表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ジハンキ

作者: 橋元 宏平

死ネタ(自殺・他殺・病死)のオムニバスで、とにかく暗くて重くてグロい。

救いや萌えは皆無ですので、閲覧注意。

   序章


 二〇四六年に制定された『地球環境保護計画』、通称『新・エコロジー・プロジェクト』

 地球に優しい活動を精力的に行ったことによって、微々たる量ではあるが、地球は元の美しい青き姿を、取り戻しつつあった。

 同時に科学者達の懸命な努力により、機械はめざましい進化を遂げた。人間が直接手を下さなければならないこと以外は、全て機械が片付けてくれる。

 二○六一年四月。ついに人間の失業率が七割を超えた。だが、機械が全てを代行しているのだから、社会的には何の支障もない。働かなくとも、『生きる権利』が尊重され、生活保護が適用される。

 いつしか人間は、好きな時に食べ、眠り、娯楽に興じ、飽きたら死ぬようになった。一見無駄とも思える人生を、世界中が納得し、何の疑問も抱かない。

「楽園と言える時代がやってきた」

 ある時、誰かがそう言った。果たして、それはそうだろうか? 


   第一章 ジハンキ(HUMANE KILLER)


 二○六一年四月現在。

 人間は、生き甲斐もなければ、生きている価値もない。夢もなければ、未練もない。意志も弱ければ、堪え情もない。存在自体が無意味となった人間は、自殺することさえも全く抵抗がなくなっていた。

 無縁社会日本は、目の前で人が死のうと、特に関心を示すでもない。

 しかし人間は、自殺することすらも、億劫になってきていた。生きることも死ぬことも自由だが、生きていることも死ぬことも、全て億劫だった。刹那的快楽に身を委ねながら死を望み、ダラダラと生き続ける。

 人口増加にさらに拍車をかけたのが、二〇二五年の後半から大流行した『ベビーブーム』であった。遅れてやってきた『第三次ベビーブーム』により、人間は続々と繁殖し続けた。

 しかし近年において、親達の低脳化が進み、育児放棄、生まれたばかりの赤ん坊を置き去りにするなどの親が急増。育児施設は、常に満員状態が続いている。

 さらに、医療の発達によって、かつては死ぬ病気であった者が生き永らえ、人口の超高齢化が進んだ。

 人口増大の打開案として『世界環境保護計画』と、いう政策が考え出された。それは絶大な効果を発揮したが、非情なやり口から、非難の声が絶えなかった。

 この現状を打破したのが、とある科学者が産み出した『自動繁殖阻止機』であった。『人間シュレッダ』とも呼ばれる、自殺専用の機械。中に入り、あとはボタン一つ押すだけでいいという手軽さから、自殺ブームの火付け役となった。


 二〇年前の二○四一年。

 当時二四歳だった大野連には、十四も年が離れた兄と三つ年下の弟がいた。両親は弟が生まれた翌年に、事故死したのだと兄から聞いたが、本当かどうかは定かではない。

 両親を失った時、兄は十八だったそうだ。その時兄は、卒業目前だった高校を中退して、まだ幼かった連と弟を一人で育て上げた。

 物心がついた頃には、兄と弟の二人だけが連の家族だった。両親がいないことで何かと苦労はあったが、兄は必死で連と弟を守ってくれた。決して頭が良い方ではなかったが、強くて優しい兄のことが連も弟も大好きだった。

 忘れもしない、二○四一年十一月十三日。

 兄に『アオガミ』が届いた。この『アオガミ』というのは、戦時中、軍隊の召集令状として送られて来る『アカガミ』を真似たものだ。

 その内容は、次の通り。

「この度、貴殿は『世界環境保護計画』の対象に選ばれました。翌朝十時の迎えが来るまでに、身の回りの整理をしておいて下さい」

 当時実施されていた『世界環境保護計画』、通称『第一次エコロジィ・プロジェクト』には、恐ろしい項目があった。

『増え過ぎた人口を、いかにして減らすか』という、問題の打開策として政府が出したのは、『コンピュータが、ランダムに弾き出した人間を定期的に殺す』ことだった。

 ランダムとはいえ、社会に必要とされる人間は候補から外される。要は『いてもいなくても、社会に影響のない人間』が、プロジェクトの対象とされた。

 連と弟は、兄に縋り付いて泣いた。兄は困惑した様子で、二人の頭を撫でた。

「いい歳して泣くんじゃない」

 宥めるように言った後、兄はありったけの金と私物を形見分けしてくれた。その金額は、半端じゃなく多かった。兄弟三人でも、優に三年は遊び暮らせるのではないかと、いう程の貯蓄があった。

「こんな大金どうしたのか?」と、聞くと、兄ははぐらかすように笑って、何も答えなかった。

 後になって知った話だが、兄は左翼の片棒を担いでいたらしい。兄はランダムではなく、要注意人物として『プロジェクト』に選ばれたのだ。

 その日の夜は、盛大に兄の送別会をやった。アルバムを粗方引っ張り出して、思い出話で泣いたり笑ったりしながら、一晩中語り明かした。

 そして朝十時きっかりに、政府から派遣されて来たマネキンのような人型機械が、兄を迎えにやって来た。

 人型機械の後をついて行く途中、兄はこちらを振り返ると、弟達に笑いかけたつもりだったのだろう。だが、その笑顔は明らかに引き攣っていて、余計に悲しかった。無様に泣いてくれた方が、余程良かった。

 連は、兄は強い人間だと思っていた。泣いたり、悲しんだりする顔を今まで一度も見たことがなかった。しかし、それは連と弟を不安にさせない為に、ずっと気丈に振舞っていたのだと、この時初めて知った。

 ふいに兄が、何かを呟いた。だが連自身の嗚咽で、聞こえなかった。慌てて聞き返したが、兄は首を横に振った。

「聞こえなかったのならいい」

 それだけ言うと、政府が用意したバスへ大人しく乗りこんだ。それが兄を見た最後だった。もしかしたら、最期に何かを伝えたかったのかもしれない。聞き逃してしまったことが、今でも悔やまれてならない。

 その日は、とても眠れるものではなかった。弟も同じだったらしく、二人で泣きながら迎えた深夜二時。どこか遠くから、細長い断末魔の声が聞こえた気がした。それは、兄の声ではなかったが、きっとその頃に『プロジェクト』は執行されたに違いなかった。

 翌日、兄の遺品と遺言が郵送されてきた。半透明の袋に入った、血塗れのシャツとズボン。そして、今時ワンコインでも買えそうな安物のボイスレコーダ。手渡されると同時に、連はその場で泣き崩れた。ボイスレコーダは、聞けなかった。

「最期の言葉なんて聞きたくないっ」

 と、弟が聞くことを頑なに拒んだからだ。聞いてしまえば、兄の死を認めてしまうような気がして、連自身もとても聞く気になれなかった。

 その日から、弟と二人で生きていくことになった。幸い兄が残してくれた金があったから、当面の暮らしには問題はなかった。

 だが時折、兄のいない寂しさでどうしようもなく不安になる時があった。悲しみのあまり、いっそ自殺しようとも考えた。しかし、弟がいる手前、連は生きていかなくてはならなかった。

 翌年の春から弟は大学へ、連は機械整備士として生きていくことを決めた。

 それから四年後、二○四五年三月。

 大学卒業したばかりの弟に、『アオガミ』が届いた。

「何故、兄ばかりでなく、弟までも自分から奪うんだ。もう何も、失いたくないのに」

「オレは絶対に行かない。政府の機械なんて、ぶっ壊してやる!」

 嘆く連に、弟は力強く言った。連も、その言葉に頷いた。だが連は知らなかった。まさかそれが、取り返しのつかない事態を、招くことになろうとは。

 翌朝十時きっかり。兄の時と同様に、政府の人型機械が迎えにやってきた。

「うぉおおおっ!」

 金属バットを振り被った弟は、出会い頭に機械の頭部を、渾身の力を込めて殴った。その衝撃で作り物の綺麗な顔が砕け、下の機械がむき出しになった。いくつものコードが切れ、小さな火花を散らしながら、機械は動きを止めた。

「やった!」

 喜んだのも束の間。モーター音と共に再起動した機械が、弟の右腕を掴んだかと思うと、凄まじい力でもぎ取った。

「ぎゃあああぁっ! 痛い、痛いぃっ!」

 凄まじい弟の悲鳴が、連の耳をつんざく。無感情の機械が、血に塗れて不気味だった。勢い良く飛び散った血飛沫が、連の顔にも飛んだ。その恐ろしい光景に、喉がひく付いて情けない悲鳴が出た。

「ひっ……!」

「痛……助け…にぃ……」

 連に向かって助けを求める弟の悲鳴が、徐々に小さく弱くなっていく。

「やめろぉっ!」

 連は止めさせようと機械に飛び掛かったが、横っ面を殴られて気を失った。

 どれ位の時間が経ったか分からなかったが、気が付くと部屋は血の海だった。吐き気をもよおす程の、猛烈な血の臭い。弟だったと思われる肉片と、弟が着ていた服の切れ端が、あちこちに散らばっていた。連の全身も、真っ赤な血で染まっている。全部、弟の血だ。

「うっ、ううっあ……。あああっ、ああああぁぁぁぁあああああああああああああぁぁぁっ!」

 連は、発狂した。


 次に気が付いた時、連は病院のベッドの上にいた。あれから、一体どれくらいの月日が経ったのだろう。季節が、すっかり様変わりしていた。目が覚めた時は、驚く程心が落ち着いていて、あれは夢だったのではないかと思った。

 だが退院して家に帰ると、決して消えることのない、おびただしい血痕の残る部屋が存在していた。

 むせ返るような死臭と腐敗臭の中で、連は激しい憎悪をたぎらせた。

「何故、こんな残忍なことをするんだ。何故、兄と弟が殺されなければならなかったんだ……? 何故だ、何故だ。何故だ! 何故だっ!」

 その時、唐突に『自動繁殖阻止機』の構想が、頭の中で閃いた。それは、政府に対する復讐だったのかも知れない。

「人口を減少させたければ、死にたい奴らを自殺させればいい。そうすれば殺さなくても、勝手に死んでいく。死んでしまえ、死んでしまえ! 死にたい奴らは、みんな死んでしまえ! 腐り果てた世界に、これ程おあつらえ向きの機械もあるまいっ!」

 狂気じみた考えが、連を駆り立てた。


 それから約一年後、二〇四六年四月。

 連は、『自動繁殖阻止機』通称『ジハンキ』の試作品を完成させて、公表した。初めのうちは非人道的だのなんだのとあちこちから反発されたものの、後に認められ、実用化される。その後世界中に普及し、十五年後の現在では、世界の至る所に点在している。

『ジハンキ』の成果は、めざましいものだった。一時は『第一次エコロジー・プロジェクト』を、遥かに凌ぐ自殺志願者が出た程だ。

『ジハンキ』の普及により『世界環境保護計画』こと『第一次エコロジー・プロジェクト』は、急遽廃止。二○四六年十一月一日、改訂案の現『地球環境保護計画』が執行されることに、政府議会で決議。

『第一次エコロジー・プロジェクト』には、あらゆる方面から多くの非難の声があった。しかし、他にこれといった案もなかった為、非難の声を無視し続けてきた。

 そこに降って沸いた『ジハンキ』による、自殺ブーム。これ幸いとばかりに、政府は『エコロジー・プロジェクト』の改変を打ち立てた。

 そもそも『自由に生きる権利』が、尊重されているのであれば『自由に死ねる権利』が、あっても良いのではないか。それが、新法案『地球環境保護計画』通称『第二次エコロジー・プロジェクト』の着眼点だった。

 

 そして今日もまた、『ジハンキ』に並ぶ長い列が出来る。何の理由もなく逝く者、衝動的に逝く者、幸せと共に逝く者、絶望の果てに逝く者、足掻きながら逝く者、踏み止まる者……。

 人の数だけ、死に逝く理由がある。


   第二章 ゴマすり男(FLATTER)


 十五時、ジャスト。ようやくオレの番が回ってきた。オフホワイトの無機質なドアーに手を掛ける。今日はまた随分と長い列が出来てたから、二時間近くも待たされちまったよ。

 ジハンキは、今日も大盛況。今時、ここまで繁盛してる商売は中々ないンじゃないかねェ。おっと、政府公認の公共物だから『商売』って言葉は適当じゃないか。でもサ、それくらいこのオフィス・ビルディングには、死にたがりが多いってことかな? 

