4 おいで
「ねえねえ、俺と夫婦になって、色気が微塵もないってどういうこと?」
事務所でまたくだらないことを話しているのは、いつものボーカルである。
「功君を見ても尚香ちゃんが色気付かないってこと?」
「てめえに色気がないって話なんじゃないのか?」
そこでボーカルは状況を語る。
「なんかさ、『おいで』ってセリフ分かる?」
『おいで』とは、世の女性が好きな人言われてキュンとするセリフらしい。少女漫画的に。
「何それ。言ったの?」
「うわっ、最悪。惚れ込んだ相手だろうが絶対に言われたくない。」
「その日から別れ話を始めそう。」
「イケメンにも言われたくない。」
「こちらに来てくださいだろ?って、言っちゃうよね。」
「いや、言ってほしい。そして、相手の反応を聴かせてほしい。」
イットシーの女性スタッフには不人気である。
「お前、そういう顔してないだろ。」
伊那も言いたい。
「いや、ウチの看板ボーカルとして、それで女性の心をキャッチできるくらいにはなってほしいんですけど。」
「腐っても元アイドルなのに。」
スタッフも言いたい。
「社長、本当に何が良かったんだろうね。」
功も言ってしまうが、今も向こうの社長からいつでも戻っておいでコールをされていて、1曲コラボは決まっている。一曲決まると、プロモーションとかたくさんあるから嫌だと言っていたが、与根と伊那に快く送り出された。
「功君、今言ってみなよ。採点してあげる。」
「何を?」
「『おいで』だよ。」
「やめろ、気持ち悪い。」
「いやいや、違ってね。俺が言われたの。」
「は?」
みんな思う。お前がか、と。
女子もありであろう。
「まあ、カッコいい女子に言われたらときめくかもね。」
「だって尚香さんはかっこよくないんだよ?」
功はかわいく心の内を語る。
「ここに尚香さんがいたら聞かせてあげたいな。こいつのセリフを。」
「ほらさ、尚香さん、よく言うわけ。功君触らないで。そこにいたらじゃまなんだけど、とか。」
「鬱陶しそうだもんな。」
「それでさ、いじけてソファーの下の窓側の方でうずくまって、スマホ見てたわけ。」
「既にウザい。」
「そしたらさ、『功君、おいで。いつまでそんなところで拗ねてるの?ご飯だよ』とかいうの。ひどくない?俺、子供じゃないんだけど。」
「………………」
一同静まる。
おいでと言ってもらえるだけいいではないか。自分たちなら、勝手に拗ねてろか無視である。
「ガキじゃん。」
「ガキにしても、そんな煽ること言わないで、どうしたの?大丈夫?何かあったの?って、聞いてくれればいいのに。朝ちゃんだって、わざと反対のこと言うんだよ?怒ったの?て聞くと、怒ってるのに違うって感じだし。」
「………」
みんな何も答えたくない。反抗期なら、優しく言ったところで逆らうであろう。
「ミニ反抗期だから、逆らっても優しくしてほしいよね?俺、朝ちゃんに優しくしたもん。」
なお、朝ちゃんが怒った理由は、この前の演奏会で功が朝ちゃんのシンバルをトライアングルに変えてしまったからである。自分の演奏が止められないように、かわいい楽器に変えてしまったのである。怒って、打ち鳴らしまくっていたが。反抗期ではない。正当な理由があって怒ったのである。
「あー、ほんと。尚香さんと結婚してもつまらなかった……」
ボーカル、さらに最悪なとこを言い出した。
「こんなん、世田谷の家に遊びに行ってた頃と同じだし。あの頃も『おいで』扱いだったし。」
章君、こっちおいで。そんなところで寝っ転がってないで!
