐに黄泉路の言葉に耳を傾ける様に顔色を戻す。
「ちょっと予定外の買い物をしちゃったんで……その、本棚、一緒に選んでくれますか?」
照れくさそうに笑って書店の紙袋を持ち上げてみせる黄泉路に、カガリは苦笑しながら頷くのだった。
それから十分と少々。
先に購入した物と相談し、深い色合いの木製の本棚を購入する事で家具選びを終え、来るときに比べて随分と多くなった荷物を積み込んだ車の中で、カガリは咥えた煙草に指先で火を点して助手席に座った黄泉路に視線を向ける。
「……にしても、結構色々買ったな」
「あはは……」
「何があったかは聞かないが、吹っ切れたみたいで良かったよ」
カガリは煙を吐き出して前を向く。
声音からカガリの安堵が窺い知れ、黄泉路は申し訳ないやら有り難いやらといった具合で、照れ隠しのように窓の外へと目を向けた。
やがて車は高速道路へと乗り、窓の外を流れてゆく景色は単調なものへと変わる。
緩やかに斜陽へと変化してゆく遠い空に目を向け、等間隔で揺れる車の振動に身を委ねたまま、ぽつりと問う。
「カガリさん」
「……何だ?」
「カガリさんにとって、殺してもいい人って、どんな人ですか?」
不意に問いかけられた言葉に押し黙り、逡巡した後、カガリは新しい煙草に火をつけながら口を開いた。
「気に入らない奴、だな」
視線を窓の外からカガリへと向けるも、黄泉路の側からでは日差しの関係もあってカガリの表情を読み取る事は出来なかった。
楽しむというよりは、発するべき言葉を練る間の口寂しさを紛らわせる為に吸い込んだ煙が宙を漂う。
空調によって空気の色が透明へと戻る頃、改めてカガリは己が定義を示す。
「能力者を実験動物か何かと勘違いしてる奴。能力者を選ばれた種だと勘違いしてる奴。仲間を傷つける奴。……まぁ、そんな所だ」
カガリにとって殺人とは、大切な人とそうでない人を秤に掛け、どちらを取るかという取捨選択。
一般的な倫理観で言えば決して許されないであろう定義。しかし、そんなカガリの論に対して、黄泉路は不思議と反感を抱かなかった。
それが長らく研究に晒され、自らの倫理観が知らずの内にゆがんでしまった所為なのか、はたまた、自らの根底が最初からそうであったのか。黄泉路には判らない。
どちらにせよ、一つだけいえることは、未だ自身の正義を定めてすら居ない黄泉路には、カガリの掲げる信念に何かを言う権利など無いという事実だ。
「……そう、ですか」
「参考にならなくて悪いな」
「いえ、ありがとうございます」
会話が途切れ、煙草を消すついでとばかりに付けられたラジオの声がニュースを読み上げてゆく音だけが響く車内。
再び窓の外へと目を向けた黄泉路は、静かに自らの掲げるべき柱を定めていた。