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山田太郎の説明書

作者: ドラ喰え

少年が女の子を追い掛け回す純粋さを書きました。

山田太郎の説明書


 太郎は英検で一級を取る


 戦慄が走る。高校の、教室で、太郎が泣き出した。

 うわマジかよという引いた空気が蔓延してくる。誰が泣かせたということもない、勝手に泣いている。感極まっている部類に入る。理由はなんということもない。英検で一級を取ったのだ。

「頑張ったなぁ」

 心の篭っていない教師の声。きっと証書ではなく自分を見て欲しいところもあるのだろう。太郎は証書をその場で読み始める。

 すごいんだけどなー。と思う。褒められたものだけど、泣くからなー。残念だ。しっとりと教師に礼を述べるなり、振り返ってガッツポーズをするなり、振舞い方はあるだろうけど、自分が見えていないのか、自分しか見えていないのか、太郎は左胸に右手を当てて、目を見開いている。くわっと見開いている。

 夢じゃないよー。そんな風に声をかけてあげたくなるけど、辞めておいた。火傷する。本当に火傷する訳ではなくて、クラスから浮いてしまう。そうすると心無い言葉も浴びるから心が傷つく。これ火傷するという。誰が言い出したか分からない。

 太郎は誰にも声を掛けられていないのに、頷いている。何か悟ったのか? 宇宙と一体になったのか知らないけど、僕らは君を見ている。その視線に気が付いて欲しい。

 そんな彼の人目を振り切るような態度は終始一貫しているように思える為、この場で、おめでとうと言って貰えないのではないかと思う。僕らのことは眼中にないのかなー? そんな風に心でひがんでみると、教室の空気に多少溶け込んだ気になる。

 僕は当たりを見渡す、西日が窓から刺している。教室を埃が舞っている。特になんということもないのに、隣の女子の点けている香水のせいか、ドラマチックな錯覚をしてしまう。爪を見ている女子、オレ関係ないしという憮然とした顔を見せる男子、獲物を見つけたような顔をする女子、僕と同じようにきょろきょろ辺りを見回しているとしている男子。出方を伺っているのだろう。お調子者とカテゴライズされる類の人種は、突っ込みと合いの手、問題提議のタイミングを見計らっている。英二が肩肘をついて、ふーんと思っているような温かみを示している。

 羨望の眼差しや共感、憧れや嫉妬の類ではない。何なんだろうと存在を問われるような哲学的な温度の無い視線を太郎は浴びているのに、彼は振り返ると、嬉しそうにイエスと連呼する。

 ホームルームの時間は、教師が何かを説明しているか、生徒を注意しているか、意見を交わすか、大別するとそういうルーティンで回っていた時間が、今は静まり返っている。ゆっくりと時間が流れているように感じる。太郎はイエスと連呼する。発音が良い。

 太郎の足取りは軽やかでしっとりしている。自分の尺を短くしようとする配慮がない。太郎は僕らを見ていない。僕は太郎を見ている。そんな不平感が僕に興るがすぐに消えている。太郎は英二の机の前で握手を求めた。英二が優しくおらーっと声を出して抱擁したので、握手が起こった。クラスの空気に生還した太郎の無事を称えるようだと思ったのは、きっと僕だけだ。




 太郎は女を追い掛け回す


 太郎とは小学生から同じ学校なので、よく知っている。奇跡的にずっと同じクラスだったので、かなりよく知っているが、友達ではない。太郎は目がパッチリした小柄で細身の小学生だった。なにより昔は女が大好きな奴だった。反省会で何度注意を受けても、好みの女子を追い掛け回すという蛮行を繰り返した。

 同じクラスだった旧友はおそらく、彼がどうして女を追いかけ回すかを自分なりに理解し、説明ができる。

 彼は無性に追いかけたくなる訳でもなく、頭は真っ白にならないし、女の他に何も考えていない訳でもない。つまり猟奇的でない。気は確かだし、変態でもない。当初はそういう目で観られていた太郎も、度重なる反省会で弁明を繰り返した結果、一定の理解を得ている。彼は質問がしたいだけだという。確かに体を触る、匂いを嗅ぐという行為は、小学生二年始めころまで続けていたが、怒られる、叩かれるというトラブルを経て学習し、常識の範囲内で女を追いかけていた。

