そして夜が星を欲しがったのよ
狂ってしまえれば、壊れてしまえば、いっそ楽だっただろう。
けれどそれを、この呪いをかけた姫は許してくれないらしい。
狂ってしまいそうになれば、その原因を忘れる。
人は忘れることができる生き物だから、それを羨ましいという妖怪もいるけれど、わたしはそうは思わない。
かつて愛した人がいたとしよう。
何十年か一緒にいた。気まぐれで助けた弱い鬼。
人畜無害で、地獄になど決して落ちないような鬼。
やむを得ない理由から、殺してしまったとしよう。
苦しくて悲しくて痛くて可笑しくて憎くて羨ましくて、狂いそうになったとしよう。
わたしは今、その愛した鬼の顔も、声も、どうやって愛していたかすら思い出せない。
「白色」
「・・・っ何だい?八重。」
噛みちぎられた首筋をおさえた。
尋常じゃない出血量だが、わたしは死なないのだから関係ない。
けれど痛いものは痛いし、人より丈夫だとはいえある程度の出血量に達すると気も失う。
朦朧とする中で、いつものように笑った。
「好きよ。」
「それはそれは、どうもありがとう。わたしもきみの事は好きだよ。」
彼の父親はわたしの友人で、その父親はわたしを崇拝していた。
八重はそのたった一人の家族を失った。
失うのは、とても怖いし、哀しいことだ。
わたしはそれを嫌というほど知っているし、もう失うことがないだろうわたしに縋るその気持ちもわからないわけじゃない。
永遠というのが、その人にとっての一生であるのなら、その永遠の中、失うことがないわたしが欲しいのも、わからないわけじゃない。
ただ、わたしにはその縋る相手がいなかっただけだ。
「好きになってほしいの。ねぇ、どうしたらいいの?
足をなくしてしまえば、どこにも行けなくなったら私だけを見てくれる?
目を潰して、耳を壊して、手を切り落として、私が白色の全てになったら、好きになってくれる?」
「わたしはきみが好きだよ。それにどこにも行かない。なぁ、きみはそれだけで満足しないのかい?」
いいじゃないか、置いていかれないのだから。
愛している人がすぐそこにいる。それだけで、いいじゃないか。
わたしはそれすら許されないのに、それ以上をきみは望むんだね。
好きだというのは事実だ。
ただ、知り合い以上の友人として。
だってあまりに好きになってしまえば、失うときが辛い。
またわたしは苦しむんだ。
それは、極力避けたい。
「大丈夫・・・わたしは、そばを離れたりしないから。」
ふらりと、視界が揺れて、床に崩れ落ちる前に八重の腕の中にいた。
霞む視界でも、目が合ったとわかった。
「・・・・ごめんなさい」
それは、なんに対する謝罪だろうか。
わたしを傷つけたことだろうか、閉じ込めたことだろうか・・・・。
それとも、いつかわたしを置いて逝ってしまうことへの謝罪だろうか。




