婚約破棄された天才魔導士は人見知り魔導士少年を育成する〜最強スパダリ化した彼からの溺愛が止まらないようです〜
「婚約を破棄してくれ。シャルロッテは俺がいなくても生きていけるだろう?」
そんな突拍子のないセリフで前世の記憶が蘇るなんて、一体誰が思うだろうか。
『俺がいなくても生きていける』
前世で言われ続けたその言葉。付き合う男、付き合う男、みんなそう言って私から去っていった。
……まるで呪いみたいね。生まれ変わってもそれを言われ続けるなんて。
強くて何がいけないんだろう。自立したいと思うのに、相手を支えたいと思うのに、果たして理由などいるんだろうか。7人目の彼氏に振られ、ぐるぐると頭の中を同じ言葉が巡り続けて。……私は、階段から足を踏み外した。
だからだろうか、あの言葉が記憶が戻る引き金になったのは。
人生、どうなるかわからないものね。
婚約を破棄されたのは昨日、私と妹と3人でお茶会をしていた時だった。どうやら王太子殿下は私の妹が好きらしく、彼女と結婚するのだと。
……あの子すっごい嫌そうな顔してたけど、ちゃんと同意は得たのかしら?
多分あの脳筋男はそんなことなど1ミリも考えていないだろう。思い立ったら猪突猛進、周りのことなど考えない。記憶が戻る前の私はあんな猪男の何が良かったんだろうと思わずにはいられない。
妹が婚約予定の辺境伯に私をあてがって、代わりに妹を手に入れようという算段らしい。
王子を溺愛している王妃様が各所に手を回したらしいけど……この国、大丈夫なのかしら?
そんな疑問がふと胸をよぎるが、そんな事を考えても仕方がない。まずは我が身の問題だ。
ガタガタと揺れる馬車の中で私は1人ため息をつき、手元に置かれた手紙にそっと視線を落とした。
『辺境伯家へ家庭教師として赴くように』
端的にいうとそんな内容のその手紙。
相手は2つ下、15歳の辺境伯家嫡男。騎士を輩出する辺境伯家ではあり得ない気の弱い少年だと聞いた。母を早くに亡くし、子供のまま成長した甘えた男だと。
私は前世で22歳まで生きた。けれど自分が成熟した大人かと言われたら全くそんな気はしない。この世界だと15歳は大人扱いされているが、いくらなんでも幼すぎると思う。
15歳の子供相手に恋愛感情なんて抱けないし……ここは大人として、せめてちゃんと導いてあげないと。
1人心の中でそう決めて、私はすっと顔を上げた。
* *
侍女から通された整った中庭。薔薇の花に囲まれたその一角で、私は例の辺境伯家嫡男と向き合っていた。
「初めまして、今日から貴方の家庭教師として配属されたシャルロッテ・ヴァレンティアと申します。ここに来る前は魔法省で研究をしておりました」
目の前に座る、私より背が低い小柄な少年。彼は俯いたままこちらを見ようともしない。私の視界に入るのは、彼の金髪の髪の毛だけだ。
「……」
もじもじと指先を弄びながら一言も発さない彼。
「えぇと、ヴィルヘルム様、とお呼びすればよろしいですか?」
ヴィルヘルム様はびくりと肩を揺らし、しばらくしてからこくりと頷いた。
これは、骨が折れそうね……。
想像以上の人見知りっぷりに、私はヒクヒクと口の端を痙攣させる。
結局これから1時間、彼が話すことはなく――ただただ、無味な時間だけが過ぎて行ったのであった。
* *
ダメだ、1週間経ってもほぼ会話ができない。
屋敷の廊下を歩きながら私はふーっと息を吐く。ヴィルヘルム様は想像以上に手強かった。剣の指導をする時も、勉強を教える時も最低限の返事をするだけ。目も合わずずっと俯いたまま。
能力は特に問題ないけれど、意思疎通が計りにくすぎる。
いや、諦めるにはまだ早いわ。人見知りなんて誰にでもあること、特に思春期は繊細なんだから。
私はぐっと拳を握り前を見る。その動作に合わせてもう片方の手に持ったランタンの灯りが揺れ、暗い廊下の影がそれに合わせて動いた。
……ん?