ちょっとおいで。お皿しまうなら、ウチのルール教えるから。
「………ひどくない?尚香さん、大和にすら『おいで』なんて言わないんだよ?俺、太郎扱い?いや、朝ちゃんだし。」
園児。頑張って低学年である。
「尚香ちゃん可哀想。大人選んでたら、もっとトキメキがあっただろうに。」
「俺この前、恋人にしたい若手ランキングで7位だったんだけど?俳優の斉田計より上だよ?」
「そういうランキング、たいていファンが集ってる。」
「総投票数3ケタもないだろ。」
「絶対付き合いたくない有名人と、嫌いな有名人でもトップ5にランキングしてたぞ。」
「それ言わないでくれる?俺、たいして有名人じゃないんだけど。アンチが入れたんだよ。ネタ用に。」
三浦が資料をフォルダにまとめながら口を出した。
「お前はときめきよりも、気い使わない生活を選んだんだろ。」
「うん。気い使うより、こっちがいい。」
「なら黙ってろ。」
「でもさあ~」
あれこれ言いたいボーカルなのである。
***
そして家。
ソファーでタブレットをじっと見ている章………をじっと見る尚香。
「…………」
「尚香さん何?」
「……章君ってほんと、顔が怖いから黙ってるとちょっと賢そうに見える時あるよね。」
目つきが鋭い。
「………賢いんだけど。」
「……そうだね、ごめん。」
「信じてないね。見る?これ覚えてんだけど。」
「見ていいの?」
「これはいい。もう世に出てるのだから。」
尚香もソファーに座って覗き込むと、男性アイドルたちのダンス動画だ。
アイドルといえばキラキラしているかと思えば、スタイルや顔は端正でもストリートな感じで男臭い。なおかつ見ているだけで疲れそうな全力投球。若いってすごい。
「みんな強そうだね……。章君こんな中で仕事できるの?」
「………できない……」
だよね、と思う。女性の世界とは違う、ギラギラして相手を抑圧しそうな空気だ。キラキラに濁点を付けただけでこんなに違うとは。
「最近はこういう、女性狙いしないスタイルも、実力があれば女性に人気が出るから。」
「そうなんだ……。」
「日本韓国だけでなくて、市場が他やアメリカに向いたりしてるからね。今はこういうのでも全然いける。結局男の中には、男に認められたい層もそれなりにいるし。」
アイドルだからと、周りが気にならないわけではない。仕事は男の中でもするからだ。
「これ覚えるの?」
「うん。」
「本当に見て出来るの?」
「だいたい分かるけど、現場で教えてもらわないと難しいのもある。複雑な立ち位置は、別の角度で撮ったのも見せてもらう。」
「世の中いっぱい歌があるの、全部覚えて区別が付くの?」
「まあね。」
「すごいね。だって見てる分には左右反対だし。」
「……………」
頭の中はどうなってるの?と、じーと画面を見ている尚香を章は眺める。尚香は勉強以外は平均的だ。ダンスなど覚えるのもそこまで苦手ではないが、他の歌手のものまで覚えるとか感心してしまう。
「これで歌うの?」
「ダンスメインで歌わないのもあるし、歌うのもある。フルダンスと、歌入れる時では違うバージョンもあるし。」
「……へぇ……」
「…………」
時々褒めてもらえるのでうれしい章はタブレットを下げる。そして、尚香の顔をじっと見た。
「何?」
「尚香さん、ご褒美にキスしてよ。」
「………」
「キス。」
章は薬指と小指で自分の口を触る。
「!」
「は?」
「尚香さんから!」
「ええ??」
動揺している。
「『おいで』」
と、言って両腕を広げてみると……
両頬を挟み押さえられた。
「子供じゃありません。」
「尚香さん、俺によく言ってるのに~っ」
「うそ?ほんと?!」
「え?無意識なの?俺、無意識で大和以下??」
「大和君?」
「……………」
章は大和の名前を出して不覚な気持ちなる。
「ごめんね……。でも、『こっちおいでよ』くらいは言うでしょ。」
「いいよ、何でも。だからキスして。」
「いやいや、私の顔が近付いたら章君吹いちゃうよ?」
「だったら俺は、尚香さんに近寄るたびに吹いてる。」
と言って目をつぶれらるので、う~んと心を決める。
「……………」
マリカに、妻からあげるものもないといけないとも言われた。
そして、目を閉じて尚香もそのまま少し顔を寄せる。ムードのために目を閉じているわけではない。こんなことをしている自分がバカみたいで恥ずかしいだけだ。それにここで目を開けたら、笑ってしまいそうで。
思い切って近付き、ムニっと唇が触れると、それは鼻下。
「うっ?」
「!」
目を開けて思わず笑ってしまう二人。
けれど、章はそっとそのまま引き寄せ抱き締める。
「………尚香さん………」
章の手が熱い。
尚香はまだその熱さを知らないけれど、その熱さが章の胸を焦がす。
そうしてふたりは、
長い長い、この夜ほどに長い、
そんなキスをするのだった。




