5-10 理不尽との邂逅5
問いかけられた言葉に答えるうちに自身の内側がどんどん暴かれていく様な気がして、黄泉路は逡巡する。
何故、家具を置いていいのかどうかで迷うのか。
今までは意識したことすらなかったはずのその疑問に直面し、黄泉路は自身の内に理由を求める。
「……」
「どうした? そう詰まるような問いでもなかろう?」
刹那にそのつもりはなくとも、無邪気な問いは黄泉路を急き立てる。
「ぼ、くは――」
ぞわりと胸の内側から溢れ出す泥のように黒々とした感情を孕んだ本音に気づき、黄泉路は喉元まで出掛かったそれに吐き気を抑えるように手で口を覆う。
居場所を定めるのが怖い。
今までの自身の言葉に偽りはなくとも、一貫して内側に秘められていた感情は常にこの本音に由来するものであることを、黄泉路は自覚する。
家具を選ぶ。家具を置くという行為は、自らがそこにいたという証を、居場所を明確に示す行為である。
実の親に売られたと言う経験が、自身の物を置くという自身の存在証明を無意識のうちに避けていた理由の一端であった事は間違いない事実である。
振り切ったつもりでも、15年過ごした生家で家族という一番近しい人間に切り捨てられた事実は、黄泉路の中に深く根付き、根底での人間不信を招いてしまっていたのだ。
「(――自分からは信じられないくせに、他人には信じて欲しいだなんて)」
それと同時に、夜鷹の面々が自身に対して気を配ってくれている事は、文字通り痛いほど理解している。
本来黄泉路を外に出すことなどせず、政府同様実験はせずとも人目に触れない場所に隠しておいた方がリスクが低い。訓練をつけてくれているのも、黄泉路が閉じきった世界で腐ってしまわないように、何かあったときに自衛ができるようにという親切心からである。
それらの心配を重々承知しておきながら、三肢鴉に頼り、身を寄せていながら、それでも心のそこでは信じきれていなかったという自らの醜さに、黄泉路は気付いてしまう。
「……ひどい我侭だ」
あまりにも身勝手で都合が良い願望だった。
きっかけが刹那からの問いであった事など気に留める余裕もなく、意図せず自らの偽らざる本音と向き合ってしまった黄泉路は自嘲する。
呆然と視線をさまよわせ、展示物であるドレッサーに映った自身を見る。
今日と言う日のために果が用意してくれた――厚意を身にまとった、自身の姿。
それがどうしようもなく汚いもののように思えてしまう。
「……なぁ黄泉路よ」
「な――んぅ」
不意に掛けられた声に、ほぼ反射的に黄泉路は刹那へと顔を向けようとし、その途端、顔を両端から圧迫されて目を白黒とさせてしまう。
いつの間にかソファから立ち上がっていた刹那が、両手で黄泉路の頬を押しながら、至極不思議そうな、黄泉路の波立った内心とは無縁の無邪気な表情のまま口を開く。
「何をそこまで悩んでいるのかは知らんがな」
「な、んの――」
「傲慢で何が悪いのだ?」
頬を押される事に抗議しようとした黄泉路であったが、刹那のなんでもない一言によって文句は行き場を失って喉の奥に消え、声が尻すぼみになって消える。
「我は全知ではないがな。それでも貴様が善良な性根を持っていることくらいはわかる」
僅かに悲しげな色を纏った刹那の声音に、黄泉路は二の句を告げることもできずに押し黙り、やや視線を落とした先の刹那の目を見つめる。
「あまり己を責めるな。汝はそれで悲劇を語れるかも知れぬが、汝を慮る者たちがそれを喜ぶと思うてか」
「それ……は……」
言われずともわかっていると、叫びそうになった。だが、じっと見据える刹那の眼差しに押し留められる。
カガリも美花も、誠も果も標も姫更も、皆が皆、黄泉路を大切に思ってくれている。ただでさえ彼らに顔向けできない自分が、これ以上彼らの厚意に泥を塗るような考えを持つことになると諭されたように感じて、黄泉路は出掛かった言葉を飲み込んだ。