その瞬間視界の端に何かがちらつく。窓の外で何かが淡く光ったような、そんな気がして。
あれは中庭の方向よね? こんな時間に一体誰……?
中庭に続く扉を静かにあけ足音を忍ばせて進む。たまに聞こえるゲームのようなエフェクト音が冷たい空気を震わせた。
誰か魔法を使ってる……!?
確か辺境伯家の人間は魔法を毛嫌いしている脳筋一家。もし使っている人間がいるとすれば――侵入者の可能性が高い。
私は急いでふくらはぎにつけたホルダーから杖を取り出し、エフェクトの近くの木陰に身を隠した。
被害が出る前に、排除しなきゃ。
ワンポイント宝石がついたシンプルな木製のそれが手に馴染むと同時に、私はばっと体を前に出す。
「アイシクル!」
詠唱とともに聞こえるキィィイという鋭い音。現れる氷の柱。月明かりに照らされたそれは真っ直ぐ人影へ向かっていく。
「ひっ!? ファイアウォール!」
「っ!?」
しかしその氷はたちまち溶かされジュウという音を立てて蒸発した。
気配は消していた、なのにあの一瞬で防御魔法を……!?
どきりと心臓が高く跳ねる。だがそれは魔法を防がれたことに驚いたから、というだけではない。
「ヴィルヘルム様……?」
火柱が映し出したその姿は――あの、ヴィルヘルム様だった。何より衝撃的なその事実に私はぐっと息を呑む。
「こっ、これは……その……」
初めて聞く返事以外の言葉。歳の割に高いその声は、可哀想なぐらいに震えていて。
私は思わず彼に駆け寄り、ぎゅっと彼の手を握る。
「すごい……! 私の魔法を防げる人間なんて、ほとんどいないのに。どうやって気がついたんですか? あの詠唱スピードのコツは? 構築方法はどのように!?」
私は矢継ぎ早にそう尋ねながら、ぐいと顔を近づけた。
あのスピードで魔法構築できる人間なんて見たことがないわ。まさかこんなハイレベルな魔法を使える人間に会えるなんて……!
「えっ、えっと……」
「あ……申し訳ございません。つい……」
目の前のヴィルヘルム様は酷く狼狽した様子で、顔を真っ赤に染めている。私はその姿と声にはっとして、急いでぱっと手を離した。
急に手を取られてこんな風に迫られたらそうなるわよね。
魔法のこととなるとどうにも熱くなりすぎるところがあるのよね……気をつけないと。
私は軽く深呼吸して、改めてヴィルヘルム様をじっと見つめた。
「とにかく、凄まじい才能です。このような方、王都でもほとんど見たことがございません」
ヴィルヘルム様はびくりと肩を揺らしてから、気まずそうに目を逸らす。
「で……でも……魔法は、よくないもの、なんですよね……?」
「良くない? 魔法は人類の叡智ですよ。それに最終的に身を助くのは芸の多さですわ。手札が多くて困ることはありませんもの」
ヴィルヘルム様はしばし困ったように視線を泳がせる。
「……そんな事、初めて言われました」
揺れるその瞳は、力強い色に反してどこまでも儚げで美しい。
「それにしても……何故魔法を?」
この家に魔法ができる人間はいない。そう聞いていたはずだけれど。
「その……母様が、魔法が使えたそうなんです。それで、子供の頃にこの本をくれて……」
ヴィルヘルム様はぎゅっと古ぼけた本を抱きしめる。「魔法大全」とかかれたその本は何度も読み込まれたのか、端のほうがわずかに擦り切れていた。
「なるほど……亡きお母様との思い出なのですね。それならなおのことです」
私はじっとヴィルヘルム様の瞳を見つめ、にっと口角をあげる。
