表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/33

番外編2

 


 あなた一人だけを選ぶことは、出来ないわ。



 それは、あまりにおあつらえ向きの言葉だった。傲慢であり。不遜で、不愉快で、思い上がりも甚だしい。

 にもかかわらず、適切だった。その女に合致する言葉だった。全てを押し流す決別の言葉だった。だからこそ御堂は嗤った。


「じゃあ、俺も無理だな」


 美しい女が悲しそうな顔で微笑む。想像通り、泣くこともなく。同情のように見えて、いっそその外面を殴ってやりたくなる。

 まるであんた、ずっとわかってたみたいだな。

 最初から、全部。

 声にすらならない、背を向けるまでの間、そう思った。


 

 ※ <Second impression>



 

「なあ御堂、信じらんなくね?」


 教室の窓から廊下を見ながら、前の席の田原が言う。体育の後だった。まだ男しかいない室内で、学ランに袖を通しながら顔を上げる。


「何が」

「ほら、あの子。宮内和泉。妹なのに超地味だよなぁ。せっかく同学年なのに、意味ねー。七瀬さんは卒業しちまったし、美形でも入学してきたのは弟だし、女子は発狂してるけど」


 妹だろうが何の興味もなかったが、視界の端にちらりとその姿が見えた。黒縁眼鏡をかけ、後ろの低い位置で髪を一つにまとめた俯き気味の生徒。ほんの数秒、何の感慨もわかない。自然と眉を寄せていた。

 信じられない?


「他人だろう」

「はぁ?」

「血が繋がってようが、何の関係が? 七瀬みたいな見てくれのいい尻軽女がいいなら、本人を当たればいい。お前バカか?」


 宮内和泉。

 ああいう被害者ぶった弱い人間は、吐き気がするくらい嫌いだった。意識したことすらない。勝手で低レベルな願望を臆面もなく声に出す手合いもまた、同じだ。くだらない。七瀬がいいなら、七瀬を相手にすればいい。自分に手が届く程度の「七瀬みたいなもの」でいいのなら、画面の中の芸能人に妄想する方がまだマシではないか。

 鬱陶しい人間ばかり増える。


「身もふたもないこと言うなよ。おれ、お前みたいな人間じゃねえからな。どうせ七瀬さんになんて声かけられなかったバカだよ。そのかわり振られることもなかったけど」


 辛辣な言葉にも動じない男は、薄く笑って、視線を逸らした。


「ほら、彼女が来てるぞ。エリちゃんいい足してんね」

「彼女?」


 ドアのところで手を振る派手な女を見て呟く。微かな香水がまとわりつくほど、最近近くにいるのは確かだった。話しかけてくるから気が乗れば相手になるし、誘われれば体に触れもする。それだけのことだ。好意も嫌悪も別次元の話で、その現状に何の意味も見いだせない。

 口にした単語は、神経を逆なでするような、べとりとした感触がした。



 ※



 興味も接点もないと思っていた。

 だが、嫌悪感はあった。そういうことなのか。


「宮内和泉? お前、マジで似てねえな」


 退屈な月曜、何の変哲もない乾いた午後に、人の少ない廊下ですれ違った一秒。急に胸が悪くなるようにムカついて、御堂は振り返っていた。

 理由はわからない。気が付けば中傷していた。敢えて表現すれば昏く昂ぶった、妙な気分だった。返事をしない、足早に通り抜けようとする相手の前をわざと遮る。


「そんな恰好で、逆に目立とうとしてんのか? 不細工」

「……違います」


 和泉は目を上げかけて再び俯き、ほとんど声にならない声で呟いた。

 人目を避けるように一人でいていかにも陰鬱な空気を纏っている。自分では逃げることくらいしかできない、脆弱で臆病な偽善者。普段は視界に入れることすら嫌いな人種に、声をかけたことを改めて後悔する。何を馬鹿なことをしているのだろう。

