文化祭(2)
「じゃあ今日は役からさくさく決めましょう! 照明以外基本的に全員何かすること。早い者勝ち、推薦ありで、はいどうぞー」
「んー、じゃあハートの女王いこうかな。ちょっとくらいアレンジしても大丈夫そうだし」
「はい、ではマミさん赤の女王決定」
「王様は駒沢がすれば?」
「おう、いいよ。まかせろ」
「次、委員長はどう見ても白ウサギかな」
「どういう意味で?」
「鳥たちは藤沢さん、神田さん、関さんね」
「チェシャネコはサトコでいいと思う」
「ミステリアスな人気者ってことかぁ」
「野球部三人コンビ、帽子屋と三日月ウサギとヤマネやれよ。稲郷、野崎、星野な」
「え!?」
「いいと思います。決定」
わいわい言い合いながら、役は順調に決まった。多少はもめたけれど、奇跡的なくらい確執のないクラスメイト達の中にいて、わたしはその騒がしさに自然なまま参加していた。結局ユイカちゃんはナレーションになり、わたしは申し訳程度、名無しのトランプ兵Dに納まって。大急ぎで脚本をつくる間に、文化祭実行委員の指示で大道具、小道具、衣装の係に分かれて必要な物の調達に取り掛かる。正直これがかなり多い。
演技は委員長、副委員長、主役を引き受けたユキトが中心になって練習が行われた。森谷くんが仲裁役、マミさんが適当な分、ユキトが頑張っていた。
いや、頑張るというのも優しすぎてしっくりこない表現だ。気合い、否怨念という言葉が当てはまる指導っぷりだった。
「全体的に声が小さいよね。それって結局基本だよね。発声練習しようか」
「いいと思うけど、時間があまりないからなあ」
「なるほど。じゃあその前にランニングもしよう」
「話聞いてました? 鬼ですか?」
「わかりました委員長、じゃあ腹筋も追加で」
「ぇあぁぁ……! 誰か、誰かたすけて……!」
助け舟を出したマミさんのおかげでランニングは免れたものの、無駄な抵抗をした森谷くんのせいでもれなく練習前に腹筋までついてくるとは思わなかったが。
半月程度の準備期間しかないから、必死になるしかなかった。授業の合間を縫って担当もあまり関係なく、全員体勢で朝から夕まで準備に打ち込む。
ユキトは大変な主役だったけれど、一言も愚痴や文句を言わなかった気がする。演技だけじゃなくて、空いた時間には黙々と背景を描いていた。放課後の美術室で、わたしはよくそれを手伝った。
「なんか、いつもより大雑把な絵」
「しっつれいだなーマジで……本気で言ってんの?」
「まあ、それでも好きだけど」
そのときは、たまたま二人だけだった。
モデルになることはあっても、一緒に描くなんて初めてだったから、隣で筆を持つことが新鮮で少し恐くて、とても嬉しかったのだと思う。ユキトは鉛筆でよどみなく下書きしながら、わたしの軽口にため息を吐いた。日暮れの斜光が髪と横顔の輪郭を弱く浮き上がらせていた。
返ってきたのは歯切れの悪い言葉。
「大雑把っていうか、こういうのはたぶんこれでいいんだよ。時間が無いのはともかく、塗り終わって遠くから見てみれば。そんなに悪くないから」
目線を合わせず忙しそうに模造紙の上に乗る幼馴染に、「この色でいい?」と聞いてから、付け加える。
「ごめんごめん、褒め殺しして。別に嫌がらせとかじゃないよ」
ユキトの無表情が崩れてなんとも微妙な顔になり、薄い茶色の双眸が耐えきれずこちらを向く。ほんの一瞬が思い通りになった気がして、わたしは心から笑ってしまった。
「半分けなしてただろう。どこが褒め殺しなんだか。完成して変だったら、そりゃあイズミのせいだよ」
「“証拠を見せよ、でないと死刑にするぞ!”」
「はいはい。偽物の王様、全然威厳が無いですよ」
すっかり覚えてしまった劇中の台詞を借りて言い合ううちに、野球部三人他クラスメイト達がお菓子片手に加わってきて、一気ににぎやかになる。星野がわたしの傍に腰を下ろして、言う。
「色塗るの手伝ってもいい?」
「完成して変だったら、一緒に謝ってくれる?」
「え? プレッシャーだなー」
こうして隣にいても、あの夏祭りの夜が、嘘のようだった。でも、夢のようではなかった。
忘れてしまえないし、非現実的でもない。確かな質感があって、胸の中に微かに残り続ける。例えばあの日だけ別の都合のいい世界と重なっていて、今の星野が何も知らないのなら、例えようもなく悲しい、そんな風には思うけれど。
「駒沢が俺のヤマネ役がぴったりだってウケててさ」
「うん?」
「授業中よく寝てるから寝てるのが似合うって、大声で言うもんだからな。ほんともう」
「ほんとじゃねーか、星野くん!」
「裕介、お前だってそうだろ!」
「すごいかわいいと思うけど……」
じゃれる野球部を見ながら聞こえないように呟いて、皆が笑っているのを眺める。一日は疲れるだけの時があっても、慌ただしくて騒がしくて全力で取り組めばあっという間に過ぎた。立ち止まるな、考えることなんて何もないと言わんばかりに。
十月に入る前に、三日間の日程で体育祭と文化祭は行われた。初日の体育祭では短距離走やリレーでやたらと応援されて、なんとか頑張った。
「イズミさっすが! 二兎追うものは一兎を得るね!」
元陸上部のプライドは守れたらしい。優勝はできなかったけれど不思議と褒めてくれる人が多くて、充実した気分で終われた。
二日目は二年生の展示作品を見たり、ちょっとした模擬店やライブを楽しんだり、午後からは一年生の合唱を聞いた。サトコとユイカちゃんと一緒にまわって、いつもより華やかな校内が妙に感慨深かったりした。去年とも、一昨年とも全然違う気持ちだったからだろうか。深く考えるのはやめて、放課後遅くまで翌日の劇の準備に没頭した。
そして翌日午後、最終イベントの三年による演劇が、体育館で行われた。
「いよいよだね」
「みんながんばってね~。センセイ応援してるよー」
アイちゃんのきらめく笑顔に見守られ、軽く円陣を組む。抽選で3-5は四番目の出番になり、最終確認の合間合間に他のクラスの劇を見る。昔話だったり、コメディだったりそれぞれの個性があって面白い。一応審査があって、最後に学年の最優秀賞が発表されるから、どのクラスも狙っているだろう。それでもあせる気持ちはなくて、純粋に出番が楽しみだった。みんなハードスケジュールに耐えたし、なによりユキト自身がこう、すごかったから。
それはもう幕開けの登場から観客のざわめきで証明された。
アリス! 子どもじみたおとぎ話をとって
やさしい手でもって子供時代の
夢のつどう地に横たえておくれ
記憶のなぞめいた輪の中
彼方の地でつみ取られた
巡礼たちのしおれた花輪のように
ユイカちゃんの優しいナレーションで短い巻頭詩が読まれる。舞台に明かりがつく。堂々と、開幕の台詞が響いた。