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4-42 赤い世界2

 微かな音。普段ならば気にも留めないような極小の波であるが、こと無音の闇の中にあっては何よりも心を揺さぶる音へとその意味が変貌する。

 黄泉路は耳を澄ます。何が起きても良いように。

 微かな音は、砂の擦れ合う音に似ていた。

 水底で波に攪拌されて擦れ合う砂の音。

 だが、周囲全体ではなく、一方向からのみ聞こえてくる事態こそが異常に感じた原因なのだと黄泉路は悟った。


「なにが……」


 こぽりと吹き上がる気泡が音を包んで上へと抜ける。

 その音だけが黄泉路の良く知るものである事に安堵を感じると共に、異音へと向けられた視線の先、その暗がりの中に何が待つのかという見えざる恐怖に緊張が高まってゆく。

 ざりざりと擦れ合う砂の音の高さが、次第に地面から宙へとその音源の中心をせり上げて、まるで砂が独りでに積みあがるかのようであった。

 その音が次第に細かく、小さくなってゆく。これ以上その場で待ち続ける事は、とても恐ろしい何かの準備を進めてしまうのではないか。

 根拠のない恐怖だけが膨れ上がる事に耐え切れず、黄泉路は一歩、音のほうへと足を踏み出す。

 ざり。ざり、と。足元で擦れ合う砂の音だけが耳に残る。

 一歩、また一歩と、地面を確かめるようなゆっくりとした足取りで前へと進んだ黄泉路の視線の先に、それは居た。




 それは砂だ。

 地面のものとなんら変わらない、赤黒く変色した血の様な流砂が微かな音を立ててふたつの突起として地面から生えている。

 節を作りながら伸びたふたつの砂の塔が混じりあい、中心でひとつになってさらに太く束ねられている。

 太く束ねられた砂は上部で3方向へと枝分かれしていた。

 左右に分かれたそれは太く、隆起したこぶまでも感じ取れるほどに精巧で。

 天辺に生えた部位は括れ、表面には細やかな凹凸が目立つ。

 それは、人の姿をしていた。




 ただ立つ様に存在しているそれに、黄泉路は言葉を失って立ち尽くす。

 黄泉路が先ほど振り払った顔が乗った人型。その姿は、黄泉路の思考を混迷に叩き落すには十分すぎるものであった。


「え、あ……ぇ……な、何が……」


 言葉が纏まらず、断続的に上がる気泡だけが無常にも浮かんでは消える。




 ――ざり。……ざり。




 耳に届く砂の擦れ合う音に、黄泉路はふと意識と思考の焦点を目の前の光景へと合わせる。

 非常に緩慢な動きでにじり寄ってくる砂の塊。

 黄泉路が数歩引くだけで簡単に距離をあけられる程度の速度でしかないにも関わらず、距離は徐々に狭くなってゆく。


「――ぁ、あ……っ」


 目の前の光景に完全に飲まれ、自らの身体が石になってしまったような錯覚に、黄泉路は完全に立ちすくんでしまっていた。

 逃げよう、そう思った時には既に砂で模られた男の手が、黄泉路の制服のボタンに引っかかる所であった。


『…………』


 顔を模した部分、口に当たるだろう場所の砂が流動し、砂の擦れ合う音を響かせる。

 黄泉路はその音でようやくハッと我に返って飛び退く。

 何かを警戒した訳ではない。

 ただ、怖かったのだ。

 自分が殺した男の形をしたナニカが、その開かれた口のような部分から漏れ出した音が、言葉としての意味を成してしまう。

 そんな恐ろしい妄想が実現してしまいそうで、そんな悪夢から、一歩でも遠くに距離を取りたいが為の退避であった。


「……はぁ、はぁ……」


 耳の奥で血流が早く動き、どくどくと心臓が脈打つ不快な緊張を感じつつ、黄泉路は荒い息で男の形をした砂を見据える。

 気泡へと変わる自らの吐息が時折視界を遮る事すらも煩わしく、少しでも目を離した瞬間に、あの砂はより恐ろしいものに成ってしまうのではないかという不安が胸を圧迫する。

 再び、ざりざりと音を立てて砂の塊がにじり寄ってくる。

 一歩寄って来る度に、黄泉路が見上げてしまう体躯そのままの男の形をした砂の威圧感が増すような気がして、黄泉路は二歩後ろへと下がる。

 下がるたびに距離は離れているはずだ。にも拘らず、一向に砂は黄泉路の視界から消えることなく、むしろ、どんどん距離が詰まっているような気さえしてしまう。


「――ッ!!」


 耐えかねた黄泉路は、男の形をした砂から目を背ける恐怖を押し殺して踵を返し、そこから全速力で駆け出した。

 もう、自らの巻き上げた砂の音と、地面を踏みしめた音で、砂の男が追いかけてくる音もわからない。


「はぁ、はぁ、はぁ……!!」


 振り返る事が怖かった。振り返れば、すぐ後ろにぴたりと張り付いて追いかけてきているのではないかという不安を肯定してしまう気がして、黄泉路はひたすらに走る。

 右も左もわからない闇の中、水中独特の動き辛さにも慣れた頃。

 ようやく、水中であるし、この世では無いのだから、態々地に足をつけて走る必要もないのだと思い至って宙へと逃れた黄泉路は、ここで初めて後ろを、下方になった地面を見下ろす。


「そ、んな」


 驚愕と納得、やはりという諦観と、それらを纏めて、信じたくないという否定の気持ちの吐露であった。

 黄泉路が見下ろした先には、変わらず緩やかな足取りで黄泉路を追いかけてきていたらしい男の姿があった。

 男の手が黄泉路を掴もうとするように宙へと伸ばされる。

 到底、届くような距離ではない。

 だが、それを認識しているにも拘らず、黄泉路は男の手につかまれる自分の姿をひどく現実的なものとして想像してしまい、思わず声を張り上げた。


「――い、やだ……いやだ!!!」


 ぼこり、と。一際大きな泡が天へと消えてゆく。

 泡が溶けた先から、一筋の大きな光が黄泉路を照らす。


「!?」


 照りつけた暖かな光に救いを見出した黄泉路は慌ててそちらへと泳ぎ着こうと宙へと手を伸ばし、水を掻く。

 だが、不意に右足がぐっと引き寄せられるように重くなる。


「ひっ!?」


 引きつった声が漏れる。

 普段であれば恥じ入るような声であったが、今の黄泉路にそれを感じるだけの余裕はない。

 視線を向けなくともわかる。ズボン越しに、砂が集まって五指を模っているのだとわかる感触が伝わり、ぞわぞわと競りあがる不快感に足をばたつかせ、左足で砂を思い切り蹴りつけて逃れる。

 一心不乱に、それこそ、どうして光を目指すのかも、わからないほどに。

 黄泉路は光に呑まれて意識が途切れるまで、必死にもがき続けた。


『――』

「……」


 意識が途切れる間際、黄泉路を呼ぶ様な二つの声が重なって響いていた。

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