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1-5 ロストデイズ5

 5度目の死が目前に迫った時、不意に頬に雫が当たり、出雲は痛みに麻痺した感覚の中でぼんやりと視線を天井へと向けた。

 手を伸ばしてもとてもではないが届きそうにない、階層を一つ分吹き抜けにしたような天井から、液体がスプリンクラーによって噴射されている。

 雨に当たった部分がやけにひりひりとした感触に内心首を傾げた出雲であったが、自身の血肉によって汚れた髪や肌が洗い流せるならそれもいいかと思えるほど、現在の出雲の状態は悲惨なものだった。


「――ガ、グ……ルルル……ッ」


 いつまでたっても訪れない死に対して、出雲は漸く視線を狼男のほうへ向ける決心をつけ、うなり声の方へと顔を向ける。

 人工の雨は平等に出雲と狼男を濡らし、狼男を覆っている体毛が水気によって萎んでいる様に見えた。

 振り下ろされる間際であっただろう狼男の爪が出雲の頭のすぐ上で止まっていて、先ほどから小刻みに痙攣する様子はあれど、出雲を切り裂こうという意思は消えているようであった。

 あれほどに鋭く、暴力的であった瞳は焦点がぶれている様子で、今ならば容易に距離を取ることができるのではないかと出雲には思えた。

 そろりと、刺激しないように後ろへと後退り、2歩、3歩と離れた時だった。


「グ、ルル……グガッ……ッ」


 うなり声というよりは呻き声と言った方が正確に思えるような、出雲が今まで聞いた中では最も頼りない音を喉で鳴らし、狼男の身体が大きく傾いだ。


「――う、わっ」


 重量感のある音と地響きを立て、うつ伏せに倒れ臥す狼男に驚いた出雲は思わず更に2歩ほど後ろへと後退する。

 倒れたまま動き出す気配のない狼男を、出雲は恐る恐る見下ろした。

 白目は混濁し、既に周囲が見えている様子もなければ、鋭い牙の間からはみ出した舌はだらしなく垂れて痙攣していた。

 全身の小刻みな震え具合から麻酔を掛けられているのだろうかと予想し、ふと首を傾げる。


「……あれ。なんで僕は平気なんだろう……」


 今なお降り注いでいる人工の雨を作り出しているスプリンクラーを見上げ、出雲は目を細めた。

 恐らくはあの水が原因なのだろうと思うも、最初こそ感じていた肌がヒリヒリとする感覚も今は遠く、ただの雨のようにしか感じられない。

 なんにせよ、助かったのならば気にする必要は無いかと早々に思考を切り替えた出雲の耳に、水音とは違う不規則な音が聞こえてくる。

 それは部屋の外から近づいてくる複数の人の足音だった。

 扉へと視線を向けて身構えていれば、電子錠の解除される音と共に防護服の研究員たちが水を踏み散らして部屋へと入ってくる。

 銃口を向けて従うように命令され、出雲は緩慢な動作でそれに従う。

 普段のままであれば、痛みや死への恐怖によって銃口を向けられただけでも足が竦むはずだが、この時ばかりは短い時間の間に数度死線を彷徨った所為だろう。

 銃が怖いと思うよりも、精神的な疲弊と肉体的な重さ、なによりも、誰かと関わる事自体に辟易としたものを感じており、この際監禁でも構わないから早く自分の部屋に戻して欲しい。そう思ってしまっていた。

 例え一時的な物であったとしても、少しでもましな方へと思ってしまうのは人間の性だろう。

 それが何の救いにもならず、これから訪れる苦痛のほんの一部に過ぎないという事も、この時の出雲は知る由もなかった。




 ◆◇◆


 職員に連行されて部屋を後にする出雲の姿をカメラ越しに見送った我部は、残された狼男の回収を指示するとモニター室を後にする。

 廊下を迷いなく歩き、すれ違う職員が頭を垂れるのを軽く流してたどり着いた先は、能力解剖隔離研究所の連なった尖塔の一部。

 その最上階に位置する“第一研究室主任”とネームプレートの書かれた扉の前へ辿り着き、手馴れた調子でセキュリティカードを通して中へと入る。

 無人の室内に明かりがつき、研究区画や出雲が収容されている室内とは同じ施設とは思えない人の生活の気配が漂う空間が照らし出される。

 壁際の本棚にはぎっしりと分厚い本が詰まっており、よく見ればそれらは系統別、著者別に分類されて収まっているようだ。

 入り口から見て正面に設置された大きめの樫の机は書類が整頓されており、部屋の持ち主の几帳面さが窺える。

 脱いだ白衣を上着掛けへと置いた我部が、良くリクライニングする黒革の椅子に緩やかに腰掛け、興奮冷めやらぬという調子で息を吐く。

 眼鏡を机へと置く小さく、硬い音に耳を澄ますように眼を閉じた我部の脳裏に再生されるのは、つい先ほどの実験の光景。

 血肉が爆ぜ、四肢をもぎ取られようとも、生きる事をあきらめず、凄惨に喚き散らしながらも死を否定し続けた少年の姿。


「……嗚呼……68号、やはり君は素晴らしい。君に目をつけた私はやはり間違っていなかった」


 我部は自身が興奮しきっている事を自覚しつつも、敢えて酔う様にしばしの間回想に耽っていた。

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