 皆、狂気に染まった目ェしてさ。泣いたり、怒ったり、喚いたり、もうムチャクチャだ。

「もうオシマイだ!」なンて叫ぶヤツもいれば、「死にたくないんです、死にたくないんです。でも、死ななくてはならないんです」な~ンて、誰かに助けを求めるヤツもいる。

 人によるけど、死ぬ間際になると、人間本性が現れるモンなんだねェ。それに老若男女と、なかなか年齢層も幅広い。

 そういえば今朝、どこの会社でも随分沢山の人間がリストラクチュアリングされたってェいうじゃないか。きっと、朝から並ンでたンだろーね。全く、ご苦労なこった。

 オレといえば、この会社に嫌気がさしたンだ。まぁ、会社っつーよりも、この腐った世界とオレ自身の生き方って、ヤツにかもしンねェが。

 幸いオレには、オレが死ンで悲しンでくれるような、家族がいない。恋人もいない。おっと、『可哀想』とか言うなよ? 本気で、泣きたくなっちまうからさ。

 オレの両親はオレがまだちっさかった頃、政府の機械に殺されちまったンだ。あのクレイジィな『ファーストメジャー・エコロジー・プロジェクト(第一次世界環境保護計画)』に、よってな。

 そん時のことは、今でも忘れねェ。忘れられるハズがねェよ。目の前で死ンでいく両親が、今でもハッキリと思い出せるゼ。


 十七年前、ある寒い日のことだ。オレはそン時、五歳になったばかりのガキだった。

 夜中に何だか知ンねェけど、隠れて両親が泣きながら話し込んでたンだよ。話の内容は、まだちっさかったオレには、正直全然ワケが分かンなかった。ただ、両親があンまし悲しそうだったから、何も聞けなかった。

 翌朝突然、玄関から両親の絶叫が聞こえた。それは生まれて初めて聞いた、断末魔の悲鳴だった。

 あンまし煩かったモンだから、もうすっかり目ェ覚めちまって玄関まで出てったンだ。そしたら、ヒューマノイド・マシーンが振りかぶったビッグハンマーが、両親の足から腕から、人としての全てを叩き潰した。何度も何度も、これでもかってくれェに、両親を叩き続けた。

「助け、やめてっ……。殺さないでぇっ!」

 モノスゲェ悲鳴を上げながら、両親のボディはグチャグチャになっちまった。それこそ本当に、元が何だったか分かンねェくれェの、ミンチにしちまいやがったンだ。

 呆然と立ち尽したオレに、返り血で血塗れになったヒューマノイド・マシーンが、ゆっくり近づいてきた。逃げようとは思わなかった。そンな考えすら、思い至らなかったンだ。想像を絶するその光景に、パラライシスしちまったンだ。

 そンなオレの頭を、ヒューマノイド・マシーンが血塗れの手で、撫でてくれた。両親を叩き潰したのが、嘘みてェに優しい手つきで、オレを宥めるみてェに。

 オレはされるがままで、全然動けなかった。ただ、両親が潰れて跡形もなくなるまで、網膜にクッキリ焼き付くまで、目がそれを捉えていた。紅く染まった世界を、呆然と眺めてることしか、出来なかったンだ。

 そのまンま、オレは抱き上げられて、家の前に止まっていたバスに乗せられた。バスン中には、沢山の人が乗っていた。オレを見て、皆がザワついた。見たこともねェ知らねェオバサンが、オレを抱き締めて、泣きながら言った。

「まだ小さいのに、可哀想にね……」

『可哀想』って言葉を聞いて、初めてオレは泣いた。両親が目の前でミンチにされていくという、あまりに凄惨な光景に、泣くことすら忘れていたンだ。

 悲しみより、恐怖より、激しい衝撃のみが、オレの目と心に残った。それからオレの頭は、パラライシスしたまンま、元に戻らない。


 オレね、こんな喋りかたしてっけど、会社じゃ結構ヘーコラしてンのよ。マジな話。いわゆる、日本人特有のイエス・マンってヤツ?

 別に出世したい訳ってじゃないンだけど、オレも色々あったから、その方が色々と生き易かった。必然的になったって、感じかな。

 まぁ自慢じゃないけど、他のヤツラよか、ずっと賢いを生き方してると思うね。毎日毎日、上司におべンちゃら言ってさァ。さっきも、しょっぼいランチを奢って貰ったよ。最期の飯がハンバーグっつーのも、情けねェ話だけど、もうあの上司と、顔突き合せなくていいかって、思うだけでも清々するね。

 それにしてもジハンキってサ、何だか外観がオフィスのトイレに似てるよな。ああそうか。あンまり禍々しいフォルムじゃあ、ちょっと入るの躊躇っちまうもンな。それに近代的大型オフィス・ビルディングには、似つかわしくないか。

 特に、このオフィス・ビルディングには、死にたがりが多いのか? 堂々と、ロビーに五個も並列している。それこそ、『自動販売機ジハンキ』みてェにサ。にもかかわらず、長い列が出来ている。今か今かと死を望む者達が並ぶ、異様な光景だった。

しばらくすると、目の前にあるドアー表示が、使用中のレッドから空室のブルーへ変わる。同時にカチリという音がして、アンロックされた。ドアーを引くと、音もなくスムーズに開いた。

 中は、いつも働いていた、オレのオフィスに良く似ていた。まァもっとも、あンなにごちゃごちゃしてねぇけど。

 ふと香る、ラベンダーの匂い。正面の壁に埋め込まれた、四〇インチモニター。すぐ下に、ポッカリと口を開けている『リサイクル・シューター』。そして特等席と言わンばかりに、オレを待ち構えている、アーム・チェアー『最期の椅子』。

 そこは、とても自殺する場所とは思えないくれェに、シンプルでキレイだった。

 オレは振り返って、開けっ放しのドアーを閉めようとした。その時、後ろに並んでいた男と視線が合った。ソイツの目はげっそりと落ち窪んで、悲愴と焦燥に駆られた、おぞましい目だった。本当に死にてェヤツの目っつーのは、もしかしたら、こういう目なのかもしンねェ。ソイツを見たオレの顔は、きっと驚愕の表情をしていたに違いない。ソイツはオレを嘲笑うみてェに、僅かに口元を歪ませた。そして言う。

「早めに済ませろよ」

 オレはソイツから逃げるように、急いでヘブンズ・ゲートに鍵を掛けた。いやもしかしたら、それはヘルズ・ゲートかもしンねェけど。 はは……。それにしても、やっぱ人間ってのは死ぬのが恐ェンだな。ロックした瞬間から、膝が笑ってるよ。それに、心臓が痛ェくれェ打って、冷たい汗が全身から噴き出す。

 オレは自分自身を落ち着かせる為、アーム・チェアーに、どっかりと腰を下ろした。贅沢にも皮張りされた座り心地の良い、社長席のような『最期の椅子』は、悲しいくれェに冷たかった。

 今までに数え切れない程の人間達も、後ろに並ンでいたヤツも、そしてオレ自身も、皆ここで最期を迎えるのか……。

 オレが哀愁に浸っていると、モニターに電源が入って『WELCOME』って、テロップが映し出されて、青い画面上でくるくると踊った。――ったく、これから死のうって人間に向かって『ようこそ』は、ねェだろ。

 そうこうしていると、綺麗な女のボイスで、アナウンスが始まる。

「この度は自動繁殖阻止機、通称自繁機ジハンキを、ご利用頂きまして、誠に有り難うございます。まず、ご質問させて頂きます。ご家族、親類関係者、恋人、友達に自繁機で死なれることを、ご報告なさいましたか?」

 いねェよ、そンなモン。必要ねェだろ? 

「それでは、自繁機のご利用方法を、ご説明させて頂きます」

 アナウンスに合わせて、画面が切り替わる。『操作説明①遺言の登録』のテロップ。

「まず、こちらの画面に向かって、遺言を口頭で仰って下さい。キーボードでの入力も可能です。なお、このメッセージは『政府専用・ソフトバンク』にて、お預かりさせて頂きます。メッセージの登録が、必要ない方はスキップ出来ます」

 オレは迷わず、モニター右端の『スキップ』を選択した。さっきも言ったけど、オレには、親しい人間なンてェのはいない。そンなオレに今更一体誰に、何のメッセージを残せっつーンだよ? ひょっとして、笑いかなンか、狙ってンのか? 何なら政府のヤツラに、皮肉の一つでも言ってやろうか? 

 オレは仏頂面で、アナウンスの続きを聞く。切り替わった。モニター画面には『②着衣のリサイクル』のテロップ。

「次に、身に着けている物を、全てリサイクル・シューターへ、お入れ下さい。なお、こちらに入れて頂いた物は『完全リサイクル法』の規定にのっとり、リサイクルされます」

 結構いいスーツだったンだけどな、コレ。ま、死人にどンなに良いスーツ着せといても、もったいねェだけだよな。名残惜しいけど、ここでこのスーツともお別れだ。片っ端から、身に着けている物を脱いで、リサイクル・シューターへ放り込む。再度椅子に座ると、直接肌に触れる皮の感覚が冷たくて、どうにも落ち着かない。

 モニターでは『③終了ボタン』のテロップと、安っぽいCGで、レッド・ボタンの位置が図解されている。

「準備が出来ましたら、椅子に腰掛けて下さい。そして、右肘掛けにあります、赤いボタンを押して下さい。それで終了です」

 終了ねェ。全く、ホント簡単に言ってくれるよな。そのレッド・ボタンってェのを押しちまったら、オレの身体は、シュレッダーで切り刻まれて、死ンじまうンだろうが。まァ、オレもそのつもりで入ったンだから、一応覚悟は出来てるンだけどさ。

 そンで、このレッド・ボタンてのを押したら『完全リサイクル法』ってのにのっとって、オレの身体は、環境に優しいリサイクルされるってェワケだ。

 詳しいことは良く知ンねェけど、愚にもつかないこンなオレでも『世の為人の為』になるのなら、悪くないのかもしンねェな。ああ、そうだったのか。『世の為人の為』って、こンな簡単なことだったンだなァ。今、初めて知ったよ。

 オレは汗まみれの震える右手で、レッド・ボタンを探り当て、そいつを力強く押し込む。

 じゃあな、腐り果てた世界。オレ、先に逝くワ。これで、アンタらの言う『終了』だ。

 それにしても何で、オレの両親はあンなことになっちまったンだろう? それだけが、唯一の心残りだ。


   第三章 悪法も法(HAMBURG STEAK)


 自室の扉をノックする音と共に、機械の無駄に綺麗な合成音声が聞こえる。

「御昼食の準備が整いました」

「ああ、今行く」

 重い腰を上げ、立ち上がる。また今日も、嫌な時間がやってきた。無駄に広い食堂に、無駄に長いテーブル。決められた時間に決められた席へ座らされる。直ぐさまワゴンがやって来て、目の前に香ばしい匂いを漂わせる、ハンバーグ・ステーキが置かれた。溶岩板とかいう特殊な焼け石が、デミグラスソースを煮えたぎらせている。人参のグラッセやバターコーン、フライドポテトが彩り良く添えられて、実に美味そうだ。

「ハンバーグ・ステーキ、シャンピニオンソース掛けで、御座います」

 ギャルソン風の人型機械が、うやうやしく言った。言われなくとも、見れば分かる。そんなことよりも、使っている肉が問題だ。とある馬鹿な科学者が考え出したとかいう、ジハンキで死んだ人間の肉だ。考えただけでも、反吐が出る。しかし、食わねば生きられない。渋々、不愉快で美味いハンバーグ・ステーキを口へ運んだ。


 二〇六一年四月現在。

 人間以外の地球上生物全てが、天然記念動物になってしまった今、食用の肉はほとんど人肉だ。

『地球環境保護計画』制度が、導入された最初の一年位は、いわゆる『同類喰い』に関し、賛否両論に分かれたが、現在は皆当然の様に人肉を食べている。かつて、牛や豚を食べていたのと同じ様に。

 だが現在でも、宗教上の関係や、精神的に受け付けない等の理由から、人肉を食べることを拒む者は多い。

 昔から宗教家達は、戒律で「○○を食べてはいけない」と、していた。捕鯨反対派や右翼左翼は、いつの世にでもいるものだ。そういう奴等は、奴等の好きなようにしたら良い。それで死のうがどうしようが、奴等の自由だ。ワシには関係ない。

 ジハンキの流れはこうだ。まず赤ボタンを押されたら、瞬時に身体をスキャニングした後に、レーザーで解体。次に、使えそうな内臓や目、脊髄等は優先的に臓器移植研究所へ搬送される。一昔前に、高値で取引された臓器密輸や臓器販売は、今や時代遅れだ。

 そして臓器を抜かれた後、肉は食用に回される。あとに残った使えない部位(不良の臓器や骨等)は、潰されて農作物の肥料として加工される。利用出来る物は、全て無駄なく再利用される。