「私と一緒に魔法を極めましょう。貴方の家庭教師として、出来ることはなんでも協力致しますわ」
「えっ……で、でも、僕は落ちこぼれですよ……? そんな風にしてもらっても……」
「落ちこぼれだなんてとんでもない。剣も座学も問題なし、魔法の腕は一級品です。それに……」
私はさっと杖を構える。杖についた紫色の宝石。王立学園最優秀者にのみ与えられるその石が、月に照らされきらりと光る。
「貴方にはこの私、稀代の才女『シャルロッテ・ヴァレンティア』がついておりますもの。さあ……私と一緒に、強くなってみませんか? お母様のその魔術書を、残してくれたものを、全て使いこなせるように」
ヴィルヘルム様は目を大きく見開いてから――覚悟を決めたようにこちらを向いた。ガーネットのような赤い瞳が、私のことをひたと見据える。
「そう思ってくれるなら……僕、頑張りたい、です」
まだほんのりと揺れる声に、私はすっと目を細める。
「なら、一緒に頑張りましょう。よろしくお願いしますね、ヴィルヘルム様」
これが、私とヴィルヘルム様が初めて向き合った日。ここから私達の運命の歯車が、急速に回り始めたのだ。
* *
そう……少し、回りすぎた気がしますわ。
「なぁ、シャル……いつになったら俺を恋人だって認めてくれるの? 大人になったらって言ってたけど、俺もう17だよ?」
机に座る私の背後にべったりとくっつく男性。すっかり私の背など抜いて、180近くなった大柄な体躯。それなのに態度は完全に子犬のままだ。
「ウィル、だから何度も申し上げているでしょう。18になったら結婚しましょうと」
昔はあんなに物静かだったのにどうしてこうなったのかしら。
今ではすっかり口も魔法も達者になって、あの頃の儚さなど見る影もない。
「はぁ……君を手に入れるために王子との婚約も正式に破棄させて、魔法省の出世頭になって、君好みになるように見た目も全部整えてるのに……それでも、まだ待たないといけないの?」
「後半年なんだから我慢してください」
「でもその半年の間に誰かにシャルを盗られたらって考えたら、もう気が気じゃなくて……。シャルみたいな綺麗で強くて賢い女性、他にいないし」
「それを強いって理由で婚約破棄された私に言いますか……」
「それは王子の目が節穴だっただけでしょ? 俺の事愛してくれてるのは知ってるけど……今すぐに、俺だけのものにしちゃダメ? 俺、シャルの全部が欲しい」
私の首を腕を回し、耳元で囁くウィル。どこまでも甘いその声に思わずどきりと心臓が跳ねる。
正直、地位も見た目も完璧だ。私好みのハーフオールバックの髪、鍛え上げられた体、柔らかい話し方。今すぐにでも手に入れたくて仕方がない。
これは私の心の問題だ。前世の私の倫理観が彼の年齢にNOを突きつけている。ただ、それだけの話。
「……そんなに煽っていいんですか?」
クロスタイのリボンをぐい引っ張って、ウィルの耳元に噛み付くように顔を近づける。
「大人の本気、舐めてかかると後悔しますよ」
「っ……!」
顔を赤らめ、耳を手で塞ぐウィル。こういうところはまだ初々しくて可愛らしい。
そう、今はまだ我慢しているだけ。その時が来たら話は別だ。
獰猛な獣のように、しかし全てを包む聖母のように。
ウィルの全てを、私のものにして見せる。私なしでは生きられないよう、心と体にじっくりと私の存在を刻みつける。
この子が私を愛するのと同等かそれ以上に、私はこの子を愛している。
その衝動を、欲望を。きっとこの子は知らないだろう。




