商業神の聖女
――金色の空間。
商業神ビタ・クエトを祀る大広場に足を踏み入れた人々が抱くのは、そのような感想であろう。
一万人を収容できるというこの広場を囲うのは、他でもなく、ビタ・クエト大聖堂を構成する数々の建物であり……。
それら建築物に使用されているトラバーチン石材が太陽の光を受けて、金色の輝きを放つのである。
まさに、商売と交易の神を祀るにふさわしい場所……。
「商業神ビタ・クエトは秤を持ち、両の手で釣り合いを測られます。
一方に利益を置けば、他方に信義を求められる。
秤が傾けば、取引は壊れ、やがて富も人も離れてゆきましょう。
金貨とは、ただの金属……。
それに価値を与えるのは、約束を守る心と、互いに信じ合う絆です。
信義なき取引は、いかに大きな利を得ようとも、砂の城のように崩れ去るのです」
そこへ居並んだ敬虔な信者たちに対し、広場中へ響き渡るほどの朗々とした声を張り上げる人物が存在した。
僧兵たちが警護する演説台の上に立ち、遠くからでも見えるよう大仰な身振り手振りを加えながら語りかけているのは、意外なほどに年若い――少女である。
年の頃は、十五か六といったところか。
腰まで届く桃色の髪は、後頭部で二房に分けられており、これは身にまとったローブの各所へ飾られている聖貨共々、彼女が言葉を発するたびにゆらゆらと揺れていた。
右目は澄んだ青、左目は深い紫。
両の瞳はそれぞれで色合いが異なっており、なんともいえぬ神秘的な気配を感じさせる。
商業神を祀る神殿において、最高位の聖職者にしか許されないローブをまとう少女を知らぬ者など、この王国には存在すまい。
――聖女アルタ。
生まれながらにして神の声と共にあり、言葉を発するよりも、癒しの奇跡を習得する方が早かったという……。
まさに、規格外の――聖人。
すでに、このビタ・クエト教団を引き継ぐことも、聖人の列に名を連ねることも確定している稀代の聖職者が、彼女なのだ。
だから、人々は手を組んで瞳も閉じ、彼女のありがたい言葉を耳だけでなく、全身で浴びんとする。
演説台に立つ聖女本人が、完璧な表情、完璧な声量と抑揚、完璧な所作でもってミサを行いつつも、その内心で何を考えているのかなど、知る由もないまま……。
「ゆめゆめ、忘れてはなりません。
富は神の与え給うた流れであり、正しき手にあれば施しとなり、正しき取引にあれば国と人を養う糧となるのです。
皆よ、秤を見つめなさい。
重きを成すは、ただ銭ではなく、あなたの行いそのもの。
商業神は常に、真実の価値を見極めておられるのですから」
演説を続けながら、聖女は一体、何を考えているのか?
(ああ、それにしても……)
それは、他でもない……。
(お腹が……減った)
このことだったのである。
こうなってしまうと、世界の全てに自分が置いて行かれたような……。
この広大なビタ・クエト広場に、ただ一人取り残されてしまったかのような錯覚を感じてしまった。
空腹のひもじさとは、かくも支配的であるものか。
これだけ多くの信者にこうべを垂れられ、説法しているというのに、聖女アルタは絶望的ですらある孤独感にむしばまれていたのである。
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