 彼は女を知りたいのだと言う。それは童貞を捨てて初体験を済ませたいという願望でも欲望でもなくて、純粋に知りたいのだろ訴える。知ってどうするということもない個人情報とでも言うべきなのか、そういう事柄を収集していく。何か物を集めたりする人は男性に多いらしいが、彼は女性の情報を集めていく。

 彼には兄弟がいない。大家族でもない。父と母と太郎が暮らしている。家や近所ではそういう行動は取らないなしく、学校の中で女を追いかけているらしい。

 太郎の弁では、男女の違いが分からない。彼は照れも誤魔化しもなく、背筋を伸ばしてはっきりとそういう。

 女性担任は体の作りが違うのよ。乙女心って聞いたことある? そんな風に諭したこともあったが火に油だった。太郎はどう違うのか? なんだその心はと、疑問を持つ、次の日もしくのその日から、女子に聞いて回る。

 きっと女子にもわからなかったのだと思う。自分のことを答えてあげられないと俯く真面目な女子もいた。今思うと、そんなこと教えてあげなくていいのよと言い放つ方が達者だった。

 女性教師は、一年生は人間がまだ出来ていないと言うだから先生の言うことを聞きなさいという約束を取り付けていた。

 太郎は女性教師によって、女の子を走って追いかけてはいけないというルールに従うこととなった。こけて怪我を負わせたら大変だという。

 放課後の前に反省会を開いていたのだけれど、彼はそれでも追いかけたりするものだから怒られる。そこで生まれたのが太郎の弁明だ。彼は本能のままに女を追いかけているわけでなく、知的好奇心から来るものものでもない。存在を問う根本的で切実な問いである。女って何だろう? 大人って何だろう?

 幼稚園の時は、女のことは気にならなかったという。裸でみんなプールに入り、恥ずかしがる方がエッチなのだという風潮だったという。

 それなのに、どうして男だ女だということに拘るかが分からない。どうして別にする。一緒でいいじゃないかという。

 彼はトイレが男と女で同じ作りをしていないことを突き止めた。女子トイレに入ったからだ。彼は銭湯では母と女湯に入ったのに、どうして学校では怒られるのかが理解できない。それは変態呼ばわりされるからという外的動機の抑制であって、内的な納得から来るものではない。

 興味を持った男子生徒が聞く、どう違うんだ? と。太郎は答える。すべて大便器の作りと成っている。これには僕も驚いた。違うんだ。

 そうなってくると不平不満の種が芽生える。どちらかが、得をしているんじゃないかと。先生は答える。

「女子トイレにおやつは置いてありません。あそこは男の子も女の子もトイレに行く場所です」

「本当ですか?」

「トイレで物を食べるなんて汚いでしょ」

 そこまで聞くと本当らしいと納得する。

 太郎はセックスのことを知らなかったから押し倒すという行為はなかった。ただ嗅いでみたらみんな匂いが違うと主張する。僕は興味がなかった。

匂いは言葉で説明するのが難しいという。太郎は臭いと言ったことはないけど、田中さんが、誰かを臭いと言ったら許さないと厳しく言及した。

 太郎は相手が恥ずかしがろうと、嫌がろうと無表情で追いかけた。諦めた女に語りかける。少し、話そう。目をしっかりと見つめ、肩を叩くこともある。聞きたいことがある。

 太郎は女の触った感じについて、次のような見解を示した。肌の艶、汗、脂肪の有無の他に大きな違いはない。それはもう分かった。匂いのことは説明が難しい。これよりも息をすること、呼吸は感動だったという。

「息をしているのは当たり前でしょ?」

ゆっくりと、何の気なしを装って聞いてみるようで、責めるようではない女教師。

「オレは言っておくけど、相手の嫌がることをしてはいけないから、匂っていいか聞きました。誰のを匂ったかは内緒です」

「匂ってどうしたの?」

「匂いじゃなくて、息をしているからドキドキしました。生きてました」

「生きているのは当たり前でしょ」

「生きているのが分かりました」

「命は大事にしましょうね」

 太郎は匂いを嗅ぐという目的があった。ゆっくりとした吐息を聞いて、感動した。目的以上の目的を発見した。彼は、きっと僕がしりたいのは生きていることを確かめることだと言っていた。

 グッチの香水が売れないからウンコの成分を入れたら売れるようになったと面白い話を聞いたことがあるけど、太郎の弁からすると本能的に生きていることを確かめたいのかもしれない。無意識的に髪を触ったりする行為は自己の存在を確かめて安心したいらしい。匂いを嗅ぐことは安心なのかも知れない。母の匂いを嗅いで安心した記憶はないだろうか?

