5-9 理不尽との邂逅4
「ほら黄泉路! 何をしているのだ!」
小走りで店内の通路を進んでは振り返り、黄泉路がゆっくりと歩いてくる姿を見れば小走りで駆け寄って来ては急かす少女、田中寄子改め黒帝院刹那の姿に、黄泉路は乾いたものが入り混じった苦笑を浮かべる。
「そうは言っても、別に家具は逃げないだろ?」
「そうは言うが、先に買われては元も子もなかろう?」
口調を正して猫を被る事も億劫になって、思わずタメ口を使ってしまう黄泉路であった。
黄泉路の本来の性格を考えれば、出会って10分も経っていないであろう相手へとそんな態度をとることはそう多くない。
敵、というのであれば気にする事もないが、そうでない相手にそんな態度を取る事は稀だ。
そんな黄泉路の口調の変化も気にすることなく、刹那は目を輝かせて黄泉路を急かす。
「何を悩むことがある。調度品を整えるというから付き合っているのだ。実物を見てから悩んでも遅くはなかろう?」
多少恩着せがましくはあるが、刹那の物言いはある意味では正論である。
だが、黄泉路はそもそも、カガリに誘われていなければそもそもデパートにすら来なかっただろうと断言できる程、購入に消極的なのだ。
“家具を買う”、“散財をする”という行為に対して引け目がある以上、足取りが重くなるのも無理からぬ事であった。
刹那の行為を余計なお世話だ、と言ってしまえればそれまでなのだが、黄泉路には出会ったばかりの年下の少女が善意で行ってくれている事を無碍にするだけのワガママさはない。
それをヘタレと呼ぶかはさておくとして、黄泉路は諦めたように肩を落とす。
「さぁ着いたぞ! 好きな物を選ぶが良い!」
家具売り場へと着くや否や、刹那は慎ましやかな胸を張り、展示された家具を背景に黄泉路へと振り返ってふんぞり返る。
「好きなものを、っていっても、お金を出すのは僕なんだよね」
「無論だ。汝の取引であろう」
何を言っておるのだ。と、不思議な事をとばかりに首をかしげる刹那に、黄泉路はやれやれと息を吐く。
もはや取り繕う事も無く、出会って間もないというのに自然体で接している事をお互い特に気にもしていないが、見る人が見ればそこそこに驚きを与えられただろう光景である。
礼儀正しく、出る杭にならぬように努めがちな黄泉路をして、僅かな時間で壁を取っ払ってしまえるというのはひとえに刹那の持つある種の人徳の為せる業であった。が、現在進行形で件の少女の言動に苦笑を禁じえない黄泉路にとっては気づきようも無い上、気づいたとしても手放しで感心できない特技であった。
その様な些細なボタンの掛け違いが妙に作用しあい、お互いにそれが当然のようなやり取りの中で刹那は黄泉路の手を引きながら家具を見て回る。
「ほれ、あの天蓋なぞどうだ? 我ら闇に潜む者として安寧を感じざるを得ないだろう」
「あ、はは……僕はもうちょっと地味なのがいいなぁ」
「むむ。どれでもいいという割りには選り好みするな」
「どれでもとはいっても、さすがに常日頃から肩肘を張ったような家具に囲まれるのはどうだろう? 黒帝院さんは疲れないの?」
「我か? ……ふむ。確かに、聊か疲れるかも知れんな」
鷹揚に同意を示す刹那に、黄泉路はほっと息をつき、改めて家具が所狭しと並べ立てられたスペースを見回す。
普通の暮らしをしていた、黄泉路が迎坂黄泉路ではなく、道敷出雲というただの少年であった時分であっても縁遠かった売り場の様相は、黄泉路にとっては目新しく、それでいてどうにも違和感をぬぐえない場所であった。
一般的な青少年である黄泉路のお小遣いなど高が知れており、家具などという大きな買い物をする機会などなかったのだから当然である。
だが、それでも、現在の黄泉路の懐には手にした事の無い大金が仕舞い込まれており、平均額で家具を一通り買い揃えて余りあるという事実は、黄泉路にとってどこか現実味の無い曖昧な感慨を抱かせていた。
だからだろうか。黄泉路は結局、刹那に何を薦められても、これがいい。とは、一言も言い出す事ができなかったのだった。
「……はぁ。存外に我侭なのだな。黄泉路は」
「そう、なのかな」
「我も途中からは俗世に紛れるような無難に無難を重ねた品選びをしてやっていたではないか。どこが不満だというのだ」
売り場を1時間ほどぐるぐるとさまよった末に吐き出された刹那の文句には、黄泉路は頭を下げるより他ない。
押し売りであろうと、善意は善意であり、刹那が真剣に品選びをして、なれないであろうプレゼンまでしてくれていた事は黄泉路とてはっきりわかっており、それでもなお家具を選べない、購入に踏み切れない自身の迷いに辟易したように肩を落とす。
「落胆したいのは此方の方だぞ……。何が気に入らん。ここにある調度品の大半を利点を探しては汝に推してやったというのに……まさか、汝は元より調度品など欲しくなかったのか?」
黄泉路の仕草を取り違えた刹那の疲れたような表情で吐き出された言葉に、黄泉路は心の内側がじくりと痛むのを感じる。
「……そう、かもしれないね」
「なんだ。理由があるなら言うてみよ。我をここまで振り回したのだ。理由次第では我が逆鱗に触れる事になるぞ」
手近にあった実際に使用できるソファへと腰を落とし、疲れと剣呑さをにじませた瞳で見上げて問いかける。
「なんていうのかな。……今の家では、僕は新参者だから。何も役に立ててないのにこんな風に大きな買い物をしたりするのは、気が引けるっていうのかな……。気を使わせちゃってるのは、判るんだけど」
ぽつりと零された黄泉路の呟きにも似た告白に、刹那は首をかしげる。
「ならば安い調度品を買えばよいではないか。何を迷うのだ?」
「……家具を、置いてもいいのか。かな?」
重ね重ね刹那から投げかけられる問いは、黄泉路の回答という逃げ道を塞ぐ網のようで。
「汝の領域はあるのだろう? ならば何故その領域内に置く物まで気を使う必要があるのだ」
ついに、黄泉路は答えに詰まる。
自らの心にすら蓋をしていた部分へと、無邪気な問いと言うメスが深々と突き刺さった。