「生物など皆傲慢だ。生きるため、自分のために他者に多かれ少なかれ犠牲を強いて生きている。数多の屍の上にその身を置いている孤独の王だ。その王座に己が身が相応しくないと思うならば、己自身で相応しい証を立てればよい」
「自分で?」
「そう、己が存在証明だ。誰かに認められれば犠牲の上に立ってもよいのか? 違うだろう。厚意も犠牲も執着も愛情も、それら全てを踏みしめて背負うならば、己自身の手で己の立場を立てるしかあるまいよ」
全てを受け止めて、その上で背負え。
そう宣言した刹那の語気は穏やかではあったが、その裏に感じる感情は一際強く、ただの夢見がちな少女には出せない重みを秘めている様に黄泉路は感じる。
「どう、すれば、そんな証が手に入るかな」
自然と、本来であればこのような話題で回答を求めるべきでない、自らよりもずっと幼い少女へと問いかけてしまっている事実にも気づかず、黄泉路は縋る様な気持ちがそのまま声に出る。
じっと見据えたままの刹那は口元を緩め、ふっと楽しげな笑みを浮かべれば、黄泉路の頬から手を放して一歩下がり、スカートを翻して一回転して胸を張る。
「簡単なことだ。自らの正義を全うすればよい!」
「せい――ぎ?」
「己が内にある信じるべき正義を貫けばよい。誰に恥じることもない。誰に阿る事もない。誰に憚る事があろう。愚民共の蒙昧な戯言による幻想の正義など知ったことか。自らの信条に照らしてのみ自らの行いを正し、自らの信念でのみ正義を執行する。それこそが己が身に恥じぬ生き様と呼ぶべきものであろう」
言葉の言い回しこそ、刹那独特の持って回った、それでいて気取った言い回しではあった。
だが、その内実は至極真っ当であり、他人の価値観など気にするな、自身の正しいと思ったことをせよという言葉は、黄泉路の心にすとんと落ちてくる。
「どうしたら見つけられるだろう?」
「そんなものは知らん! 我が教えたらそれは我の正義であって貴様の正義ではないのだからな」
清々しいまでのシンプルな、それでいて気持ちの良い思考法。それを貫いているのだろう刹那を、黄泉路は眩しいと思った。
「そう、だね。うん。自分で考えてみるよ。僕自身の、正義を」
「そうするがいい。……それより、調度品は選ぶのか? 選ばんのか?」
そういえばその用事が主題だったと、当初の目的を思い出し、黄泉路は悩む。
確かに、自身の指標となるべきものは見つけられた。だが、それはあくまで自分の身の置き方についての話であり、身を置いた後に考えるつもりであった家具についての話としてはやや遠い。
未だ悩むそぶりを見せる黄泉路に、刹那はやれやれと首を振った。
「また小難しく考えているな? ……自分が施されるに相応しくないと思っているなら、先行投資だと思えば良いではないか。背負ったものは後で倍にして返してやるが良い」
先行投資、そう考えたことは、黄泉路にはなかった。
ただただ、後ろ暗いとだけしか思っておらず、施される事に対する遠慮ばかりが先行していた。
それを、自らが成長するための先行投資だと割り切るという発想は天啓のようであり、黄泉路はしこりが解れた様な納得感を得られたのだった。
「……僕自身が、皆につりあう様に努力する、その証として、か」
「自らが覚悟を決めた証なのだ。何よりも強い戒めとなろう」
「そっか。……うん。ありがとう。黒帝院さん」
「ふ――ふん。気にするでない。買うならば疾く選ぶが良い。時間は有限なのだぞ」
沈んでいた気持ちがゆっくりと浮上してくるような暖かさに、黄泉路が刹那に対して初めて心からの笑みを浮かべて礼を述べれば、刹那はふっと顔を赤くして照れたように黄泉路を急かす。
「あ、そうだね。黒帝院さん、もう一度、僕と一緒に家具を選んでくれる?」
「ば、バカ者!! そんな言葉を気安く吐くでないわ!!!」
「え、え?」
「ええい、もういい! 我が適当に選んできてやるから貴様は最後の選定をするのだぞ!! 全部却下はナシだからな!?」
顔を赤く染めた刹那が小走りで家具の間の通路を駆け抜けていってしまうのを、黄泉路は困惑しながら見送るのだった。