 彼はそれ以来、女性の匂いを嗅がなくなった。少なくとも、僕の知る限りでは。

 生きる実感とでも言うべきか、思春期の議論家が好きそうなテーマの問いを彼は生きていたのか、彼は女との会話の仕方を学習していった。

 相手の意思を尊重する。嫌なのか恥ずかしいのか、人目を気にすること。そういう自分の持っていない概念を自らの懸念に消化、吸収した。

 僕は休み時間は校庭で球技をしていたけど、太郎は図書館で過ごすことが多かったようだ。太郎の興味は大人の女性に向かうことがなく、同級生に限られた。

 反省会で何かあったら知る形となった。女子も女子で太郎にちょっかいを出すこともある。

 浜辺で男女が追いかけっこをするベタな妄想もさることながら、太郎に追いかけられると喜んで逃げる女子もいる。男に追いかけられるのは恐怖か歓喜なんだろう。わからんでもない。そういう類の騒動は、やいのやいので太郎が牽引した。



 

 太郎は長袖長ズボンだ。


 太郎が問題児となったのは、女を追いかけまわしからではなくて、長袖長ズボンだからだ。僕の目にはそんな風に見えた。

 服装に政治的メッセージが含まれているとか、バンドマン風のファッションというわけではない。問題は、季節だ。太郎は夏でも長袖長ズボンだった。

 夏に太郎は、汗をかく。走り回った後などは、肌に衣服が張り付くほどだ。心配した先生は、困ったように、遠慮がちに、それとなく半袖を着てくるように勧めた。太郎はハッキリと答えた。

「嫌です」

 僕は、こどもながらに思った。先生、怒ったな。拒絶にも反抗にも捕らえられる太郎の態度は、頼もしいようでも、愚かしいようでもある。

 汗をかくことは代謝がいいのだという知識を太郎は母親から得ていた。太郎は先生よりも母親を信じている。だからハッキリと言い切るのだという。

 教科書が湿る。汗が雑巾の代わりとなって机を拭くようになるので、衣服が汚れる。汗をかいている人に触られるのが嫌な人も居るという教師の弁に、構わない。構わない。触らない。と太郎の態度も頑なだ。

 あなたは触るでしょう。と念を押す先生。もう触りませんと、取調べを受ける下着泥棒みたいなことをいう太郎。

 みんなは嫌じゃない? と確認を取る先生。別にいいですと率直に答える数人。汗をかくことは悪いことではないし、エチケットやセクハラという概念がないので、取るに足らないという態度が多いようだ。先生の言うことを聞こうという約束推進派もいる。先生の言うことを聞く約束だ。

 小学一年生は、考えていることを先生に話すと、褒められるか間違いを指摘されるか分からないことに対する不安がある。だから太郎のように先生に毅然と意見を主張できる人物をリーダー視する見方もある。

 長袖長ズボンの件は、彼が単独で独自の考えかたがあることを僕に印象付けた。帰りの会というなのホームルームは、いつもなら挙手によってどれくらいの割合に意見が割れているのか把握できる制度となっていた。

 単独で意見を述べるのは、何かばつの悪いことをしでかした者であることが多かった。しかし、この度の太郎はそれほど悪いこともしておらず、暑いだろうとは思うが、長袖、長ズボン。触ったらびちゃびちゃするだろうと思われるその衣服。その在り方を問われる太郎。

 太郎にはきっと、説明をする責任が伴う。良くも悪くも、目立つのだ。なぜ女を追いかけるのか? 他の人は追いかけたりしない。 なぜ夏休みが終わって長袖長ズボンなのか? 他の人は半袖半ズボンだ。太郎の生き方は、常に説明を必要とされている。

 彼は目立ちたがりではない。目立っているからといって彼のテンションは変わらない。いたって冷静だ。女を追い掛け回すときも、いたって冷静だ。笑ったり、興奮したりしない。使命感をもっているように走る。走る時の手のひらはチョップをするように立てているので、全身の神経を使って走っていることが分かる。彼は生半可な気持で女をおいかけてはいない。

 そんな調子で、彼は長袖、長ズボンだ。女を追い掛け回すことを心良く思っていない田中さんも、汗の件は許容範囲だという見解を示す。汗っかきの人はしょうがないと思うという。

