チャーハン
「この匙で頂くのね」
それにしても、皿も匙も、これほど見事な料理を食する道具だというのに、信じられぬ頼りなさであった。
一見すれば金属のように見えなくもないが、実際は薄っぺらく、ひどくチャチな強度しか感じられぬ素材で作られているのである。
「フゥー……フゥー……」
熱々の料理を、口内が火傷せぬ適温に吐息で冷ます喜び。
この予備動作で、空となりひしゃげている胃が活発化し出すのを感じながら、鼻腔で香りも楽しんだ。
(なんて濃密な……鶏出汁の香り)
混ぜ合わせた調味料に仕込んであったか、おそろしく時間をかけて抽出したのだろう鶏出汁の香りが、料理から漂っている。
しかも、よほど丁寧に炊き込んだのか、そこに雑味となりそうな匂いは一切感じられぬのだ。
――ぐうううううっ!
この芳香……それそのものが、上等なスープをすすったかのごとし。
唯一伸縮する臓器である胃袋が、この刺激によって完全復活を果たし、本来の姿を取り戻した。
(もうお上品にしてられない……!)
聖女の威厳よさらば! やけにペラペラとした感触の匙を、チャーハンに突き立てたが……。
――スウッ!
……意外なほどに、手応えなし!
密集状態の穀物へ匙を突き入れたというのに、抵抗してまとわりついてくることがなく、パラパラと匙の上にほぐれていくばかりなのだ。
うかつなすくい方をすれば、このチャーハンなる料理をこぼしてしまいかねない……。
慎重にひと匙、すくい上げた。
そして、ついに――食す。
「――っ!?」
……瞬間。
アルタの脳裏を満たしたのは、生物としての根源的な多幸感である。
米を始めとする各素材の衣となっている油……これが、まずは脳髄を揺さぶったのだ。
刮目するほどの衝撃を受けたのは、油分など微塵もない普段の食生活が影響していること、疑う余地もなし。
だが、この使われている油がひどく上質で、香り高いものであることもまた、確かであった。
かようにして、油の多幸感が脳を酔わせたのは、ほんの一瞬。
口に入れたチャーハンを、歯で噛み締めるまでの間だけである。
実際に咀嚼してみれば、この猛烈な美味さたるや……。
なるほど、匙を突き入れてみた感触から分かる通り、米はひと粒ひと粒が油をまといパラリと独立していて、たかが穀物ひと粒と思えぬほどの存在感を得るに至っていた。
だが、歯を受けて押し潰されてみれば、これはどうか?
油という衣をまとい隠されていたもちりとした歯応えと、上質な穀類にしか持ち得ぬやわらかな甘みが顔を出してくるのだ。
この感動は、まるで、お高く止まっている貴族娘の衣を剥ぎ取り、初心な本性を剥き出しにさせたかのよう……!
他の具材も、忘れてはならない。
卵もまた、ひどく上等なものを使っているのだろう。
濃厚極まりない黄身の甘みがたまらず、しかも、あれだけ激しく熱していたというのに、わずか半熟さを残している部分もあって、味の違いがアルタを陶酔させた。
あらかじめ煮込んででもいたのか……たっぷりと下味のついた細切れ肉も、これだけ甘じょっぱく濃密な味付けを施されていながら、他の具材と喧嘩することなく……さりとて、自分が奥に引っ込むこともない。
まさに、王の中の王。
チャーハンという料理を構成する一団の中にあって、紛れもなく中心核の存在でありながら、他の者たちも引き立てているのだ。
そして、忘れてはならないのがネギ。
まず、第一の効能として、茶と黄色が交わって生み出された黄金色の中に、鮮やかな緑を散らしているというのは、忘れてはならない。
目もまた、口ほどにものを食す。
ただでさえ油を多用している料理なのだから、この鮮やかさは嬉しい。
しかも、この鮮やかさは決して見てくれだけでなく……。
いざ、口に入れば、アルタが知る同種の野菜とは明らかに異なる鮮烈な香味と辛さでもって、舌を賦活させるのであった。
これらを下支えしているのが、最初に香りとして感じられた鶏出汁……。
油や他の調味料と交わり合い、全ての具材に吸収されたこの香りと旨味が、口内から喉の奥へと充満してたまらない……!
こうして細やかに味わってみると、いずれもが舞台の中央を独占しておかしくない凄腕の役者。
そして、それぞれ美しい音色を奏でる楽器が参集すれば、美しいオーケストラが奏でられるように……。
かくも美味なる具材を一度に咀嚼し味わうと、他に例えようのない美味なる爆発が口内で巻き起こる。
いや、アルタはこの喜びがいかなる名であるかを、すでに知っていたはずだ。
そう……これこそ、チャーハンを食す喜び。
チャーハンという料理を思うさまに貪る時でしか味わえない抜群の快楽が、今ここに顕現しているのであった。
食に……。
食に支配される。
気がついてみれば、この世界に存在するのは、アルタとチャーハンだけ。
ただ一心に、これをかきこむ。
ひと口ひと口……口の中で爆発する美味さは、聖女の目尻に涙さえ浮かべさせた。
自分は今、生きている……!
生命の賛歌が、ここにあった。
「はあ……美味しかった」
だが、何事にも終わりというものは、訪れるもの。
食べ終わり、あの男――店主に礼を告げようと、顔を上げる。
しかし、だ。
「……いない?」
あの男のみならず、奇妙な屋台そのものも、眼前から消え失せており……。
アルタの手に残されているのは、いつの間にか持ち上げていたペラペラとして頼りない器と、匙のみなのであった。
「一体……」
明らかに、人知の及ぶところではない出来事……。
これなる出来事に理由を付けるならば、一つしかない。
すなわち……。
「商業神様の導き……?」
これであった。
商業神ビタ・クエトが、飢えに飢えた哀れな聖女の願いを聞き入れ、あの美味すぎる料理と巡り合わせてくれたのだ。
ならば、やるべきことなどただ一つ!
「商業神ビタ・クエトよ……!
聖女アルタが、心より祈り申し上げます。
またあの屋台で食べさせてください! またあの屋台で食べさせてください! またあの屋台で食べさせてください! またあの屋台で食べさせてください! またあの屋台で食べさせてください!
……おなしゃーす!」
即座に両膝をつき、心からの祈りを天へ捧げるのである。
感覚の鋭い者ならば、天に向かって放たれるおびただしき魔力の奔流を感じ取れたにちがいない。
果たしてこの祈り――届くか!?
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