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開き直りの解決方法(2)

「……ユキトは、何描いてるの?」

「なんだと思う~?」

「……サイと人体模型」

「まさに未知との遭遇だよね」

「そうだね」


 気を逸らそうと思ってユキトに話しかけると、美麗な笑顔で受け答えされてストレスが溜まった。ああ、安易に訊ねたわたしが悪いのだろう。


「上手いのが無性に腹立たしいんだけど」


 口に出した言葉には、それ以上の重みがあった。

 実は篠目行人(ささめゆきと)といえば、なんとなく応募した芸術コンクールで入賞したりする、知る人ぞ知る高校生なのである。この容姿で天才肌というと嫌味と感じる人も多かろうが、緻密なのに隠しきれない大胆で男性気質な作風がわたしはとても好きだ。「色々と組み合わせたい時期なんだよ」とユキトはノートに落書きしながらぼやき、思い出したようにこちらを見た。


「そうだ。今度またモデルしてくれない?」

「ん? まあ、わたしでいいなら」


 過去に何度か被写体になったこともある。机の縁に触れながら頷くと、ユキトは嬉しそうだが呆れたような微妙な表情を浮かべた。


「そこは大事だよ。でいい、じゃなくて、イズミがいいの」

「うーん、でも例えば姉さんがモデルしてもいいって言えば姉さんの方がいいんじゃないの」

「ああ、七瀬さん。七瀬さんも確かに魅力的だけど、それを表現するのは僕じゃなくてもいい気がする。だからイズミでいいや」

「結局、“でいい”になってるけど」

「あはは、じゃあそうなのかもね」

「コラ」

「うそだよ」

 

 どんな距離で、どんな風にしているのが「普通」だったのだろう。

 今だってこんな風に普段通り振る舞っていても、頭の片隅に存在が残って、ふとした瞬間視線を惑わせる。彼は宣言通り教室の片づけを手伝ってくれるようになった。まだ数日だが、そのときの僅かな会話と笑顔だけで、いつもより世界が眩しく見えて、困った。


 刺激的で鮮やかでめまぐるしい世界は、身の置き所がない。落ち着きたい、どうにかしたいとそればかり考えている。



「おー! ナイスバッティング!」


 その日の最終七時限目は体育で、ソフトボールだった。

 攻めの回の五番、バッターボックスでタイミングを合わせて打った初球はいいところに飛び、三塁打になる。次の打者で危なげなく帰ってくると、グラウンドのネット付近にいたサトコが興奮したように肩をたたいてきた。


「さすがイズミっ! かっこいー。センスあるぅ。足速い!」


 べた褒めなのか嫌味なのかよくわからないが、


「まあ体育の授業なんてみんな素人だし、偶然じゃない」

「そして素直じゃない! さすが硬派。マニアにはたまらない!」

「何言ってるの?」

 

 せっかく楽しかったのに一瞬ドン引きしたりして――走った後の清々しさに身を任せていた。


 何気なく見上げた空は薄い雲が途切れ途切れに浮かんで、とても高く、昼が傾いた薄い青をしていて。校舎の影と楢の木の風に揺れる葉音が、火照った肌に心地よかった。ユイカちゃんは相手チームでショート付近を守っている。サトコの順番はまだ先だ。二人で隣り合って、味方チームの少し後方で緑のネットに背を預けて座っていた。


 ずっと考えていたから、不意に聞いてみたくなった。

 サトコならどうするだろう。

 今なら応援に夢中で誰もこちらを見ていない。恋をしたくないのに、誰かを好きになってしまったら? それじゃあ曖昧すぎるし、わたしのことだとわかってしまうだろうか。

 グラウンドの砂を指で撫でながら少し考え、わたしは別の例えで聞いた。


「あのさ。サトコがたとえば、海斗の事好きになったとしたら、どうする?」


 学校アイドルの弟は、好きになっても真剣に恋するには不条理な存在である。なかなかいいんじゃないかと思い、サトコに真剣な目を向ければ、同じようにこちらを向いた彼女はぽかんとして不思議そうに首をかしげた。


「え、すでに好きなんだけど? 当たり前じゃん、何仮定みたいな話してるの?」

「……」

「やだなあ~ミッキーが焼肉食べてる現場を見てしまった子どもみたいな目で見ないでよ、三割冗談だし」

「やめようよそういう意味不明な例えとか、七割本気みたいな悪趣味」

「悪趣味なんて失礼するわー。大抵の女なら海斗君に一度は憧れるもんだって」

「あーそうですかー。もういいです……」

「待ってよ言い出しっぺのくせに。ある意味好都合だって思わないの? あたしが海斗君を好きだとして……そうだねぇ」


 バットがボールを打つ音と声援がして、ピッチャーが危なっかしく白球を拾い上げる。サトコはそれを楽しそうに眺めながら横顔で笑った。


「そのまま、かな。うん」

「そのまま」

「海斗君だもんな。そのまま好きでいる。片思いで、好きだったなって、いい思い出にする」


 一塁ベースで少し舞い上がった砂埃。真剣にくれた答えに、心から余分な負い目が抜けていくのを感じて、不意にサトコが大人に思えた。


 わたしは自分の気持ちを肯定することが嫌だったのだろう。

 あれだけ心に誓った高校入学時の決意が崩れたことで、自分に不信感を持ってしまった。

 好きになってしまったものは仕方がない。認めないなんて無理な話だったのに、サトコの言葉を聞いて、そのままでもいいんだとようやく思えた。思うだけなら……誰にも言わないまま、告白なんて考えないまま、ただ好きでいればいい。

 今でもこんなに満たされているのだから。

 先へ進むほど、恋が理想的なものにはならないことは、もう知っている。


「ありがと。すごくわかりやすかった。参考になったよ」


 卒業するまで片思いでいよう。できればいい思い出になるように。


 久々に晴れやかな気持ちになって礼を言う。サトコは胸を張って「もっと褒めろ奉れ」とふざけていたが、少し照れているのは気づいていた。絶対に言わないけれど、こういうところが結構好きだ。


「次で最終かな」


 試合はもうじき攻守交代しそうで腰を上げると、ジャージの袖を引かれる。


「ねえ」

「何?」

 

 なんだろう。

 中腰で、サトコのものいいたげな色素が薄い瞳を見下ろした。もう話は終わったつもりだったのだが、質問の言い訳をいくつか思い浮かべる。

 校則違反の茶髪を揺らして、サトコはさくりと口を開いた。


「それで、イズミはいつから星野が好きなの?」





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