 これが『地球環境保護計画』に重要項目で組み込まれている『自動繁殖阻止機完全リサイクル法』 人間が住み易くする為だけに、ワシら政治家が考え出した最悪な法律。その前の『世界環境保護計画』とて、勝るとも劣らない酷い法律だったが。

『世界環境保護計画』こと『第一次エコロジー・プロジェクト』は、ワシがまだほんの若造だった頃に、行われていた法律だ。

 当時、近所に住んでいた人間が機械に逆らい、残忍な殺され方をした。断末魔の声は四方に響き渡り、周囲を震え上がらせた。当時政治家だった父親に、何故こんな酷いことをするのかと尋ねた。

「逆らった者を見せしめの為、残忍に殺すことで反逆者を減らすことが出来る」

 と、父親は無表情のまま言った。ワシは愕然として、自分の親ながら、何て恐ろしい考えをする人なのだろうと、思ったものだ。

 その時ワシは、必ず政治家になり、誤った法律を変えてみせると誓った筈だ。公約違反や税金で国民が苦しまぬ、正しい綺麗な法律に作り変えて見せると。

 それがどうだ? 『地球環境保護計画』とて、先代達が作ってきた法律と、然程変わらないじゃないか。しかもそれが早くも、亀裂やゆがみが生じ始めている。 自分達が考え、納得して作り出した法案の癖に、こうして現実のものとなると反吐が出る。一体どこをどう間違えてしまったのだろう。

 収賄や贈賄を繰り返す政治家。持論ばかりを振り翳し、相手を陥れる為に野次を飛ばす政治家。何日も経たずに、職を辞任する政治家。自分の尻も拭けず、自殺する政治家。一年持たずに変わる、総理大臣。

 正直、話にならない。今や国会は、頭の悪い子供の喧嘩だ。難癖の付け合いにしか見えない。こんなだから『ねじれ国会』等と、マスコミに叩かれるのだ。好き好んで国会中継を観るなんて奴は、よっぽどの暇人か酔狂な奴だろう。

 救済法案や、酒税・煙草税の増税で一時しのぎをするものの、本当に一時しのぎにしかなっていない。一見豊かに見える日本だが、国の赤字は雪達磨式に増え続ける一方だ。

 超高齢化社会によって、年金支払い年齢はどんどん繰り上がっていく。それに伴って、生活保護を受ける人間も増えた。収入を得る為に働きたくても、働けない社会になっているからだ。

 どの生産工場も機械だらけで、わずかな技術者だけで充分回せる。搬送は、コンピューターに完全制御されたトラックで、事故なく送り届けられる。

 消費者はネット注文で商品を自宅配送して貰い、支払いはカード決済。近年は、現金払いを見る機会も、少なくなった。人間は動かなくても、生きていける時代になったのだ。


 そんな世の中でも、地球環境を守ろうという者達が動いている。『エコロジー』や『MOTTAINAIもったいない』や『3リデュース・リユース・リサイクル』を合言葉に、ゴミを減らす努力をした。生ごみから発生するメタンガスや、植物から作った燃料を使って、化石燃料の消費を減らそうとする運動が、世界中で始まった。

 砂浜を増やし、海の浄化を図ろうとした。植林活動をして二酸化炭素を減らし、地球環境を守る為に貢献した。なかなか立派な心掛けだと思う。

 そしてついには、人間すらも『リサイクル』の対象となった。ここまでするのは、いくら何でもやり過ぎではないだろうか。 

 機械が工場で栽培した、天候に左右されぬ収穫が確実に望める農業。確実に、尽きることなく手に入る人肉。機械が建てた家に住み、死人が着ていた服を着る。そして、機械が作った人肉料理を食べる。こんな世の中を、可笑しいと思っているのはワシだけなのか。

 コストパフォーマンスの面から考えれば、合成蛋白で肉を作った方が安く上がる筈だ。だが『地球に優しいリサイクル』を唱える奴等は「人肉を食う方が正しい」と言う。

 肉となった人間の財産は、政府が我が物顔で根こそぎ奪い、借金だらけの国の穴埋めに使う。善人面して、家畜同然となった国民に『生活保護』と称して、配給する。

 今の御時世、ジハンキが作動しない日などは有り得ない。最低でも、日に百人は肉になる。御蔭で、誰一人として飢え死にすることはない。宗教上、精神上食べない人間は別だが。やがていつしか、親から子へ子から孫へ。人肉を食べることは、当たり前なのだと伝えていく。とても正気の沙汰とは思えない。

 今現在、人口が増えすぎた為に土地にも困窮しており、しかも『完全リサイクル法』で骨も残らないから、墓というものが存在しない。

生きていたという事実は、コンピューター上でデータとして記録が残るのみだ。それも半世紀後には圧縮され、さらにその半世紀後には無名の人間は消去される。歴史上でも、戦死した無名の兵士達を、誰も憶えてはいないだろう。悲しいことだが、これが世界の現実だ。

 全く、最悪にして最高に無駄のない法案だ。そして、最高に馬鹿げている。

 ワシが夢見た理想郷は、ワシが築きたかった理想の未来は、こんな筈ではなかった。どんなに世間一般に後ろ指指されようとも、守りたかった理想。喉も裂けよと叫び続けても、誰にも理解されなかったワシの理想。ワシの理想論は歪み、軋み、崩れいこうとしている。

 革命は必ず、誰かが動かなければ始まらない。その誰かになりたかった。いや、なろうとした。だが、革命は起こせなかった。ワシには、革命を起こす素質がなかったのか。

 もはや限界なのだろうか? 政治組織そのものの、地球の、守りたかったものの全ての。

 こんな世の中にはウンザリだ。馬鹿野郎共の所為で、今にも気が狂いそうだ。同類喰いでも、自殺の支援でも何でも勝手にやってくれ。お前等の好きにするがいい。

 何時か何処かの皿の上で、ハンバーグ・ステーキになったワシの姿を見せてやる。 


   第四章 独り善がり(Alcoholism)


 毎日毎日、ホント嫌んなる。主婦という仕事程、色々な技能を求められる損な仕事はないと思うわ。料理して、洗濯して掃除して、買い物して。子育てに夫の世話。時には力仕事もして、しかも休みなし。

 それなのに、やれ飯は旨く作れだの、やれ文句言うなだの。

「絶対君を幸せにするから、結婚してくれ」

 そうやって、必死で何度も拝み倒してきたから結婚してやったのに、いざ結婚してみたら文句ばっかり垂れて。幸せだったのは、最初のうちだけだった。

 気を遣っている時は全然気付きもしないくせに、ちょっとミスがあったくらいで、ボロクソに言うのなんてヒドイと思うの。こっちの話は聞きもしない癖に、自分の話は聞けなんて自分勝手にも程があるわ。

 中学校に上がった娘も、最近は反抗期で親の言うことなんか、ちっとも聞きゃしない。

「うっさい、ババァ!」なんて、悪い言葉ばかり口にするし。悪い友達を作ってやしないかって、心配するけど娘はどこ吹く風。今日も、不機嫌そうに出掛けて行った。

 ちゃんと、学校へは行っているのかしら。きっと今日も、友達と遊び歩いて、無断で遅くなるつもりね。

 夫は夫でブツブツ文句ばっかり言って、最終的には「お前の育て方が悪い」

 って、全てこっちの所為にする。あんたの所為でもあるのに。家庭を顧みないで趣味に没頭していて、協力しようともしないし。

 毎日一生懸命ご飯を作っても、「旨い」の言葉もひとつもない。ちゃんと味わって食べているのかしら。

「美味しい?」って聞いても「ああ」という、曖昧な答えしかない。

 今日はハンバーグ、昨日は角煮、一昨日は八宝菜。毎日、栄養バランスも考えて、ダブらないように作っているのに、褒められたことは一度もない。今日も夫と二人、顔を突き合わせていても楽しい会話の一つもない。なんてつまらない食卓。せっかく作ったご飯も、ちっとも美味しくない。

 今日あった出来事を、どんなに面白おかしく語ったとしても夫は聞いていない。いつも何かに夢中になっていて、「ふ~ん」とか「へぇ~」とか生返事しかしないし。

 その癖、ご飯時になると「飯はまだか?」と聞いてくる。まるで、家政婦になった気分。夫にとって、妻の存在は何だというのかしら? 

 毎日毎日家事に追われて、気が付くと今日という日が過ぎていく。結婚以来、毎日毎日ずっと繰り返してきたけれど。こうして家事だけで人生が磨り減って、家事だけで人生が終わっていく気がするわ。

 何て不毛な人生。こんな不毛な日々を、これからも五年、十年と繰り返していくの? どんなに世の中が変わっても、結局どこかでシワ寄せがきて、誰かがバチを被るようにできているのだわ。

 

 無味乾燥な毎日をどうにか打破すべく、ご近所さん達が夢中になっている、サークルなんてものを始めてみた。以前から何度も、ご近所さんから誘われていたので、この機に入ってみることにしたの。でも、元々それに興味があって始めたものじゃないから、サークル内で浮いてしまった。 

 こっちを見てひそひそと悪口を言い、振り向くと、さっと目を逸らす。なんていやらしい人達なのかしら。

 そのうち、サークルへ通うのも億劫になってきたけれど。もう年会費は払い済みだから、行かないわけにも行かない。かといって、行くのも辛いし面倒臭い。

 一体、何をしているのかしら? 頑張れば、頑張る程、空回りしているような気がする。だったら、一体どうしたらいいの? わたしの価値って、一体何なの? 

 とてもやりきれない気持ちになって、気が付くと台所に置いてあった買い置きの酒を飲んでいた。夫用のビールも、頂き物のとっときのウィスキーも、料理酒も、「酒」と名の付くものなら何でも良かった。もう飲まなければ、やっていられない。

 そうして、気が付くとアルコール依存症になっていた。麻薬のように、アルコールが癖になって止められない。飲まないと眠れない。アルコールが切れるとイライラして落ち着かず、手が震える。

 酒に逃げるなんて馬鹿げていると思ったけど、頭で分かっていてもどうしようもなかったわ。とにかく酒が飲みたくて、酒代ばかりがかさんでいった。

「何してるんだ、お前!」

「いやっ、離してよ!」

 異常な様子に気が付いた夫が、慌てて手に持った酒を取り上げようとした。取り上げられまいと、必死で抵抗する。でも相手は男、女の力じゃ敵うはずがない。夫の手によって、取り上げられてしまった。

「いやぁああああああああ!」

 どうしようもなくて、床に仰向けになり、だだをこねる子供のように、バタバタと激しく暴れた。その身体を夫が押さえ込んで、こちらの目を覗き込んできた。夫は同情するような、悲しげな表情をしている。

「何があった?」

 結婚当初以来、初めて夫がこちらを向いてくれた瞬間だった。

 それから、二人で久し振りにお互いのことを話し合った。いつも思っていたことや、夫への不満のこと、子供のこと、サークルのこと、将来のこと。ほかにもたくさん。

「もう、何もかもどうでもよくなって……。お酒が止められなくなったのよ」

「お前が、そんなに思い詰めていたなんて、気付かなかったよ。実は俺も、いつも考えていたことがある」

「貴方も?」

「ああ。実は……」

 夫は今まで話してくれなかったこと、娘のこと、わたしのこと……。どうやら夫の方も、色々と不満を抱えていたみたい。思いのたけを話すだけ話し合ったことで、お互いがどれだけ相手を思いやらず、自分勝手だったかが分かった。毎日一緒にいたのに、分かろうともしなかった。結局、自分が一番可愛いんだわ。

 夫婦二人で涙を流しながら話し合うことで、イライラとした気持ちがスッと軽くなるのを感じた。お互いの顔を見つめ合って、どちらからともなく笑った。本当に久し振りに、夫の笑顔を見た気がする。いつも何かすれ違っていた夫と、やっと分かり合えたと思えた。そして、わたしは言う。

「一緒に死のう?」

「俺もそれがいいと思う。ダラダラと生きていても、辛いだけだ」

 夫と手に手を取って頷き合った時、ふと娘の顔が思い浮かんだ。

「でも、あの子はどうしよう? 両親がいきなりいなくなって、大丈夫かしら? ちゃんと生きていけるか、心配だわ」

「でもあの子は、俺達がいなくなっても一人にはならないだろう」

「きっと、友達がたくさんいるわ。あの子も、もう中学生だもの。きっと大丈夫ね」

「逆に『いなくなってくれて、清々した』とか、言うかもな」

 夫がおどけて言ったので、釣られて笑った。でも、と一抹の不安がよぎる。

「ねぇ、もしあの子が『一緒に逝きたい』と言ったら、どうするの?」

「そうしたら、連れていけばいいじゃないか。本当は、生きていて欲しいけどさ。あの子の意思に任せよう」

 穏やかな口調で、夫は遠い目をした。子供を慈しむ、父親の目にも見えた。

「明日の朝、あの子に打ち明けよう。そして明日の夜、一緒に逝こう」

「だったらそれまでに、身の回りを整理しなくちゃ」

「そうだな」

 言うが早いか、夫婦仲良く片付けを始めた。今日と明日の分だけあればいい。あとは、みんな処分してしまおう。愛用のエプロンも、好きだった服も、とっときの靴もカバンも。家族お揃いで買った食器たちも、いくらも使わなかった夫婦茶碗も。

「おい、これは燃えないゴミだよな?」

「それは、燃えるゴミよ」

「え? そうなんだ? なんだよ、この分別って。細かくって、良くわからねぇな」

「『地球に優しいリサイクル』って、ヤツじゃない」

「地球には優しいかもしれないけど、俺には易しくねぇよ」

「ふふっ、誰が上手いこと言えって言った?」

 やれこれは燃えるゴミだの、それは燃えないゴミだの、古紙だの、古布だのと、夫婦共同で分別する作業はとても楽しかった。

 気がつくと、たくさんの過去と想いが詰まったゴミ袋が、パッと見では数えきれないほど出来ていた。

 自分達の遺品を整理するって、何だか不思議な気分。生前葬をする人は、こんな気分なのかしら? 

