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小さな生物の時間(2)

 迎えた六月、相変わらず登校直後海斗目的の後輩に待ち伏せされ遅刻しかけたりはしたが、数日は平穏だった。部活動が終わり少しゆとりを持て余すくらいに。特別な出来事といえばウメ(子犬)のことで星野と話す機会が増えたことくらいだろうか。


 だけどそれでどうなるわけもないし、どうするつもりもなく、どうもならないように、時々緊張しながらも何事もない日常を過ごしていたら、ある朝後ろの席の住人が欠席していたわけだった。


「ええっとぉ、篠目(ささめ)くんは、今日はおやすみですね~。風邪をひきそうということですけど、だいじょうぶかなー?」


 担任のアイちゃんがハートウォーミングボイスで言う。だいじょうぶではないと思うが、みんなの心のオアシスアイちゃんにつっこみを入れるような愚か者はいない。以前からユキトが唐突に学校に来ないことは偶にあった。最近はそんな素振りもなかったのだが……。


「ねえねえ。ユキト君どうしたのかな。やっぱ昨日のあれ?」

「あーたぶん……」

「なんでだろ? よくわかんないなーあたしだったら全然光栄だけど。逆に自慢して言いふらすけど」

「自慢とかそういうのは、関係ないんだよ」


 授業の合間の十分休憩にサトコが話しかけてきて、わたしはため息を漏らした。思い出すと苦いものを飲み下したような気分になる。

 事の発端は昨日だ。最終六時限目に体育館で全校集会があった。終了後、教室に帰ろうとしていたところをユキトは校長に呼び止められていたのだった。



「篠目君、ちょっと来てくれないか」



 はぁ、と曖昧な返事をしているユキトとそのとき偶然目が合い、わたしは足を止めた。釣られてサトコとユイカちゃん、数人の男子も立ち止まる。話しかけるべきか迷っていると、やけに機嫌のいい校長はわたし達にも目を止めて、「君たちも一緒に来るといい」と促してきた。


「なんだろうね?」


 サトコに聞かれ、思わず首を傾げた。授業で関わることもないので普段は集会くらいしか接点がない。表情や口調から悪い用事ではないと思ったが、検討はつかない。言われるままについて行った先は二階応接室前の廊下だった。示されたコンクリートの壁に、今まではなかった一枚の絵が飾られていた。


「これ……」

「どうだ、いいだろう? 以前から篠目君の絵を飾りたいと言っていたんだが、先日美術室に置きっぱなしだというものを見つけてね。なじみの風景でもあったし一目で気に入ったよ。あんなところに埋もれているよりはと、早速飾ってみたんだがね」


 芸術系の才能と女性と見紛うようなたおやかな容姿で、生徒にも教師にも一目置かれているのがユキトだ。本人は特別扱いも注目される事も嫌い、大抵笑顔で要領よく立ち回っていたが。


「すげー。篠目、プロだな」「さすが天才」

「屋上からの風景かな」「細かい~絶対かけないわ、こんなの」


 ついてきたクラスメイトや集まってきた野次馬が称賛し、記憶が呼び覚まされる。動悸がした。わたしは呆然とユキトの顔を見た。視線の先にある顔は一切の表情を浮かべず、冷たかった。


「聞いてないです。外して下さい」


 大勢の中で一人だけが取り残されたような声だった。自分の事のように満足げだった校長が、怪訝な顔をした。


「何? どうしたんだ?」

「どうもしません。ただ、外して下さいと言いました。今すぐ」

「おいおい、なぜだ? みんな褒めてるじゃないか」

「褒めてる? そんなのどうだっていいんです。この画は飾るようなものじゃありませんから」

「どうだっていいという言い方はないだろう……急にそんなことを言われても困る。きちんとした理由があるならともかく」


 ユキトは怒っていた。感情を押さえようともせずに言葉を放ち、大人の気分を害す。

 長い付き合いだからわかった。もともとがそういう気質なのだ。身の内に消えない炎を飼っている。立場を計算してオブラートに包むよりも、その場で明確に意思を示す。厄介なのは到底そういう気質に見えず、完全に飼いならせもしないから、自分も他人もふとした瞬間持て余してしまうことなのではないか。

 いまや周囲は息をひそめて二人のやり取りを窺っていた。


「困るのはこちらです。こんなこと、一言も聞いてない」

「どうして困るんだ。理由を聞いているんだ」

「なぜそれをあなたに言わないといけないんですか?」

「ユキト!」


 ああだめだ、と思った瞬間に、わたしはユキトの腕をつかんで引いていた。

 握りしめた体温が感じられなくて、そのままその場から走って逃げた。

 意表を突いたのか誰も追ってはこない。ユキトもされるがままだった。

 勢い余って玄関の外に出てから、鳴り止まぬ心臓を抱えて、傍に植えられた楓の木の下で彼の顔を覗き込んだ。


「ユキト。あれは、あの時の絵?」


 沈黙と笑うことに失敗した口元が答え。風の音が満ちた場所に二人で立ちつくし、しばらく動けなかった。

 スケッチブックサイズの紙に書かれた水彩画はこの学校の屋上からの自然と街並みを淡く消えそうに、空の虹だけを鮮やかに描いていた。


 そして今日に至る。


 明日は土曜で、後ろの席に置かれた課題や配布物を揃えながら考える。当事者には簡単なことでも、そこから外れれば一気にややこしくなる。全く、あまりに不便というか、面倒というか……。


「どうかした?」

「えっ?」


 そこへ思いがけず星野の声がして、わたしは慌てて顔を上げた。


「あの、別に、大丈夫……ユキトが休んでたから、ちょっと」


 我ながら相変わらず挙動不審。何の答えにもなってないし。いっそ走り去りたい。

 教室では大勢のクラスメイトが集合してなぜか心理テストで盛り上がっている。それを尻目に、教室の後ろの端で向かい合っていた。


「篠目って、風邪なのかな。裕介が昨日なんかあったみたいって言ってて」


 話す星野の眉は心配そうに少し下がっていた。友人というほど接点もないだろうに、好奇心だとは微塵も思わせない。それが、彼らしかった。笑い声に満ちた教室内で、わたしは苦笑した。


「たぶん風邪じゃないよ。そうは見えないけど気が強すぎるっていうか……そういう性格なんだと思う。それで今ちょっと迷ってて。家近いから、プリント届けに行こうと思うけど、プライド傷つけるのも不本意かなって」


 他人の感情に人一倍寄り添えるのが星野の特性なのかもしれない。考えるほどに混乱して、つい相談するように口にしてしまい、


「俺だったら嬉しいよ。宮内さんにプリント届けてもらえたら」

「え?」

「え? あっ……その、うん、そうなんだけど、ほら。宮内さんは篠目と仲がいいだろ? そういう意味で、自分がなにかあったときに、やっぱり友達に来てもらえたら嬉しいと思うんだ」


 思いがけず答えをもらった。

 嬉しい、と言った時の表情と声が、ただただ柔らかくて。

 驚いた。

 ちょっと待って、と思うくらい、さりげなく、純粋な何かに触れてしまった気がした。


「嬉しい、かな」

「うん。逆に誰もプリント届けてくれなかったら寂しいし。これは俺のわがままかな?」

「ううん……」


 最後恥ずかしそうに笑った彼の顔が眩しくて、見ていたいのに見ていられなかったけれど。


 そして次の日の休日わたしはウメを抱えて、自宅から歩いて十分ほどの場所にあるユキトの家に向かった。

 






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