 先生はいつも全体を相手にしている印象が強かった。皆さんと呼びかけることが多い。しかし、太郎のことになると、個別に話をすることが増える。

 先生が風邪で休んだ時は、違う男の先生が太郎に優しく、女を追いかけたらダメだぞ。そんないうに言葉をかける。真剣に怒ったりしない。

 彼は遊びで女を追いかけているのではないので、鬼ごっこや、改良版鬼ごっこに参加しない。彼は図書室で過ごすことが多い。

 長袖、長ズボンのことは、それほど人に吹聴する気はなかったけど、問題は彼がホットダイエットを始めたことが騒ぎの原因となった。それは唐辛子などの香辛料を基に汗をかき、代謝を良くて痩せようという趣旨だ。母と共に始めたのだという。

 ホットダイエットの効果もあり、太郎は尿酸を含む汗をかくようになった。要はおしっこの匂いがする汗だ。言ってしまえばおしっこだ。彼はお漏らしを執行した訳でもないのに、そういう匂いがする。始めは、もらしたのかと誤解された。

 太郎は保健室に連れていかれ、体操服で授業を受けた。太郎は漏らした。太郎はしでかしたとからかう者が現れ、学級会に発展した。

 僕は学級会になってそのことを知ったが、以前からどうもあいつは匂うという声はあったようだった。

 太郎は怒られた。

「あなたが暑いのに長袖なんて着てるからいけないのでしょう」

「違います。ホットダイエットは尿酸を含む汗が出るんです」

 ホットダイエット? 尿酸? と訝しがる先生。

「誰から聞いたの?」

「お母さんです」

 ふーんと考え込む先生。

「わかりました。先生が山田くんのお母さんに直接話しておきます」

「それから山田君のことを臭いと言った人は立って下さい」

数人が席を立つ男子五名、女子二名。

「汗が匂うのは個人差があります。ひとり一人違うという意味です。臭いと言われた人の気持を考えてみて下さい。嫌な気持です。言葉の暴力です。言われて嫌な気持がすることを言わないで下さい。自分が言われて嫌なことは言わないで下さい」

 数名が太郎に謝った。彼は快く許した。僕が思うに太郎は嫌なことを言われることに慣れているのかも知れない。女子に最低ねと責められて、オレは最低じゃないぞと言い返す姿を思い出す。彼は元気だ。

 彼を臭いという者は減っていった。僕も何度か太郎の匂いを嗅いだけど、臭かったけど、だんだん臭くなくなった。彼の匂いを嗅ぐという罰ゲームもあった。これは先生には内緒だった。臭いから近寄らないでという声は聞いたことがなかったので、太郎も自分の匂いを女子に嗅がそうとは思わなかったのだろう。同じクラスだけど、太郎は違うな。そういう印象を持っていた。良いとか悪いではなくて、彼は違うだ。




 太郎は絵が上手だ


 図書室にいる太郎を見に行こうかという気になったのは、珍しく昼休みにトイレに行った時だったと思う。太郎の姿を見かけたのだ。

 図書室に入ると太郎は自由帳と昆虫の図鑑を広げていた。女を追いかけるばかりが能じゃないよなぁと感心した。ノートには無数のバッタと仮面ライダーが描かれていた。

「太郎巧いじゃん。絵見せてよ」

「いいよ」

 太郎のノートにはデッサンで下書きをしたようなものや、線だけで描かれたもの、仮面ライダーも含めると全てバッタだった。羽が鳥の羽だったり、額に神と描かれた漫画のようなバッタも居た。