 後悔して、それでもう終わりのはずだった。関わる気など微塵もなかった。

 なのにやたら目に付くから邪魔で、神経に触って仕方が無かった。


「どうせならもっと見栄えのいい顔に整形すれば」

「あの兄弟がいなけりゃお前なんて、誰も覚えねえんだろ」

「おい、愛想笑いぐらいしてみろよ。同情でマニアが相手してくれんじゃねえの?」


 すれ違うたび、ほとんど反応のない相手を侮辱する。どんな言葉でも女は無表情に俯き目を合わせなかった。言いがかりに対して反論もできない惨めで哀れで価値のない人間。余計にストレスが溜まり、馬鹿らしいと理解しているはずが、繰り返してしまう。兄弟。姉妹。“あなた、体温が高いのね。”嫌でも意識を惹きつけた始まりの声。記憶から消し去りたい表情。それが何の関係がある?


 他人だ。

 ああ、それよりも下位だ。

 もう何度目か、放課後の階段で和泉の姿を捉えて御堂は唇を歪めた。


「無視すんなよ」

 

 矛盾など何の役にも立たない。すれ違った瞬間見た横顔が、まるで重なるように似ていたことが、感情の防波堤を崩した。目を引く美しさもない、明るさもない、これといった特徴すらない、声も仕草も表情も違うくせに思い出させるのは、血だと言うのなら、そんな不条理がなぜ存在するのか知りたかった。

 切り離せないなんて、笑える。

 イラついていたモノが一気に高まり、肩に手をかけた。それならいっそ、もっと怯えさせ、軽蔑されればよかった。

 反応は予想のどれとも違った。

 間髪入れずばしんと派手な音をたてて、かけた手が払われていた。


「何を言ってもいいけど、触らないで」


 手に痛みが残る。振り返ってこちらを見た女の、静かで冷えた目。


「こう見えても色々習ってたから、階段から突き落とすくらいはできそうかな」


 おそらくそのとき、一段下から見上げる目を、初めて真正面から見た。

 白い顔の中。

 意外なものを見ていた。予定外の……まるで似ていない本性だ。冷静で不安定な怒りを湛えた黒い瞳は、この瞬間だけを切り取って、正面から問いを突きつけている。一体お前のどこに触れる権利があるのかと。拒絶を、口で言う以上に空気で感じさせる。

 答えられるだけの正当性はなかった。そのうちに和泉は、感情を逃す様にため息を零した。


「すみません」

「……すみません?」

「ええ。代わりというわけでもないですけど」


 化粧っ気の欠片もなく黒縁眼鏡で隠された顔は笑いもしない、申し訳なさそうでもない、蔑むでもない。はっきりした声が核心を突いた。


「恨めばいいじゃないですか。あの人を恨んで、許してやれば」


 夕日が陰る最中、わかっていたのかと、そう思ってしまった時点でもう負けだったのだろう。

 いくらでも反論は浮かんだ。それが言葉にできないほど己が惨めなものに思え、自分で自分を惨めだと思えることにすら驚きを感じた。同情されたのだ。それだけのことをした。己で己の首を絞めてやりたかった。今までそんなくだらない感情が自分の中にあるとは思わなかった。苦い、苦い、視界が歪むほど苦い、どれほど酷く殴られても、こんな屈辱には値しない。

 ああ、そうか。それでもあの女を、恨むことができなかったから――


「わたしはあの人とは違う。類似点を探したってでてこないでしょう。夢を見たと思ってさっさと忘れて下さい。いつまでも引きずってるなんて女々しいですし」

「黙れ」


 そいつは――宮内和泉は、思い直したように呟く。


「なぜ……誰も恨まないのかな」


 わたしは人気者の姉さんなんて、大嫌いなのに。



 鈍い光に籠る、自嘲するように言った台詞だけが、おそらく残らざるを得ない苦い感情。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋愛ファンタジー小説サーチ
ランキングに参加しています。投票していただけると励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