 そして、一人この世に残していく娘の為に、遺産も保険も全部、受け取りを娘名義にして。少しでも、ひもじい思いをしなくて済むように。余計な面倒を掛けぬように。手続きは全部、済ませておこう。

 こんなにも、娘を愛していたのだと分かるように。わずかでもいい、形で残せたら。どんな状況になっても、やっぱり親は我が子が愛しいものね。こんな時だけど、そんなことを今更ながら実感する。ううん。こんな時だから、なのかもしれない。

 愛している、愛している。愛している……。

 想いを籠めるように、書類に判を押す。

 貴女のことを思う度、貴女の名前を書く度、色んなことを思い出す。貴女が生まれた時のこと、初めて喋った時のこと、初めて立った時のこと、貴女の成長が何より嬉しかった。何もかもが愛しい、可愛い我が子。

 明日、突然死ぬと打ち明けたら、娘は一体何て言うかしら? 夫婦二人して、頭がおかしくなったと思うかもしれない。

 でも、それでいいのだと思う。自殺する人間の気持ちなんて、娘には分からなくていい。こんな気持ちは分からない方が、きっと幸せのはず。

 それにしても、こんなにも明日を待ち遠しく思うなんて、何年振りかしら? 明日の遠足が待ちきれない子供みたいに、胸が高鳴っている。明日死ぬのだというのが、こんなに怖くて、こんなに楽しみだなんて不思議。ああ明日よ、早く来い。


   第五章 同期会(BLOODATH)


 もう逃げられない。死ぬしかない。

 忍び込むようにジハンキへ入って鍵を閉めた。

「この度は自動繁殖阻止機、通称自繁機をご利用頂きまして、誠に有り難うございます。まず、ご質問させて頂きます。ご家族、親類関係者、恋人、友達に自繁機で死なれることをご報告なさいましたか?」

 突然。後ろから声を掛けられて驚く。恐る恐る振り向く。壁に大きなモニター画面があり『WELCOME』の表示。

「まず、こちらの画面に向かって遺言を口頭で仰って下さい。キーボードでの入力も可能です。なお、このメッセージは『政府専用・ソフトバンク』にてお預かりさせて頂きます。メッセージの登録が必要ない方は、スキップ出来ます」

 青い画面に近付くと女性の声がもう一度同じ言葉を繰り返した。

 遺言。遺言というより懺悔かもしれない。しなやかな布張りの肘掛け椅子に座る。画面に向かって話し出す。

「二四人の人間を、殺しました。皆、同期の奴らです」

 それはたった一時間前のこと――


 今夜行われた養護施設の同期会に出席した。小さな居酒屋を貸し切りにした同期会。自分以外の奴らは懐かしい顔触れに話も弾んでいるようだった。

 かつて埋めたタイムカプセルの公開も行われた。それをネタに昔話に花が咲いた。自分はあまり気乗りはしなかった。その当時の良い思い出などほとんどなかったから。

 出来れば忘れてしまいたい。だが忘れることも叶わない大き過ぎるトラウマ。思い出す度に胃が鉛を含んだように重くなる。

『第一次エコロジー・プロジェクト』が施行されていた当時。孤児専用の養護施設が世界各地に数多く存在していた。

『第一次エコロジー・プロジェクト』で家族を失った十八歳までの子供達を政府直属の養護施設で引き取り育てていた。そこで子供達は十八歳まで育てられる。十八を超えたら半強制的に出て行かなければならない。

 悲劇は幾度となく繰り返されてきた。そこへ連れて来られてくる子供達は家族を突然失ったショックで心にトラウマを抱えている。それを無理矢理入れる場合が多い。

 心の影に怯えて苛立ちと怯える。矛先を何処かへぶつけなければ押し潰されかねない。それから逃げるように誰かを犠牲にする。

 いじめ――

 本能的に弱いものを見つけ体の良い八つ当たりの対象とする。そうして犠牲にされた誰かは。他の子供達より多くのトラウマを抱えて生きていかなければならなくなる。

 何年。何十年かかってもその影が消え去ることはなく脅かされ続ける。

 愛し方も愛され方も分からなくなる。人の目に怯えながらも愛されたいと願う。だが愛されない。愛されているかどうかも分からない。

誰かに助けを求めたくても誰に助けを求めればいいのか。誰を信じればいいのか。どうすれば救われるのか。どうしたらこの陰から逃れられるのか。分からない。毎日が苦悩の日々。

 どの世界にもどの時代にもいじめは存在する。大人も子供も。男も女も。無意識の内に弱者を見つけ出していじめる。人間ばかりではない。動物の世界にだっていじめは存在する。

 それでもどうにか生きてきた。少なくとも今日までは。

 胸元には両親の遺言が入ったボイスレコーダーがある。これは両親が自分の為に残してくれたもの。唯一自分を愛してくれていたと分かる代物。

 十七年前。まだ五歳だった自分が養護施設に入る際。両親の遺品と共に政府から渡された。

 だがそれも同期の奴らに叩き壊されてしまった。壊れたボイスレコーダーを抱いて何日も泣いた。壊れていると分かっていても。それを捨てることは出来なかった。

 幸いデータは無事だった。大人になってから軽量化されたボイスレコーダーに入れ直した。

 それ以来。肌身離さず首から下げた。それに縋らなくては心細くて生きてはいけなかった。

 それなのに。いじめていた奴らはいじめていたことを覚えていない。どれだけ酷いトラウマを人の心に植え付けたかも忘れて。どれだけ涙を流しながら恐怖と生きてきたかも知らずに。

 いじめていたという記憶を都合良くすり替えて。笑って生きている。


「それ、何聞いてんの?」

 ミュージックプレイヤーと勘違いした同期の男。イヤホンを断りもなく取った。再生スイッチを入れた。

「何だ、これ……? 遺言?」

「え? もしかして、例のアレ?」

 両親の遺言を今でも大事にしていることに気が付いた女が言った。

「あんたさぁ、マザコンかファザコンでしょ? 相変わらずウジウジして、幼稚ねー」

 ハンバーグを細切れにして食っていた女が嘲笑う。釣られるようにその場にいた奴らも大声で笑いやがった。

 自分の何もかもを全否定された。酷く空しい気持ちになった。その瞬間。ひと時も思い出したくないいじめられていた当時の記憶と感情が一気に甦った。

 頭に血が昇って。目の前で白い光が瞬いた。

「お前達に何が分かる? どれだけ辛い思いをしてきたか、お前達などに分かるものか! 人の顔色を伺い、人の視線に怯え、人の笑い声がいつも嘲笑に聞こえ、それでもなお、愛されたいと、愛想笑いを顔に貼り付けながら生きる人生が、どれだけ辛いか! 惨めか!」

 いじめられる辛さは。きっといじめられた人間にしか分からない。

「うわあぁぁああああああ!」

 制御出来ない怒りに泣き叫ぶ。手元にあった椅子を掴んだ。豹変した自分を見て驚きで声も出ない女目掛けて振り下ろす。呆気ないくらい簡単に首が折れた。

 それをきっかけに場は騒然となった。奴らは恐れ戦いた顔でこちらの様子を伺っている。

「きゃあああああぁぁっ!」

「ひぃぃい! ひ……、ひ、人殺しぃぃ!」

「悪ぃ、言い過ぎた。助けてくれ、殺さないでくれ。許してくれよ……、なぁ?」

 しかしそんな謝罪くらいで暴走した頭がそう簡単に戻るはずはなかった。

 いつだったかお前達に似たような言葉を言った。涙ながらに許しを請うたことがあった。だがお前らは嘲りながら決して許してはくれなかった。あの時と同じことを。いやそれ以上のことを自分はしようとしている。

 殺しても殺しても。殺し足りないくらい憎い。思い知らせてやりたい。込み上げてくる憎しみと苦しみ。いじめられた記憶は決して消せない。

 逃げ惑う奴らを無我夢中で追う。片っ端から殺していった。ある者は首を絞めた。ある者は頭を殴った。ある者は――

 誰かが通報したのか。警察の機械数体が騒々しく踏み込んできた。その時には足の踏み場もない程の血溜り。絶命した奴らで埋め尽くされていた。

 返り血を吸って重くなった服のまま部屋の隅でうずくまっていた。警察は手を差し伸べる。こちらへ近寄ってきた。

「大丈夫ですか、怪我はないですか?」

 どうやら生存者と間違われたらしい。だがきっとすぐ自分が殺ったとバレる。それを恐れて逃げ出した。突然逃げ出す自分を警察は慌てて追いかけてくる。

 殺した奴らの血が鬱陶しく身体に纏わり付く。酷く走りにくい。こんな時まで邪魔するのか。どこまで自分を苦しめれば気が済むんだ。

それでもどこまでも。体力の限界まで走り続けた。血を吐きそうな程苦しくなるまで走り続けた。辿り着いた先にジハンキがあった。

 まるで自分を待っていたかのように。環境に適応するようにペイントされたジハンキ。疲れ果ててしゃがみ込んだ自分に色濃く影を落としていた。

 やがて警察の足音が近付いてくる――

 もう迷っている暇なんかなかった。薄く扉を開けて忍び込むように中に入った。掴んだドアとドアノブには手に握っていた血と汗が付いた。これを見れば警察も追跡を諦めるだろう。


「衝動的殺人でした。ですが許されるはずはありません」

 心の支えだったあのボイスレコーダー。さっきの騒動で失くしてしまった。命より大事なものだったのに。

「皆様。お騒がせしてすみませんでした」

 心にもない言葉が面白いように口から出てくる。

「自分の始末は自分自身で着けたいと思います。皆様さようなら」

 なんて自分勝手な言い分だろう。しかし自殺すること自体が酷く自分勝手なこと。

 むしろ早く殺るべきだった。早く死ぬべきだった。殺人の罪の意識も後悔も何もない。本来なら殺したことを悔んだり嘆いたりするべきなのかもしれない。世を儚んで涙するべきところなのかもしれない。

 だが振り返ることなどしたくない。良いことなんて今の今まで何一つありはしなかった。こんな世界など早く終わってしまえ。ただ毎日考えていた。

『人の命は地球と同じくらい重い』

 そんなことを誰かが言った。そんな訳あるはずがない。奪おうと思えば簡単に奪える。簡単に死ねる。こんな風に――

 どうせ生きていたってくだらない人生をダラダラと生きていくだけなのだから。死にたい奴は死なせてやればいい。死ぬことも出来ない臆病者は世界中に数多くいる。

 そんな奴らで満ちた世界を生きるのもそれもまたいいだろう。生きたい奴らは生きる。死にたい奴らは死ぬ。それだけのこと。他人に干渉し過ぎるな。どう生きようと他の誰でもない。自分が主人公の人生。

 そもそも人間は生まれた時から不平等。この世に平等なものなどただ一つとしてありはしない。あるとすれば『死』。どんな生き物でも生きている以上必ずどんな形にせよいずれ死が訪れる。死のない生などありえない。

 どうせ死ぬなら。いつ死ぬかくらい自分で決めてみてもいいんじゃないか? 


