1-6 ロストデイズ6
出雲が狼男との望まざる再会を果たしたあの日から、出雲の生活はさらに激変していた。
「う、わぁ!! いや、やだ、やだぁッ!!!!」
『68号、なおも健在。攻撃を続けます』
泣きながら逃げ回る出雲へと降りかかる無機質な声。
無情なまでに淡々とした機械越しの継続通達に、出雲は這う様にして四肢を動かす。
それを緩やかに追いかけるレーザーポインターが、出雲の左足を捉えた途端、音の嵐の様な爆音が室内を占領する。
一つ一つの音自体もさることながら、すべての音が連続的に吐き出されて奏でる不協和音の集合体は、それ自体はただの副産物にもかかわらず出雲の身体を激しく揺さぶって動きを止めさせる。
そして、吐き出された銃弾が出雲の左足に食らいつき、ほんの一瞬、瞬きをする間に膝から下を赤黒い染みへと変貌させてしまう。
痛みに表情が引きつる暇も与えられず、出雲は衝撃で弾き飛ばされて床を転がる最中に掠めた弾丸の雨が右腕を引きちぎる。
もはや苦痛の域を超え、ただ、熱いとしか表現できない意識の中、ポインターの赤色と嵐のような轟音が近づいてくるのを感じ、弾丸の掃射がもう目の前まで迫っている事を理解し、出雲はふっと四肢の力を抜いた。
――数秒にも及ぶ轟音の嵐が吹き去り、赤黒い染みが飛び散った室内に無機質な声が落ちる。
『試験終了。68号の生存を確認』
火照った銃身が上げる廃熱音と、硝煙の匂いが充満する室内。
何層にもコーティングと障壁を繰り返し張られた壁面には、銃弾の集中によって抉れた歪な痕が無数に刻まれ、部屋の中心から入り口の扉へと伸びる赤黒い線が穴へと流れ込む。
その線は液体で、所々に石榴のような柔らかなモノが混入して、白い欠片が飛び散り、一層派手にバケツをひっくり返した様な赤色の水溜りへと繋がっていた。
元の形が何であったか、先ほど起こっていた実験の内容を知っていたものでも首を傾げるほどに粉々に打ち砕かれたそれは、人の身体であった。
より正確に言うならば――験体番号68。道敷出雲の残骸であった。
「――」
室内に設置された暴力そのものといっても差し支えのない、本来ならば軍用車両に積載して運用する為の無人砲塔を冷却する音に異音が混じる。
粘性の液体が泡立つ様な滑り気を帯びた異音は、赤黒い欠片が浮かぶ水溜りから発生していた。
水溜りが蠕動し、やがてひとつの形となる。
――それは顔。
黒い髪が赤黒い液体に塗れてへばり付くのは、黄色人種らしい色白な肌。見開かれた瞳は光のない濁った黒で、医師が見たならば死亡宣告を受けてしかるべき瞳孔の開き具合であった。
やがて血の池の範囲が狭くなり、顔へと向けて収束して行く中、ついで現れたのは首から下。
未成年であろうと、男子の割りに線が細く、華奢な印象を与える薄い胸部から伸びた白く、すらっとした腕。
腰まで再生する頃には、遠く線を引いていた赤色が宙に溶けるように消えてゆき、血の池であったそこですら、赤色が見る間に消失して、最後に残ったのは少年の体だけであった。
暗く濁り、瞳孔が開いていた少年の瞳に光が戻る。
幾度かの瞬きの後、何事もなかったかのように上半身を起こした少年――道敷出雲は、ふらふらとした足取りで扉へと向かう。
示し合わせたように開いた扉から現れた白い防護服姿が手渡す外套を頭から被り、銃を突きつけられて歩かされ、出雲は部屋を後にした。
◆◇◆
閉じ込められてからの日数を数える日課もさすがに1年を超えた辺りから曖昧になり、今では数える事すらやめてしまった出雲には正確な日時を知る手段は皆無となっていた。
日々続けられる投薬、対毒実験に加え、能力者同士の殺し合いによる能力解剖実験、新開発された兵器の運用試験などの多岐に渡る分野に実験動物として使いまわされた出雲は、既に自力での脱出など諦め切ってしまっていた。
狼男との二度目の邂逅において驚異的な不死性を見せ付けてしまったあの日から、出雲は一日として死なない日がなくなった。
そんな中でも出雲が未だに正気と呼べるものを保っていられたのは、偏に死にたくないという本能によるものであった。
今となっては個室へと閉じ込められた時だけが出雲の心の安定を保つ時間となってしまっていた。
「……?」
パイプベッドに仰向けに転がり、じっと目を閉じていた出雲の耳に聞きなれない音が届く。
騒がしい音。実験以外ではついぞ聞く事のなくなった、何かが争う音であった。
出雲はゆるゆると身を起こして扉のほうへと視線を向ける。
徐々に近づいてくる異音が、不意に扉の外で止まった。
扉越しから感じる気配に僅かに身構えた出雲の視線の先で、何をしても自力で開く事のなかった防爆扉が溶け始める。
「――っ!?」
溶けた扉が上げる煙の向こうから二人の人影が現れ、出雲は思わず息を呑む。
その人物は、出雲が施設に入ってから一度も見た事がなく、久しく忘れていた表情をしていた。
「よう。助けに来たぜ」
――溌剌とした笑みを浮かべた青年が出雲に向けて声をかけた。