かなわないもの(3)
まあ、だけど翌日学校へ行くのはかなりの決意が必要だった。サトコと事前に話していなかったらサボってどこか旅に出ていたかもしれない。
「イズミは星野が好きで、星野もたぶんイズミが好きだった。そうか……わかった。付き合えよだったら! 誰も邪魔しねーよ! 無問題極まりないにもほどがあるんですけど」
「だから今すぐ付き合うなんて無理なの! 最初から高校三年間恋愛には関わらないって、心に決めてたのに。全然、ほんと一ミリも自信ないっていうか……ありえないだろ普通。おかしいでしょ。そもそも両想いっておとぎ話じゃなかったの?」
「えー。そこまで現実に絶望されても困るんだけど。初恋じゃあるまいし」
「初恋じゃないから余計嫌なんだって……」
「というと?」
「中学までは友達の延長みたいなものだったし、高校入ってからは散々で、流石に何も考えないで突っ走るなんて出来ない」
「福島君のこと? わーそんなひどい別れ方したの。超聞きたい」
「ねえなんでそんな死ぬほど無遠慮なの?」
ありがたみが失せ、一切オブラートに包まない友人に怒りを通り越して棒読みになる。今更だが何の配慮もしないで喋れるって、幼児じゃあるまいしどういうことなんだろう。
しかし、事実は事実だ。無くすことはできない。
わたしには高校に入って一人だけ付き合った人がいた。今回の事以前に、すでに恋愛に関わらないと言う決意を破っていた。自分で最低だと確信できる経験だった。あまりに居たたまれなくて思い出すのも嫌だったのに、ふと自覚する。今サトコに触れられても怒るまでには至っていない。
申し訳ないような、安堵したような、なんとも表現しがたい複雑な気分だった。
サトコが話を続ける。
「まあそれはともかく、イズミは星野とは付き合えないって言うわけだ。そしたら断るしかないね」
「わたしが!? なんで!」
「だって一応告白されたんじゃん。そんで付き合うのは無理なんでしょ?」
「今すぐは、無理とは言ったけど、わたしがふるなんてありえない!」
「じゃあ頼んでフラれる?」
「立ち直れない!」
「じゃ、そう言えば?」
「は?」
無茶苦茶なことを言っているのに、電話越しの声は突き放すことなく、いつもの呑気な調子で言った。
「正直に、今のイズミの気持ちを言えばいいよ。それで返事聞いて、ちゃんとどうしたいのか考えてみたら? 案外星野も同じなのかもしれないし」
聞き入ってしまう。本当は聞きたくないのかもしれないけれど、逃げるわけにはいかないと思う。
「なんにしろ、あんたはもう言っちゃったんだから先に進めるしかないんだよ。気づかれないままなら片思いでもよかったかもしれないけど……それはもう無理なんだから」
「……うん」
そうだ。
もう戻れない。誤魔化しても目を逸らしても、きっかけをつくったのはわたしだ。他人からすれば笑ってしまうような、どっちつかずの臆病者でも、これが自分なのだから仕方がない。過去に縛られるこの気持ちは誰にもわからない。わたしだけのものだ。それでも星野にだけは、伝えなければ。
「怖いな……」
何をどう言おうか考えて考えて、あまり眠れなくて、いつもよりゆっくり登校する。少し頭痛がして、胸の鼓動が収まらなくて、困った。星野を好きになってから本当に、毎日が目まぐるしかった。微温湯みたいに心地よくて空しい日常なんて、まるで遠い過去だったみたいで可笑しい。
靴箱ではクラスの誰にも会わず、時間的には早めについたようで、深呼吸をして教室の後ろ側のドアを開ける。彼はもう自分の席に座っていて、ぼんやりとシャーペンを握っていた。足音で振り向いた顔とばっちり視線が合って、数秒声が詰まって何も言えない。冷や汗が出る。散々覚悟したはずが、予想以上に辛い。
要するに逃げたかった。やばいくらい逃亡したかった。いっそ転校したかった。今すぐ。出来れば県外。
「――あ、あのっ」
「――昨日は、そのっ」
逃げられなかったのはたぶん緊張で身体が動かなかったからだ。
勇気というより自棄を振り絞った瞬間、声が重なって、目を見張る。息を呑む。顔が熱くなり、立ち上がった星野の頬も赤くなるのが見えて……力が抜けた。
なんだ。
そっか。
それもそうか。
わたしだけなはずは、ないよね。
「ふっ……」
「はは……」
ほとんど同時にお互い笑ってしまって、鞄を机の上に置いた。動悸は相変わらずだったけれど、もう身体は固まっていなかった。
星野が傍まで歩いてくる。他のクラスメイト達がいつものように挨拶をしている。
窓から梅雨の晴れ間が見えて、なんとなく、大丈夫な気がした。
「おはよう」
「おはよう。星野くん」
名前を呼ぶ。挨拶をして、熱い頬をこすって自分の気持ちを確認する。
「昨日は、ごめんな。完全に言い訳だけどバイト抜けられなくて……ていうかなんかパニックで……あっ、怪我してなかったよな?」
「うん、全然平気。こっちこそほんとにごめん。焦って思わず逃げちゃって」
「それは、たぶん俺が……んっと、ここじゃちょっと落ち着かない気がするから、昼休み、時間あったら話したい。いいかな?」
「うん、わたしも、星野くんさえよければ」
緊張していても、柔らかい自然な空気は彼の周りに存在して、それがとても嬉しかった。冬の日溜まりみたいに穏やかで明るくて、安心する。場所と時間を確認して約束すると、不意に声が割り込んできた。
「あーいいなー、いつの間にかとっても仲良しで。あたしもついて行こうかなお昼休み。どーせ暇人だしー」
「そんな……サトコちゃん、別に、拗ねなくても……」
「僕も拗ねようかなあ。イズミが取り合ってくれなくなったら悲しいし」
「は!?」
いつの間にか後ろのユキトの席にサトコとユイカちゃんまで集まっている。わたしが振り返るとサトコは腹の立つ顔で肩をすくめ、ユイカちゃんは苦笑し、ユキトはやる気のない笑顔で頬杖をついていた。
いつから聞かれていたんだろう。
もう恥ずかしいのか腹立たしいのか(ユイカちゃん除く)判断しかねた。
「ちょっとサトコ、ユキトも、勘違いでからかったりしたら後で覚悟しといて……?」
「よしわかった勘違いじゃなかったらいいわけね。やあ、星野さん、思ったよりやる人だったね。実は大胆なんだね。OK大丈夫、もっとやれ」
「えーじゃあ僕もいい? 今度のモデルもっと際どい感じで服はだけて……」
「あっ、イズミちゃん待って落ち着いて理性を保って……」
感謝なんてそこまで義理堅くはないので、とりあえずユイカちゃんに止められなかったら二人とも保健室送りにしていたことだろう。