   第六章 だいすき(WORKAHOLISM)


 長年通い慣れた、アスファルトで塗り固められた道を、私は重い足取りで自宅へ帰る。

 この事実をどうやって妻に伝えたら良いか、そんなことを考えながら、玄関の前に立った。呼び鈴を押すと、やや間があってから、玄関の扉が開かれた。

「ただいま」

「お帰りなさい。今日は随分早かったのね」

 私を家へ迎え入れて、妻が優しく微笑む。

 早いと言っても、私がいつも帰る時間から考えて早いということ。実際に時計を見れば、二十一時を過ぎようとしていた。それでも、いつもより二時間は早い。

「お食事はなさいました? お風呂は?」

「後でいい。それより、話がある」

「話?」

 不思議そうに首を傾げる妻に、手で座るように指示した。妻は素直にテーブルセットに備え付けられた椅子に座った。私もテーブルを挟んで、向かいの席に腰を掛けた。上着を脱いで、背凭れに掛けると口を開く。

「実は今日……」

 言い掛けて、思わず視線をテーブルの上に落とす。妻の顔を一寸見ると、不思議そうな顔をしていた。この顔が、悲しみに歪むのを見たくない。だが、告げねばなるまい。私は、意を決して再度口を開く。

「今日、職場に最新の機械が導入されてな。数名の技術者を除いた、全員がリストラされた。当然、この私も対象内だ」

 深く息を吸い込み、最後の言葉を紡ぎ出す。

「明日から、私は無職だ」

「まぁ……」

 妻は酷く驚いたようだった。無理もない。私とて今日突然言い渡されて、狐に抓まれたような気分なのだ。

 これからどんな言葉が、妻の口から吐いて出るのか聞くのがとても怖い。泣くだろうか、それとも怒るだろうか。どう言われようとも、弁解の言葉が思い付かない。

 だが、妻から出て来た言葉は、私の予想とは大きく違ったものだった。

「良かった」

「何?」

 思わず聞き返す。するともう一度、妻は繰り返す。

「良かった。私、とても心配だったの。貴方、朝から晩まで働き詰めでしょう。もちろん、仕事が貴方の生き甲斐であることは重々分かっています。それでも、いつか身体を壊してしまうのではないかと、内心冷や冷やしていました」

 その時私は、久方振りに妻の明るい笑顔を見た気がした。いつも妻は、私の行き帰りに玄関先で笑顔を見せてくれていた。だが、何かわだかまりのあるような笑顔だった。

「ですから、こう言っては何ですけれど、私は嬉しいです」

 そうか。私は仕事に熱中する余り、家族が心配してくれていたのに気が付かなかった。

「あの子も、きっと喜ぶわ」

 妻が視線を移す。その壁の向こうでは、娘が寝ているはずだ。そういえばここ数年、娘とは挨拶以外の言葉をまともに交わしたことがない気がする。こんな父を娘はどう思っているだろうか。

「ともかく、しばらくのんびりとして下さい。今までお勤め、お疲れ様でした」

 妻が軽く頭を下げて、満面の笑みを見せた。私も釣られるように、頭を下げる。

「あ、こちらこそ心配掛けて済まなかった」

「良いんですよ、家族じゃないですか。心配するのは、当然でしょう?」

「そういうものだろうか?」

「そういうものですよ」

 そんな話し合いの後、妻に勧められてゆったりと湯船に浸かった。烏の行水同然だった私にとって、湯船にゆったり浸かることなど、今まで一度としてなかった。体の芯まで温まる感覚、思わず安堵のため息が出る。今日は久方振りに、熟睡出来そうだ。そういえば、最近はずっと睡眠不足気味だったと、思い出す。

 時間がなかったのだ、今までの私には。だから思う暇もなかった。先程まで話していた、妻の言葉を思う暇なぞ。

『家族』か。私にとって『家族』とは一体、何だったろう。守るべきものだったろうか。いや、もっと淡泊なもの。仕事が終わったら帰って寝る場所、そんな感じだった気がする。

 毎日型通りの挨拶をして出掛け、仕事をただ淡々とこなして帰る。一体どれだけ、そんな味気ない毎日を繰り返して来ただろう。

 果たして今まで、私は生きていたのだろうか。そんな錯覚すら覚える。昨日までの私は、機械同然の生活だったのかもしれない。今日からの私は、人間らしく生きられるのだろうか。そんな、いらぬ心配までしてしまう。

 いいや、大丈夫だ。きっと明日の私には、新しい何かが見えるはずだ。


 翌日、私はいつもの習慣で、いつもの時間に目が覚めてしまった。全く習慣というものは、なかなかどうしてすぐには直らないものだ。

 寝巻きから普段着に着替え、居間へと移動した。居間では、妻が朝食の準備をしていた。匂いから察するに、私の好物であるハンバーグだな。朝からハンバーグとは、なかなか豪勢だ。もしかすると、私がいるからだろうか。楽しみだ。

「あら、お早うございます。まだ、寝ていて良かったのに」

「うん、目が覚めてしまってな」

 私は、まだ朝食の整わないテーブルに着く。ややあって、娘がランドセルを持って居間へやって来た。そして仕事着ではない私を見て、酷く驚いた。

「お父さん、どうしたの? 病気?」

「いいや、違うよ。実はお父さんはね、仕事を辞めたんだ」

 本当は『辞めた』のではなく、『辞めさせられた』が正しいがね。

「そうなんだ? じゃあ、みんなと同じになったんだね」

「同じ?」

「他のお父さんはね、ほとんど働いてないんだって。だから学校のみんなは、わたしんちは『珍しいね』って、言ってたよ」

 娘は無邪気に笑いながら、自分の席に着いた。

 今現在、政府に依って『生きる権利』が尊重されている。働かなくとも生活保護を受けて、生きることが出来る。今や、人口の七割が適用されているのだというから驚きだ。

 だから娘の言う『みんな』は、つい昨日まで働いていた私を『珍しい』と、言ったのだ。

「だからね、他のお父さんは学校が終わると、遊んでくれるんだって」

「じゃ、今度三人で遊園地にでも行こうか」

「本当? お父さん大好き!」

「お父さんも、お前が大好きだよ」

 私と娘のやりとりを見ていた妻が、さもおかしそうに笑った。

「こんな時だけ、大好きなんて。現金ねぇ、この子は」

「だってお父さん、今までこんなに笑わなかったよ」

 笑わなかったのか、私は。

 そういえば初めてだな、『大好き』なんて言われるのは。確かに今日の私は、今までの私とは明らかに違う。仕事を辞めたことで、こんなに変わるなんて驚いた。悪くない気分だ、むしろ楽しい。

 朝食をこんなに楽しい気分で食べたのは、何年振りだろう。飯をこんなに美味いと思ったのも、久方振りだ。いや、妻の飯は元々美味かったはずだ。それに気付けなかった程、私は仕事のことしか考えられなかったのだ。

「美味いな」

「初めて聞いたわ、そんな言葉」

「ああ、初めて言った」

 私は自然と笑みを浮かべた。すると、妻も嬉しそうに微笑んだ。

 なかなか良いものだ。『家族』というのは。こんな言葉一つで、幸せになれるなんてな。それなのに、今までなんと勿体ないことをしてきたのだろう。これからは、それまでの分を取り戻す為に『家族』を大事にしよう。


 それから三日後の日曜日。

 私は娘との約束通りに家族で遊園地へやって来た。娘はこれ以上ないという位にはしゃいで『大好き』を、連呼した。私も、可愛い我が子と優しい妻と一緒で、とても楽しかった。

 だが、私の中のどこかで『何かが違う』という感じがする。何が違うというのだろう。私自身も分からない、何とも言い難い違和感。それは三日程前から、少しずつ頭角を現し始めたものだ。

『何かが違う』頭の中で、何度も繰り返される言葉。それが一体何のことだか、分からないから恐ろしい。

『私は一体、何をしている』はしゃぐ娘と手を繋いだ時、唐突に浮かんだ新たな言葉。

『何故、私はここにいるのだろう』次々と浮かぶ、私ではない、私の言葉。

『仕事をしなければ』だがあの職場に、私のいるべき場所はもう何処にもない。

『こんなことをしている暇はないはずだ』しかし、私に出来る仕事はもう何もない。

『ここにいるべきではないのかもしれない』では、一体何処へ行けばいい? 

『機械が、私の生き甲斐を奪った』そして、今までに感じたことのない、どうしようもなく大きな虚無感が、心を侵食していく。

 私は、私に還っていく。

 そうだ。私は、こんな所にいるべき人間ではないはずだ。だが、私は何処にもいけない。世界中、何処を捜しても私のいる場所はない。そんな気がしてならない。

 家族と一緒にいると楽しい。そのはずなのに、何処か冷淡な自分がいる。このえも言われぬ苛立ちと、心の何処かに空洞が空いたかのな、虚しさだけがそこにある。

 私は今、生きているのだろうか? まるで、実感が湧かない。果たして、それまでも生きていただろうか? それすら、自信が持てない。生きているのか、死んでいるのかどうかも分からない、酷く中途半端な気持ちになる。

 ああ。私という存在は、一体何なのだ? 

 これからの私は、フォアグラになる為だけに生まれてきたガチョウのように、政府によって生かされて生きる存在になるのだろうか? 

 生かされなくとも、少なくとも今までの私は自分の力で生きて来たはずだ。『みんな』は、それで良くとも、他人に生かされて生きる人生なんぞ、私には到底考えられない。それならば、いっそのこと殺してくれと叫びたくなる。

 そもそも、この御時世に働けるということ自体が特殊なことだ。皆働きたくとも働けない。今働ける人間というのは、機械が出来ない特殊な技術を必要とする仕事くらいなものだ。それ以外の仕事はしたくとも出来ない。人手が有り余っているからだ。

 配給されてくる金は、定められた水準の最低限の金額であって、本当に僅かなものだ。定められた水準以上の生活をしたかったら、働くしかない。だか、働くのに必要な技術がなければ働けない。果てしないジレンマ。


「お父さん、どうしたの?」

 娘の声で、急速に心が戻ってくる。笑みの消えた私の顔を、娘が覗き込む。沈み掛けた夕日が、心配の色を浮かべた娘の顔を照らし出す。私は慌てて娘に微笑みかけた。

「ごめんな。ちょっと急用を思い出したから、お母さんと二人で帰っていてくれないか?」

「大事な用事なの?」

「すまない、きっと今日は帰れない」

 私の言葉に、娘は寂しげな表情を浮かべた。しかし、妻似の物分かりの良い娘は、笑顔になって頷いた。

「わかった。じゃあね、お父さん。バイバーイ!」

「ああ、バイバイ」

 娘が妻と手を繋いで、私に向かって大きく手を振った。私も手を振り返した。もう会えなくなる娘に向けて『バイバイ=さようなら』と。涙を堪えた私の顔は、上手く笑えていたろうか。

 無邪気な笑顔を浮かべる娘の横で、妻はいつだったかの『いってらっしゃい』のわだかまりのある笑顔を浮かべていた。

 娘はこちらに背を向けて立ち去る時、もう一度振り返って満面の笑みを見せて、最後にこう言った。

「大好き!」

 今日何度も聞いたその言葉は、もう二度と聞くことが出来なくなるであろう。ああ、なんて愛おしい言葉。

 久方振りに見た、妻と娘の楽しそうな笑顔。そして、『大好き』の言葉。それを深く胸に刻み込む。

 もしかしたら妻と娘は、私がこうなることを知っていたのかもしれない。


 この遊園地内には、楽しげな雰囲気に到底相応しくない物がある。私は『それ』があることを、ここに来た時から知っていた。『それ』に向かって、ゆっくりと歩き出す。

 目立たぬように、遊園地の片隅にひっそりと置かれた巨大なカプセル型の機械が、夕闇に溶け込みかけている。表面には、恐ろしい物には似つかわしくない、遊園地らしい綺麗な色彩のイラストがペイントされていた。 

 扉を開けると、最初に名も知らぬ花の香りがした。内装は外装と違って真っ白な半坪程度の部屋だった。正面には四十インチ型テレビの画面が壁に張られていて、直ぐ下には『リサイクルシューター』と、書かれた三十センチ程の横穴が空いている。そして、部屋の中心にはスプリングが効いた、黒色の肘掛付き椅子が鎮座していた。

 私は扉を閉めると、用心深く鍵を下ろした。緩慢とした動きで、椅子に浅く腰掛けた。

 すると、目の前のテレビ画面に電源が入り『WELCOME』の文字が映し出された。それと同時に、歯切れの良い明るい女性の声で、説明が始まる。

「この度は自動繁殖阻止機、通称自繁機をご利用頂きまして、誠に有り難うございます。まず、ご質問させて頂きます。ご家族、親類関係者、恋人、友達に自繁機で死なれることをご報告なさいましたか?」

 していない。そんなこと出来るはずがない。残していく家族を目の前にしたら、何と言って別れを告げればいいのか、私には分からない。

『今なら、まだ戻れる』確かに今踏み止まれば、家族の元へ戻れるだろう。だが、戻ったとしても、また同じことを繰り返してしまうに違いない。

 出来れば一秒でも早く、頭の中で繰り返される言葉から開放されたかった。私が、私に惑わされてしまう前に、狂ってしまうその前に。

 ふと、エドワード=ムンクの『叫び』にまつわる話を思い出した。

 強烈な苦悩と恐怖、そして孤独で身をよじるようを表したムンクの代表作だ。これは、彼の実話を基づいているのだそうだ。憂鬱な気分に陥っていた彼は「自然を貫く大きな叫び声が果てしなく続くのを聞いた」と、いう。それに恐怖した彼は、思わず身をよじって耳を塞いだのだ。

 私の頭の中で繰り返される言葉も、彼とまた同じものなのだろうか?

