5-11 理不尽との邂逅6
再び家具選びが始まってから1時間。
「ざっとこんな所であろうな」
刹那のセンス自体は奇を衒いさえしなければまともなもので、とりあえずは殺風景な印象を与えないだろうというラインで家具を買い揃える事ができていた。
深い茶色が落ち着いた雰囲気を醸し出す戸棚に、薄いベーシュのカーペット。壁に掛ける時計は黒い縁取りの振り子時計を模したものなど、全体を通してシックな色調に統一されている点も黄泉路は感心するほかない。
元々をして黄泉路は実家に居た頃から家具に頓着を、というよりは、自身の所有物に頓着をした事がなかったのだから、一人で物を選ぶというハードルの高さは言わずもがなであった事を考えるに、刹那の品選びは適切だったと言わざるを得ないのだった。
「ありがとう、黒帝院さん。助かったよ」
「ふん。高貴なる我が目に掛かればこのような品定めなど児戯にも等しい!」
一通りの購入を終え、大きな家具については帰りに受け取りにいく旨を伝えて保管してもらい、黄泉路達は屋上の子供向けの小型遊園地の傍のベンチに腰掛けていた。
「あはは。それでも助かったんだから、御礼はしなきゃね」
黄泉路が素直に礼を述べれば、刹那はわっと顔を赤らめて背け、スカートである事も忘れている様子で足を組む。
その様子に、さすがにスカートで足を組むのはと指摘するべきか否かを軽く逡巡しつつも、自身の目のやり場をそらす為に黄泉路は席を立つ。
「飲み物買って来るけど、黒帝院さんは何が良い?」
「汝の趣向に合わせる」
「ん。じゃあ、ちょっと待っててね」
備え付けられた自販機コーナーへと歩を進めれば、先の会計で崩れた小銭を財布から取り出して品目を一瞥する。
「(……そういえば、出てからもぜんぜん飲んでなかったな。懐かしい)」
ふと目に留まる黒い炭酸飲料の缶を見て、黄泉路はふっと昔に戻ったような、懐かしい心地に、気づけば自販機のボタンを押してしまっていた。
自販機から吐き出されるゴトリという鈍い音で我に返り、取り出し口から出てきたコーラの冷たい感触に、どうしようかと首をかしげ、結局はもう一度コーラを購入して刹那の元へと戻る。
「おお、この黒々とした退廃的な嗜好飲料! やはり我と汝は気が合うな!」
「あはは……。最近飲んでなかったからね。見かけたらつい飲みたくなっちゃって」
かつてはこうして常群とコーラを片手にくだらない話をしていたな。
手の中の缶が発する冷たく心地良い感触に黄泉路は思わず遠い目をしてしまう。
隣で美味しそうにコーラを飲む刹那を横目に見て、あれから随分と遠い所に来てしまったなという感慨が生まれる。
「うん? どうした。我の顔なぞじっと見て」
「何でもないよ」
「変な奴だな黄泉路は」
誤魔化して開けた缶を口元へ運ぶ。炭酸によって弾けた合成甘味料の甘い香りが鼻腔を擽り、口に含んだ黒茶色の液体が気泡を溢れさせて舌を刺激する。
懐かしさに目を細めていれば、きょとんとした顔のまま刹那が見つめてきていた事に気づき、黄泉路は小さく笑う。
何も知らないまま、一般人として過ごせていたならば、目の前の少女のような無邪気さを眩しく思う事も無かったのだろうかと、知らずの内に声が漏れる。
「綺麗だな」
「――なっ、ななななっ何を言っておるのだ馬鹿者!!!」
黄泉路の発した言葉に一瞬の間をおいて、耳まで真っ赤にした刹那がわたわたと狼狽すれば、さすがの黄泉路も自身が何を言ったのか、どう伝わってしまったのかを理解する。
「あ、えっと、これはその」
「よ、よい! これ以上何も言うでない!」
ばっと手を自らと黄泉路の間に割り込ませた刹那が上ずった声で遮り、慌てて顔を背ければ、数度大きく深呼吸するのが背中の動きで黄泉路にも判る。
ややあって、落ち着いたらしい刹那が何事かをぶつぶつと呟いてから顔を上げて振り返った。
「……特別に貴様だけは我の事を“刹那ちゃん”と呼ぶ権利をくれてやろう!!!」
「あー……」
「特別だからな!!!」
「判ったよ刹那ちゃん」
有無を言わさぬ調子に、思わず頷いて合わせてしまう。
こうして釈明の余地も訂正を加える暇もなく、黄泉路が半ば諦めた様に従えば、刹那は途端に口元を緩める。
黄泉路が内実はどうあれ表情を覗っている事に気づき、ハッと我に返ってコーラの残りを一気に飲み下そうとして思い切りむせ始め、仕方ないとばかりに黄泉路は刹那の背を擦った。
「ゲッホ、ゴホッ、おえっ」
「あーもう。刹那ちゃん、落ち着いて」
「お、おち……落ち着いておるわ。もうよい、世話になった」
「いや、今のは僕も悪かったからさ」
落ち着いたらしい刹那に苦笑を浮かべ、背においていた手を離す。その様子を一瞬じっと見つめていた刹那であったが、黄泉路と視線が交わった途端にそっぽを向いて、先ほどの一気飲みで飲みきれなかったコーラを今度こそ飲み下して立ち上がる。
「刹那ちゃん?」
「こいつを処分してくるだけよ」
缶を揺らして見せ、自販機横のゴミ箱へと歩いていく後姿を見送りつつ、黄泉路はふと、そういえば何故刹那はデパートに来ていたのだろうという、むしろ今の今まで余裕がなかったことで気づけなかった当然の疑問に漸く思い至る。
戻ってきたら聞いてみよう、そんな事を考えながら、喉に流れ込むコーラの甘く刺激的な味を堪能していた。