 太郎はしわしわになった自由帳も持っていて、全てバッタだった。

「何でバッタばっかりなん?」

「なんでと思う?」

 バッタが好き。違う。バッタ描けって誰かに言われた。違う。バッタのプロになる。惜しい。

「わかった! 魚くんみたいになる!」

「違う」

 違うんだぁ。何やろうかぁ。

「わからん」

「バッタを描く限界に挑戦する」

「何で?」

「わからん」

 僕もわからない。太郎もわからないでは、結論が出ないなぁと思い。休み時間の先生を捕まえて聞いてみたら、それは太郎君に聞きなさいと言われて、図書室に戻った。

「また来た」と先制される。心なしか邪魔そうだから、遠慮がちになる。

「バッタを描く限界って何?」

「まだないバッタは描いた。でも、それは改造のバッタ。改造のバッタは人造人間。それは仮面ライダー」

「うん」わかっていないけど、返事をした。

「他にバッタはないか考えてるの? 新しいバッタ」

なんか凄いかと思った僕は、聞いてみた。

「新しい仮面ライダーを太郎が作るの?」

「嫌だ」

「なんで?」

「子供向けのマンガとかそういうの嫌だ。うずうずする。大人向けがええわ」

「大人向けの仮面ライダー?」

「そうやわ。それがええわ。女向けの仮面ライダーでもええわ」

 そうか。僕にはわかんないやと思い。図書室を後にした。女子に珍しく話しかけてみた。

「いま大丈夫?」

「何?」

「太郎が仮面ライダー作りようよ」

「作るってどういうこと?」

「ノートに書きよる」

「それでー」

「女用の仮面ライダーも作るらしいよ」

「興味ないわー」

「わかった。それだけー」

 僕は勝手に、太郎の女用仮面ライダーは失敗に終わりそうだと決め付けた。休み時間の男の先生を捕まえて聞いてみた。

「大人向けはないよなー。壮大なスケールで描いても仮面ライダーやしなぁ。難しいな」

 難しいのか、太郎は二冊も三冊もノートを潰して、難しいことやってんのか。太郎凄いなと感心した。

 逆にバッタって、男の子ども向けなのかな? 大人の女向けのバッタってないのかな? 担任の先生に聞いてみた。

「何? 大人向けで女向けのバッタ? 無いと思うよ。バッタだって人間の都合で存在するわけじゃない自然界の生き物だからね」

 うーん。難しい。

 下駄箱。上靴。運動靴。水道の蛇口。花壇。階段。ドア。窓。そういう目に映るものが無機質に感じて、静かな時間だった。

 その日は太郎を遠くに感じて、校庭は広く思えた。みんな何を考えているのだろう。そんな途方もない疑問に頭を傾けた。鐘が鳴ったらもう忘れてしまった。




 太郎は事件に強い


 事件と呼んで良い不思議な騒動は小学一年生がピークだった。少なくとも僕の経験では。

 誰かの体操着が無くなる。給食費が盗まれるといった類の事件は思春期の誰かの初潮と共に姿を現すが、数としては少ない。退学者や出頭者を輩出する。

 もっと笑える事件の話であり、数としても豊富だと思える方だ。

 例えば、小川さんが、尾中君を好きだから一緒に居たいから席は隣同士が良いと、担任に懇願する。机の一点を見つめ、意中の男性を見ようともせず、頬は赤くそまり、まったりとした静かな時間を過ごす。ディスイズ乙女心。

 男子はまず、羨ましいとは思わない。その前に何なのかが解らない。好きならキスをするのかなぁと温かい誤解の目を向ける。焦っているのは一人か二人で、まぁ意中の女性を逃がしそうなのだろう。

 そういうカミングアウトをしてしまうのが小学一年生。特に母親にその旨を伝えていないことが多い。

 残念なことなのか、僕も太郎も蚊帳の外だ。この時ばかりは太郎は関係がないのだけど、意見を口にする。

「尾中君が嫌じゃなかったら良いと思います」賛成です。

「反対です。小川さんみたいに、好きな人同士で集まるようになると、一人になる人がいたら可愛そうだから止めた方がいいと思います」反対に賛成です。

 太郎は、反対意見にすかさず応戦する。すぱっと手を上げる。

「別に小川さんと尾中君だけならいいと思います」

 田中さんも同意見。

「もうみんなは知ってるんだから、邪魔をしたら可愛そうだと思います」

 太郎が言う。

「尾中君はいいですか?」

 尾中というのは初心な奴で、終始ぼうっとしている。好かれたら好きになるというピグマリオン効果は発動せず、好かれるということが解らない。早いのか遅いのか解らないという以前に、時期という発想もない。隣でいいかな? 別にいいのではないかと考えているくらいのものだろう。

「僕はいいです」

 先生の指揮の下、クラス一同は目を瞑り、うつ伏せになる。小川さんと尾中君は、席が隣で良いか、反対か、挙手をする。目を開けている人は閉じて下さいと先生は言う。山田君目を閉じなさいと先生は言う。パシッと音がする。太郎が、痛ぇと言う。挙手が終わる。


男が女を追い掛け回すのは人間の特性の一部で、

ピックアップする必要はないそうです。

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