 しばらくすると女性の声に合わせて、画面が切り替わる。

「まず、こちらの画面に向かって遺言を口頭で仰って下さい。キーボードでの入力も可能です。なお、このメッセージは『政府専用・ソフトバンク』にてお預かりさせて頂きます。メッセージの登録が必要ない方は、スキップ出来ます」

『遺言』果たして今の私に必要だろうか。画面に向かって身を乗り出し、口を開く。

「二人共、すまない。私は先立つことを決めた。君達には、申し訳ないと思っている。だが、私にはこれしかなかったんだ。こんな私の、身勝手な行為を許して欲しい。たった三日間だったが、私は家族として本当に幸せだった。何も、君達のことが嫌いで死ぬ訳じゃない。それだけは、分かって欲しい」

 血を吐くような思いで『遺言』を遺した私は、録音終了のボタンを押そうとして、一寸手を止めて呟く。

「だいすき」

 最後にそれだけ言って、閉口した。たった四文字の言葉に、全ての思いを込めた。幸せなまま、死にたいと思った。自分自身がおかしくなる前に、消えてしまいたい。自分が分からなくなるような醜態を、愛する家族に見せたくはなかった。

 様々な思いが交錯する中、私は録音終了のボタンを押した。

 そんな私とは裏腹に、女性が軽快に説明を再開する。

「次に、身に着けている物を全てリサイクルシューターへ入れて下さい。なお、こちらに入れて頂いた物は『完全リサイクル法』の規定にのっとり、リサイクルされます」

 私は黙々と着ていた服を脱ぎ、リサイクルシューターへ放り込んだ。

「準備が出来ましたら、椅子に腰掛けて下さい。そして、右肘掛にあります赤いボタンを押して下さい。それで終了です」

 アナウンスは、それで最後だった。

 私は椅子に深く腰掛けると、目蓋を閉じて肘掛のボタンを優しく押し込む。そして家族の笑顔を思い描きながら、穏やかな気持ちで最期の時を待った。


   第七章 幸福な結末(CINDERELLA SYNDROME)


 ウチは、いつもん通りに大学寮ん自室で、大好きな恋愛ドラマを観てた。立ち塞がる、さまざまな障害を乗り越えて結ばれる、いわゆるドラマの王道っちゅーんを、恥ずかしげもなくやってのけるってヤツや。

 でも、女ってどない王道かて分かってても、結局ハッピィエンドが好きなんや! ほら、良う言うやろ『ドラマみたいな恋したい』て。

せやけど実際にあないなコトって、ゼッタイにありえないやん。実際やったら、ホンマ赤面もんやで。

 大抵、ありきたりなフツーの男と付きおうて、ありきたりなフツーの結婚して、ありきたりなフツーの結婚生活して、ありきたりなフツーの最期を迎えるんや。

 それでも夢を見る。運命の王子様が、いつかウチを迎えに来てくれるって。いくつになっても、女ってぇのは、夢見るシンデレラみたいなもんや。あははっ。シンデレラやて、おかしっ!

 ウチかて、彼氏おるけど。運命の王子様って、カンジじゃないわな。ありきたりな男と、ありきたりな恋愛してるってわけや。

 でもな、それなりに幸せやで? それなりにカッコえーし、それなりに優しーし、一緒にいて楽しいって思えるから、大好きや! 

 実際の恋愛なんて、そんなもんやろ? 『白馬の王子様』とか、『運命の出会い』とか、『衝撃的な展開』とか、そないなもんはドラマやから、成り立つもんやしね。


 いつもん通りの展開で、ドラマは終わり。そのすぐ後に、間髪入れずに『エコロジィ・プロジェクト』って、三分番組があるんや。毎日一時間ごとに入ってる番組なんやけど。クラッシックが流れる中『エコロジィ・プロジェクト』って文字の後、大体知らない名前が五十人くらい、バーっと画面いっぱいに出て。それで、お終い。

『エコロジィ・プロジェクト』って、例の『ジハンキ』で、自殺した人達の名前や。

 一日平均少なくて五十人、多い時は百人以上にも上ることすらある。毎日、それだけの人が、あの『ジハンキ』で死んでるんやなぁ。

 ホンマにスゴかった時は、一日に五百人とか千人が死んだって噂があるんやけど。それって、たぶんデマやで。せいぜい二百人ってトコやろ? いくらスゴい言うても、そないな人数死ぬって大変なことやないの! 

 そないおったら『ジハンキ』でも、処理しきれないんやないやろか? もしそれがホンマやったら、きっと『ジハンキ』に、モッソ大行列が出来たと思うんやけど。

 並んでいるうちに、諦めてしまう人とかおらんかったんかいな? どない並んででも、死にたかったんかな? やっぱ、自殺する人の気持ちなんてよう分からんわ。

 そないなコト言うてても、『エコロジィ・プロジェクト』っちゅー文字が画面に出ると、何とはなしに知った人はいないかって、探してしまうんは人情やな。

『知らぬが仏』っちゅー考え方も、あるかもしれんけど。でも知らんよりかは、知っとった方がええ気がせぇへん? 知らんまんまの方が不幸やって時も、世の中たくさんあるやんか。

 例えば、自分にとって大事な人が死んだとするやろ? それ、知らん方が幸せやろか? ウチは知りたい。どんな悲しい結果でも、人には知る権利っつーもんがあるんやから。

 でも、『エコロジィ・プロジェクト』に知った名前がおらんかったコトを確認して、安心する。人間て、現金やな。こんだけの人が毎日死んでるっちゅーのに、ホンマ他人事や。

 聖職者じゃあないんやから。知らん人の為に、いちいち悲しんでられんわな。もう自分自身のコトしか見えへん。仕方ないわな、そういう時代なんやから。

『こんな時代に誰がした』ってよう言うけど。きっとこないな時代にしたんは、誰でもないんや。誰って訳やない。みんながみんなして、こんな時代を作り上げたんやと思う。

 さてと。明日は、ありきたりでも愛しの彼氏とデート♪ 早う寝て、早う起きて、楽しいデートの準備をせな。ほな、おやすみー。


 で、翌日や。ウチは上機嫌でテレビの天気予報を観ながら、デートの準備をしとった。やっぱ、天気は気になるもんなぁ。

 そしたらまた、『エコロジィ・プロジェクト』の文字を見ることになってん。それは今朝七時から八時までの分やった。そん中に、デートするハズになっとった彼氏の名前があった。

「え? マジっ?」

 ウチはショックのあまりに、口にしていたハンバーグを、皿の上に落としてしもうた。べちゃりと、音を立ててソースが撥ねた。お気に入りの服に染み付いたけど、そないなコトどうでもええ。

「なんでや? ウチら、ずっと前からデートの約束してたやないか! 突然、ウチのコトやんなってしもたんか? イヤなコトでもあったんかっ? わからへんっ、なんでやっ!」 

 ウチのアタマは、パニック寸前。こないなもん、ドタキャンなんて簡単なもんやない! さっきまでウキウキでいっぱいだった気持ちが、どっかいってしもうた。

 ウチは急いで、パソコンを起動してん。インターネットで、政府の公式ホームページにアクセスする。メニューアイコンの中から、『自動繁殖阻止機専用ソフトバンク』をクリックすると、新しいウィンドウが開いて『遺言一覧』のタイトルと、自殺者の名前が画面いっぱいに広がった。

 ここから、ウチの捜し人を見付けようと思ったら、それこそ1日かかっても無理や。 

『遺言一覧』ってタイトルの下には、『自殺者検索サーチ』ちゅーもんがある。これで、彼氏の名前やキーワードを入力して『検索』

「どうか、見間違いか同姓同名の他人でありますようにっ!」 パソコンに懇願しながら、画面の更新を待つ。

 ややあって、『該当一件』という文字。ウチは、鳥肌が立つのを感じた。

 それによれば、今朝七時九分に今日の待ち合わせ場所近くの『ジハンキ』で、自殺したコトが表示された。『遺言再生』をクリックすると、メディアプレイヤが開く。画面に、思いつめた彼の顔が映し出された。

「お父さん、お母さん。先立つ不幸をお許し下さい。僕は、生きていることに疲れました。さようなら」

 あまりに月並みな遺言に、ウチはアホみたいに口開いて、しばらく言葉も出んかった。

「っていうか、何やそれ? フツー、彼女とデートする日に死なんやろ? ウチに対する謝罪の一言もないっちゅーんも、腹立つなー! もう、信じられんっ。アンタを愛しとった、ウチの立場はどないせーっちゅー話や! なぁ、アンタはウチのコト、ちゃんと愛しとったんかっ? 勝ち逃げやないの、そんなん反則やでっ!」

 届かない言葉を、嘆き続ける愚かなウチ。アホやなぁ、もう帰って来ぃひんのに。

 悲しいというよりも、自分のアホさ加減に頭がきて涙が出たわ。今となっては、もう分からん彼の死んだ理由。あないな月並みの遺言で、一体何が伝えられるっていうんやろ? 

 ウチは、彼の何を見ていたんかな? 彼のコト大好きやから、何でもゼンブ分かっとるつもりやった。でも、なんも分かってなかったんや。ウチは、勝手に恋愛ゴッコしてたんかな? 恋愛したかっただけかもしれへん。勝手に王子様に仕立て上げて、振り回してただけやったっちゅーコト?  

 もしかすると彼を死に追いやってしまったんは、ウチ自身やったかも知れへん。きっと今日自殺したんは、ウチに対する当てつけのつもりだったんやない? ゴメン。今更遅いかも知れへんけど、ホンマ気付けんでゴメン。もっと早く気付くべきやった。

 思い返せばウチ、エラいワガママな女やったと思うわ。どうでもええコトで拗ねたり、八つ当たりしたり、無理難題を押し付けたりもしたなぁ。でも、何も死ぬコトはなかったんやない? やりすぎと違う?

 ウチがパソコンの前でブツブツ言うてると、玄関からチャイムの音が響いた。

「はーい。どちらさん……」

 玄関のドアを押し開いて、薄く外が見えた瞬間。ウチに向かって、何かが飛び込んできよった! あんまり早くて、何が起こったか分からんかった。けどしばらくして、自分の胸に何かが刺さっとるコトに気付いた。

 痛い、冷たい、熱い、苦しい! 色んな感覚が一斉に、ウチに襲い掛ってきよった。冷や汗が身体の至る所から、どっと噴き出す。

 何や? ウチの身に一体何が起こったんや? 

 恐る恐る手ぇで確認すると、包丁かなんかやと思われる黒い柄が生えとった。それが、根元までずっぽりウチの左胸に刺さっとる! 分かると同時に、膝がカクカクと笑い出して、立っていられんようになった。

 何で? 何で刺されなあかんの? 何も悪いコトなんかしとらんのに。人様に殺されるようなコト、覚えなんかない。それなのに、何で? イヤや、イヤや、死にとうない! 死にとうないよ! 恐い、助けて、誰か! 

 叫びたくても、痛くて声も出ぇへん。無意識の内に、涙も溢れ出して止まらん。ああ、もうあかん。だんだん意識が朦朧としてきよった。

 でも、誰が犯人かを知らんで死ぬんはイヤや。死んでも死に切れん。ウチは残された力を振り絞って、どうにか顔を上げた。そこには――

 ほぉら見てみぃ。現実は、恋愛ドラマみたいなハッピィエンドにはならへん。


   第八章 神さまとやくそく(GOD AND A PROMISE)


 今日のお昼ごはんは、ボクの大好きなハンバーグだった。

 お昼ごはんのあと、ママがいなくなったすきに、ボクは、こっそり病室をぬけ出して、この『じはんき』の前にやってきたんだ。

 病院の中にも、『じはんき』があるってことは、ずっと前から知ってたけど、ここに来たのは、今日が初めてなんだ。ホントだってばっ!

 でも、このことはだれにもナイショだよ? とくに、ママには、言っちゃダメだからね? 

 この前も、『じはんき』の話を聞いたら、すっごく怒られちゃったんだ。

 でもね、ちょっと前に、かんごしさんから、こんなことを聞いたことがあるんだよ。

 むかしとくらべたら、世界はうんと進歩して、治りょう法が、ドンドン作られたんだって。

 だから、今となっては、じゅみょうをかるくこえて、生きることだって、可能になったんだ。

 それでも、こんなに医学の進んだ今でも、ぜったいになおらない病気になる人達が、かならずいるんだってさ。

 そういう人たちが、夜な夜な『じはんき』に入っていくんだって。

 でも『夜な夜な』って、いうことだったら、昼ならだれも来ないんじゃないかと思って。

 こうやって来てみたんだ。

 思った通り、『じはんき』のまわりには、だれもいなかった。

 やっぱり、人って『夜な夜な』じゃないと、死にたくならないものなのかなぁ? 

 ボクの目の前の『じはんき』は、病院のすみでかくれんぼするみたいに、おいてあった。

『じはんき』って、もっと怖い物かと思ってたんだけど、本物はなんかふつうだった。

 病院とおんなじ色で、形はいつも飲んでるカプセルを、うんと大きくしたみたいな感じ。

『じはんき』の戸を開けようと、手をのばした時、すぐそばの木で鳥が、バサバサッ! って音を立てて飛んだんだ! 

 ボク、すごくビックリして、心ぞうが飛び出して、死んじゃうかと思ったよ。

 おおげさみたいだけど、その位ビックリしたんだ。

 だって、ボクがここに来てることは、だれにもナイショなんだからね?

 もう一度まわりを見回してから、ボクは『じはんき』の戸を開けた。

 するとお花畑みたいな、すごくいいにおいがした。

 ボクは、のりなれた車いすから立ち上がった。

 入り口がせまくて、車いすじゃ入れなかったから立つしかなかったんだ。

 ゆっくりでなら、あるけないこともないし。

 中に入ると、そんなに広くなかった。

 一人ようのおトイレを、ちょっと広くした感じ。

 あんまり物がおいてなくて、部屋のまん中に、ひじかけがついたいすがあるだけ。

 一番おくにテレビがあって、その上から木でできた小さな神さまが、ボクを見下ろしていた。

 かべもゆかも、天じょうもみんなまっ白で、なんとなく、ボクの病室ににていた。

 ボクが入ると、後ろでバタンッ! って音がして、戸がかってに閉まっちゃった!

 あわてて戸をさわると、カギは開いていた。

 閉じこめられたわけじゃなかったので、安心して、中を見わたしていたら、『じはんき』のおくにあるテレビが、とつぜんしゃべり出した!

「この度は『自動繁殖阻止機』、通称『自繁機』をご利用頂きまして、誠に有り難うございます。それでは、自繁機のご利用方法をご説明させて頂きます……」

 なんだか、むずかしいことをズラズラ言われて、良くわからなかったんだけど。

 たぶん、そこにあるいすに座ったら、死んじゃうみたいなことを、言ってるんだと思うんだ。

 なんだか急に怖くなった。

 だってここに座ったら、今まで生きてきたボクの人生は、なにもかも終わっちゃうんだ。

 ボクの前にこのいすに座った人達は、怖くなかったのかなぁ? 

 ボクは、テレビの上の神さまに、話しかける。

「なんでボクが、ここで死のうとしているのか、神さまにはわかりますか? ボクはたぶん、みんなにきらわれた子なんです」

 だってボクは、ママがわらっているかおを、今まで見たことがないんだもの。

 ママはいつもボクを見るたびに、泣くんだ。

「辛いよね、苦しいよね。丈夫に産んで上げられなくて、ごめんねぇ……」

 そう言って、ボクを抱きしめるんだ。

 すごくかなしそうなかおして、なんどもなんどもあやまるんだ。

「泣かないで、なんで泣くの? ママは、何も悪いことしてないよ?」  

 って言っても、ママはいつも泣きながらあやまるんだ。

 ママが泣くと、ボクもすごくかなしくなる。

 もうボクは、ボクのせいで泣くママのかおは、見たくないんだよ。

 きっとボクがいなくなったら、ママはこれ以上ボクのせいで、かなしまなくてすむと思うんだ。

 それにお医者さんが言っていたのを、ボクはこっそり聞いたことがあるんだよ。

「もって、あと半月かと」

 たぶん、もうすぐ死ぬっていみだと思う。

 ボクは、なんで生きているんだろう?

 こんなに苦しくて、こんなにいたい思いをしているのは、なんでなんだろう?

 こんなにみんなを苦しませるのなら、ボクなんか、生まれてこなくて良かったのに!

 生きているだけで、みんなを悲しませるのなら、死んでしまった方がいいと思うんだ。

「でも神さま、死ぬ前に一つだけ、おねがいがあります。どうかママのわらったかおを、一度だけでいいから、ボクに見せて下さい」

 ママのわらったかおは、まだ見たことがないけど、きっと大好きだと思うんだ!

 だって、ママが大好きなんだもの。

 きっともっと、大好きになれると思うんだ。

 できれば、ママをわらわせてみたいなぁ。

 そしたらきっと、死ぬのも怖くないと思うから。

 ママのわらいがおを見れたら、必ずもう一度『じはんき』に来るから。

「どうかお願いします、神さま」

 そうお願いしたら、小さな神さまがボクにむかって、わらいかけてくれたように見えた。

 ボクは神さまとやくそくをして、『じはんき』の戸を開けた。

 外の空気が『じはんき』に入ってくる。

 ボクは、あらたな気持ちで『じはんき』の外へ出た。

 いざ死ぬと決めたら、なんだか気持ちがとてもラクになった気がした。

 もともと何もしなくったって、どうせもうすぐ死ぬんだもの。

 だからね、あとちょっとだけ、生きててもいいかな? 

 ねぇ、神さま? 


 それから九日後、十九時四四分。

 ひとりの少年が病死した。


   第九章 クラス替え(A FAMILY SUICIDE)


「父さんと母さんは、今夜、ジハンキに入ろうと思う」

 どこにでもある、朝食風景。父と母と三人で食卓を囲んでいた時、突然父がそんなことを言い出した。

「は? 何言ってんの?」

「何の冗談でもないわ。何かわたし達、生きることに疲れちゃったのよ」

 やんわりと、母が紅茶をすすりながら言う。

「あんた達中学生はいいわよ、まだ夢があるから。でもね、わたし達の世代になると、生きていることがどうでも良くなっちゃうの」

 父がまるで緊張感のない表情で、母の後を続ける。

「それでだ。昨日母さんと話し合って、二人で死のうと決めたんだ」

「はぁ? ナニソレ? アタシに相談なく決めて! 勝手もホドがあるわ!」

 勢い良く、食卓に両手を付いて叫ぶ。すると父と母は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐ柔らかく微笑んだ。父は何をカン違いしたのか、手をポンと打ち付けた。

「そうか、仲間外れにされたことがイヤだったのか。悪かったな」

「そういう問題じゃない!」

「どういう問題なのよ?」

 母はキョトンとした顔で、アタシの顔を、うかがってくる。父と母が、まるで悟りを開いたみたいに、温和になっている。いつもの二人じゃない。いつもはもっとイライラしていて、グチばっかり言っていた。それが良かった訳じゃないけど、今の二人は何だかキモチワルイ。

 アタシが何も言わないでいることを、どう受け取ったのか、父が満面の笑みを浮かべる。

「良いんだぞ? 父さん達と一緒に逝っても」

「イク?」

 アタシが聞き返すと、母は父と顔を見合わせてからうれしそうに笑った。

「いいのよ、好きな方を選びなさい? 一緒に逝くか、一人で生きていくか」

「そんなこと、急に言われたって、決められる訳ないでしょ!」

 ブチキレるアタシを、何故かいとおしそうな目で母は見ていた。

「別に急いで答えを出さなくてもいい、今日一日じっくり考えなさいね」

「お前が良い方を、選んでくれたらいいんだ」

「もう知らない!」

 アタシは二人のやり取りにバカバカしくなり、食べかけのハンバーガーを放り出して、家を飛び出した。

 全く、二人ともアタマおかしい! 昨日までは、こんなじゃなかった。二人の身に、一体何があったんだろう? 


「おっはよう!」

「あ。おはよ……」

「あれ? 元気ないじゃん、何かあった?」

 登校途中、同じ学校に通っている親友がかけ寄ってきて、心配そうにアタシの顔をのぞき込んだ。

「う、ん。ちょっとね」

「良かったら、話してみなよ。少しは楽になれるかもよ?」

「うーん、一体何から話していいやら」

 アタシがミケンにシワを寄せてうなると、彼女は気さくに笑いかけてくる。

「じゃあ、長くなってもいいから。始めから、全部話してみなよ」

「う、うん。実はね……」

 アタシは今朝のやり取りを、全て彼女に話した。すると彼女は驚いた様子もなく、軽くうなずきながら明るく言う。

「そっか、アンタんちもそうなんだ。でも、それって良くある話じゃない?」

「そうなの?」

「そうだよ。しょっちゅう、クラス替えあるじゃない? あれって、そういう意味だったんだよ? 知らなかった?」

「知らなかった」

 そういえば、学校でひんぱんにクラス替えがある。十五クラスあるにも関わらず、三ヶ月に一度くらいの割合でクラス替えがあった。

「クラスメイトの顔ぶれを、覚えさせない為にやってんだって。クラスが違えば、急にいなくなったって、結構気付かないじゃない?」

「うん、まぁそうかも。そうかもしんないけどさぁ……」

 知らない内に、そんな工作が行われていたなんて、何だかショックだ。

「今週頭から、一番前列の、窓際席から右に四番目の席が空いてるじゃん? あの子んちも、一家心中したんだって。イマドキ、全然めずらしいことじゃないよ」

「詳しいわね」

「任せてよ」

 あきれて言ったのに、彼女はほめられたと思ったみたい。うれしそうに胸を張った。

「そういえば、知っている? あそこのジハンキ出るんだって」

 言われてふり返ると、小さな公園にジハンキがあった。公園の遊具に合わせた、パステルピンクとパステルグリーンでぬられている。

「何が?」

「ジハンキさんって、男の幽霊」

「アタシは、女の子だって聞いたけど?」

「ジハンキさんって、次に死ぬ人を待ってるんだって。次の人が死ぬと、いけにえみたいに入れ替わるんだって。だから、人が変わるの」

「えー、そうなの? 怖ーい」

 帰りも同じ道を通るというのに、急に怖くなってしまった。

 よく見ると、ジハンキのドアに、赤茶色い汚れがベッタリと付いている。一見、血の跡みたいに見えて気味が悪い。でも単に子供が遊んでいる時に、汚い手で触っただけかも。考えてみたら、ジハンキで死ぬ人が、出血するなんてアリエナイ。ジハンキなら、血も流さずにキレイに死ねるから。

「でもさー、あそこのジハンキで死ぬのヤダよね。だって、何かキタナイしさぁ。死んでも死にきれないもん」

「せっかくなら、やっぱりキレイな方がいいよ」

「そうそう♪ 最近、カワイイのも増えたしさ、そういうの嬉しいよねーっ」

 そんなどうでもいい話に花を咲かせているうちに、アタシ達は学校へ辿り着いた。


 アタシは今、政府公認の中学校へ通っている。って、政府公認じゃない学校なんて今時アリエナイけど。だから、極力ムダがないように作られていて、勉強とかもそう。

 昔は詰め込み教育だの、ゆとり教育だの、色々あったらしい。近年も、文科省があれこれモメている。色々考えるのはそっちの勝手だけど、とばっちりを食らうのはいつもこっちなんだ。アタシ達は物でも、モルモットでもない。

 何だか政治家って、イイカゲンな人ばっかりだ。日本のルールを決めるのはアンタ達なんだから、しっかりして欲しいと思う。

 彼女とおしゃべりしながら、登校靴から上履きに履き替える。上履きが、ずっと洗っていなくて薄汚れている。そろそろ洗い時かも。

 質素な廊下を歩き、教室へ入る。自分の机にカバンを置くと、ため息を吐いた。

「ねぇ? もしアタシが死んだら、悲しい?」

 突然の質問に、彼女は目をまたたかせて、キョトンとしている。アタシは、聞いたことを後悔した。

「ごめん。やっぱ、聞かなかったことにして」

「悲しいよ」

 ややあって、彼女はそう答えた。その表情は、真剣そのものだった。

「本当?」

「うん。誰だって自分の知り合いが死んだら、やっぱり悲しいよ」

 アタシは少し首をたらして、力なくイスに腰かけた。安心したと共にうれしかった、が。次の瞬間、アタシは自分の耳をうたがった。

「でも、本当に死にたいって言うんだったら止めない」

 アタシは、ハジかれた様に顔を上げる。彼女の顔は、とてもジョーダンを言っている様には見えなかった。急速にノドがかわいてくる。

「何で?」

「止めて欲しかった?」

 質問を質問で返された、ヒキョウな手だ。アタシが黙っていると、彼女はため息を一つついてから言う。

「別にアンタ一人くらいいなくなっても、全然困らない」

「何で、そんなこと言うの? アタシ達、親友でしょ?」

 胸の奥が急に重くなって、自分の声がふるえているのが分かる。

「友達なら、いくらでも作れるもん。親友って、そっちが勝手に思ってただけでしょ? 大体、これだけの人間がいたら、今更何人死んだって同じだよ。他の人にも聞いてみなよ、きっと同じこと言うから」

 悲しかった。彼女の口から、そんな言葉が出てこようなんて、今まで考えもしなかった。他の皆も同じことを考えているのだと思ったら、怖くて逃げ出したくなる。

彼女は笑みを浮かべて、アタシに向かって言う。

「イイカゲンさぁ、ウザかったんだよね、アンタ。今までは、なんとなく趣味が近くて、最近たまたま同じクラスで、ちょっと面白そうだったから、一緒にいただけだし」

「ウソ……」

「ウソなんかじゃないよ。ずっと思ってたけど、言わなかっただけだもん」

 信じてたのに、裏切られた。親友だと信じていたのは、アタシの勝手な思い込みだったと、気付かされる。

 アタシは弱々しく首を横にふりながら、イスごと後ずさった。がたんと音がして、後ろの机にぶつかった。ふり向くと、クラスメイトがウザったそうな顔をして、アタシを見ていた。

「ぶつかってくんなよ、痛ぇじゃん」

「あ、ゴメン」

 彼もまた、アタシのことをどうでもいい存在だと、思っているのだろうか? いくらでもいる、その他大勢のうちの一人だと。アタシ一人くらい、いなくなっても気付かないのかもしれない。

 正面には、さっきまで親友だった彼女が、立っていた。彼女の言葉が、頭の中で何度もくり返される。

『イイカゲンさぁ、ウザかったんだよね……』

 アタシはたまらなくなって、その場から逃げ出した。どこまでも走って行って、何もかもから逃げ出したかった。涙で前がぼやけて、何も見えなかった。何も見たくはなかった。ただ、早く家に帰りたいと思っていた。帰れば、少なくとも血のつながった家族が、待っていてくれるハズだから。

「お父さん、お母さん!」

 家に着くなり玄関で呼ぶと、父と母はおだやかに出むかえてくれた。

「お帰り、早かったね」

 両親の声は今朝と同じく、とても優しかった。とたんに、さっきの悲しかった気持ちが一気にあふれ出して、子供みたいに声を上げて泣いた。

「お母さーんっ!」

「どうしたの? 学校で何かあったの?」

 母は困った様に笑いながら、アタシを抱きしめてくれた。背中に回された右手がなぐさめる様に、優しく背中を叩いてくれた。アタシは久しぶりに、温かな母に抱かれてワンワン泣いた。こんなにも、家族をいとおしいと思ったのは初めてだった。

 二人が死ぬと言い出した時、アタシは捨てられるんだと思った。でもそうじゃなかった。

 泣き止むまで、母はずっと抱きしめてくれていた。しばらくして、ちょっと落ち着いてから、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、両親に言う。

「一緒に逝きたい……、連れてって」

「ありがとう」

 今度は両親が泣く番だった。二人は何度も何度も、涙ながらにうなづいて、もう一度強く抱きしめてくれた。アタシも、抱きしめ返す。

「こちらこそ、今まで育ててくれてありがとう」

 月並みだけど、今は本当に心からそう思った。


   第十章 無駄(WASTE)


『自動繁殖阻止機』が普及し始めて、約一ヶ月後。とある検事が、大野連に電話をよこした。

「貴方の作った『ジハンキ』について、起訴します。この件で、後日お伺いします」

 検事は一方的に言って、電話を切った。だが、それから何日経っても検事はやって来ることはなかった。恐らく、政府に圧力をかけられたのだろう。政府は極端に、ことを荒げられるのを嫌う性質がある。

 正直、連は裁判になったとしても構わなかった。『第一次エコロジー・プロジェクト』の残忍さは周知の事実であり、これによって家族を失った者も決して少なくはない。

 法律の制定から、犠牲者はざっと十万人以上。何より法の改変は、誰もが願っていたことだ。ただ、改変の引き金になったのが『ジハンキ』であったと、いうだけの話だ。

 それとは別に、世の中には掃いて棄てる程多くの自殺志願者がいる。死にたい人間と、生きたくとも生きられない人間、果たしてどちらが多いだろう。

 いくら死んでも、この地球上から人間が絶滅することはない。アジア諸国、先進国では多少の人口減少の傾向が見られるが、南米では増え続けているのが現実だ。

 いくら頑張って『地球に優しいリサイクル』を行ったところで、地球が元の姿に戻ることはない。どんなに地球を愛したところで、地球が人間を愛してくれるはずはない。何故なら地球にとって、人間は害虫でしかないからだ。

 ならば、人間は今一体何をすべきだろう。いや、今更何をしても絶対に許されない。このまま、少しでも地球を長持ちさせる為に、無駄な悪足掻きを延々繰り返していくだけだ。それを人間達は、気付かずに続けていく。

 では、何故人間達は生きているのだろう?

 いくら足掻いても、壊れ行く地球。やがてやってくる、滅亡の時。多くの無駄を乗せ、今日も地球は周り続ける。


 ここに、ひとつのメモリがある。

『対政府用のコンピュータ・ウィルス』が、この中には入っている。通称『トロイの木馬』と称されるプログラムだ。パソコンを少しでも齧ったことのある人間ならば、誰でも知っている程有名なプログラムだ。

 一見何の変哲もない、『ジハンキ』用追加プログラム。だが読み込みが完了したら、まず政府のメインコンピュータのシステムにセキュリティ・ホール、つまりは外部から入れるように、小さな穴を開ける。そこから少しずつウイルス、つまり破壊工作をするプログラムが入り込んで、何もかも残らず消滅させる。

 これは実際にあった『トロイの木馬』戦略に模していることから、この名前が付けられた。

 このメモリに入っているプログラムの最も凄いところは、政府のコンピュータ以外には感染しないことだ。いくら政府のデータバンクにアクセスしたとしても、他の一般コンピュータには感染しない。

 これを作ったのは、他でもない連自身だ。『ジハンキ』を作ったのも連だが、今現在『ジハンキ』を管理しているのは政府だ。そして、世界全国に点在している『ジハンキ』を制御しているのも、政府のコンピュータ。それを壊したら、一体どうなる?

 世界中の『ジハンキ』が、活動を停止。世界中が人間で溢れかえり、大混乱になることだろう。 

 本来、『ジハンキ』なんて物はあってはならない物だ。自然の摂理に反する。今更ながら、『ジハンキ』を作ったことを連は後悔している。だが連の想いに反し、衝動的に『ジハンキ』へ飛び込む者は、年々増加している。

 信じていた人に裏切られて死なれた人は、一体どれだけいただろう。どれだけ『ジハンキ』を憎んだだろう、どれだけ悲しみに暮れただろう。大事なものを失った苦しみと、悲しみはどれだけ人の心を蝕むだろう。後追い自殺をした人は、一体どれだけいただろう。

 大切な人に突然先立たれた者の気持ちを、連は身をもって知っている。


 いつものようにコンピュータを起動して、『自動繁殖阻止機専用・ソフトバンク』にアクセスする。新しいウィンドウが開き、『遺言一覧』のタイトルと自殺者の名前が並ぶ。

 今日の自殺者数は、九四名。その内遺言を残しているのは、約半数。意外にも、遺言を遺す者は少ない。生まれた時はひとりじゃなかったはずなのに、ひとりで誰にも何も告げずに死んでいく。その事実が、とても悲しい。

『遺言一斉再生』をクリックすると、メディアプレイヤが続々と開いて流れ始める。

「私は悪くない、悪くなかったんだ。信じてくれ、信じてくれェ。頼む……」

「こんな世の中にはウンザリだ。同類喰いでも、自殺の支援でも何でも勝手にやってくれ。何時か何処かの皿の上で、ハンバーガーステーキになったワシの姿を見せてやる!」

「みんなも早く死ねばいいのに。ねぇ、一緒に死のうよ。死ねば楽になれるよ」

「二人共、すまない。私は、先立つことを決めた。君達には、申し訳ないと思っている。だが、私にはこれしかなかったんだ。こんな私の、身勝手な行為を許して欲しい。たった三日間だったが、私は家族として本当に幸せだった。何も、君達のことが嫌いで死ぬ訳じゃない。それだけは、分かって欲しい……大好き」

「死んでやる、死んでやる死んでやる死んでやる死んでやる……」

「二四人の人間を、殺しました。皆、同期の奴らです。衝動的殺人でした。ですが、許されるはずはありません。皆様、お騒がせしてすみませんでした。自分の始末は、自分自身で着けたいと思います。皆様、さようなら」

「お父さん、お母さん。先立つ不幸をお許し下さい。僕は、生きていることに疲れました。さようなら」

「なんかつまんない、生きているのも面倒臭い。だから死にます、じゃあね」

「今までありがとう。信じていたよ、でもあなたは違ったんだね。裏切られたけど、アタシには家族いる。だから、大丈夫」

「お前のせいで、何もかも失った。お前のことは許さない。絶対に許さないからな!」

 ある者は笑いながら、ある者は怒りながら、ある者は泣きながら、ある者は半狂乱で、ある者は穏やかに、遺言を残して死んでいった。

 毎日何十にも及ぶ自殺者達は、本当に死ななければならなかったのだろうか。『ジハンキ』がなければ、死ななかったのではないだろうか。この人達が死んで哀しむ人達は、きっと倍以上もいるに違いないのに。

 だがその人達に、どうしたら報いることが出来るのだろう。毎日そんなことを考えながら、連は今まで生きて来た。

 毎日毎日、誰に向けたとも知れない遺言を聞くことで、謝罪しているつもりだった。だが、そんなことをしたところで、何の意味もないことくらい始めから分かっていた。それでも、何かせずにはいられなかった。

 これはただのエゴだ。


 メモリをコンピュータに差し込み、政府のデータにアクセスする。ファイルを開きデータを起動する。読み込みが完了すれば、プログラムは確実に政府のコンピュータを攻撃する。

 読み込みを完了させて、起動するまで約三十分。それまでに自分自身が作った『ジハンキ』で、この世から消えるつもりだ。こんなことくらいで許されるなどとは思わないが、全てをリセットしようと思う。

 コンピュータが読み込みを終えるまでに、少し時間がかかる。それまでに一つだけ、やり残したことをしたい。

 パソコン机の上に置かれた、古ぼけたボイスレコーダ。今は亡き兄が、連と弟に残してくれた物だ。これを、今聞かずしていつ聞くのだろう。

 連は、再生ボタンを押した。懐かしい兄の声が流れてくる。それはとても優しい口調で、言い聞かせるように。

『二人とも、すまない。俺はもうすぐ死ぬ、でもそれはお前達の為だ。決して政府の所為じゃない、政府を恨んじゃいけない。綺麗事だと思うかもしれないが、そうじゃない。人を恨んで幸せになった奴はいない、復讐を企んで幸せになった奴はいない。だから、頼む。少しでも幸せになってくれ』

 段々と涙声になっていき、最後の方は僅かに聞き取れるかどうかの小さな声で。

『頼む』

 それきり、ボイスレコーダは沈黙した。

「しまったなぁ……」

 モニタの文字が、涙で歪んで見えなくなる。後悔の念が一気に押し寄せてくるのを感じ、ボイスレコーダを握り締めて呟いた。

「二十年前に、聞いておけば良かった」

 それでも弟は死んだだろうし、結果的には何も変わらなかっただろう。だが気持ちは、全く違っただろう。早く聞いておけば『自動繁殖阻止機』などという、復讐の機械なんか作らなかった。

「最期の言葉なんて聞きたくないっ」

 と、兄の死を嘆いていた弟にも、聞かせてやれば良かった。連も弟も、なんてもったいないことをしてしまったのだろう。

 しかし今更悔んでも、過去は変わらない。どうしようとも、元には戻らない。もう、リセットもキャンセルも出来ない。これからは、今出来ることを実行するだけだ。

『読み込み完了』の文字を見届けると、連は椅子から立ち上がった。


   終章


 ウイルス警告

 高危険度

 コンピュータ上でウイルスを検出しました。


 スキャン概略

 概略       脅威が見つかりました

 処理    ファイル マスターブート…… 

 検出しました 3       0

 修復しました 3       0

 検疫しました 0       0

 削除しました 0       0

 除外しました 0       0


 システムの状態:問題ありません

 各デバイスは、正常に動作しています……

         

            了

読後はきっと、どんよりした微妙な気持ちになられたかと存じます。

それが狙いです。

初投稿がこれってどうよ? という気もしなくはありませんが、今はこれが精一杯。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