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スリーライティング・下 Three Lighting  作者: タイニ
第三十章 ふたりで

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85 あなたの許から



「道さーん!山野さんがお酒を持って来ていたんですけど!」


エプロン姿の美香が、困って道を呼ぶ。

「ああ、もうそれは取り上げて。」


「うるさい!しらふで盛り上がれるか、こんなくだらないこと!」

「シスターを呼びますよ。これ以上規則を破るなら、山野さんは今度から呼ばないことにします。」

そう言われて愚痴っているおじいさん。


ここは都心から少し離れた修道院の運営する教会兼憩いの場だ。都内の身寄りのないお年寄りのために、宗教関係なく土曜日に集会が開かれ、様々な行事などしている。まだ早いが今日はお月見。

若い人たちもいるが、老人以外はほとんどが外国人だ。日本人の父親と暮らせない母子や、日本で教会に通えない人たち。シスターも1人以外みんな外国人。後は時々道と美香のようなお手伝いが入る。お手伝いも別にキリスト教徒ではない。



道はともかくなぜ美香がこんなことをしているかというと、それは数か月前に遡る。


この後の人生をどうしたらいいか分からなかった美香が、道に相談したのだ。

死んだ夫と離婚すべきか、一緒にいてもいいのか。


少しだけ似た境遇の道に、美香は助けを求めた。



結論は、「今、決めなくてもいいんじゃない?」であった。


正直道だって分からない。道は永遠に正一の近くにいたくて、永遠に章の母親でありたい。ならしばらく、他事をしながら考えましょうということで、そう言う事になったのだ。


道から見れば、美香の選んだ人生はものすごいことだ。インターン経験もあり有名大出で、いくらでも飛躍できた人生。それを愛する人との結婚に捧げてしまったのだ。バイタリティーもあったので、妊娠中も自宅ワークで様々な仕事をしていたらしい。


もともとは道は、愛ゆえにではなく章のお母さんになりたかっただけだ。


なので、そんな美香に何かアドバイスできる何もない。いろんな人がいて楽しいからと、気晴らしに仕事がない日は一緒にシスターたちのお手伝いをしようと言ったのだ。美香は土日仕事も多いので、月1、2回の参加。

ここには小さな子供も数人通っているので、美香は日本語を教えたり、お母さんの日本語発音を覚えてしまった子供たちの構音指導や遊び相手をしている。



「みかせんせー!」

そう言って抱き着いてくれる子供たちがかわいい。普段母親は仕事。愛情に飢えているのか、たくさん抱きしめてたくさん話を聞いてあげる。

「シスター。いいキットがあったので、今度チョコデコレーションクッキーしてもいいですか?」

「子供たち?おばあさんたちは一緒にやりたがるかもね…」

「なら少し多めに準備します。チョコを付ける部分とかは私がしますので。」

「楽しそう!」

道も乗り気だ。



自分の未来。


美香は答えを出せない。

でも、今は子供たちと楽しく遊べるこの時間が好きだった。






そして道は、一つの結論を出していた。


道は、章と尚香の関係が起動に乗り始めた頃に、山名瀬の名をはずすと決意したのだ。




それも少し前のこと。


道はまた、洋子と会っていた。今回は洋子のマンションの掃除をしてそのままお茶になり。そこで洋子に言われた。


「道さん、やっぱり私、このマンションを道さんに渡したいの。」

「え?」


「洋子さん、私、そのつもりはありませんよ。」

それに、このマンションの名義は正二だ。

「正二君もいるし。」

「でも、正二は戻って来ないし。」

思うことはあれど、道は一旦洋子に聞いてみる。


「ピアノはどうするんですか?」


「売ろうと思うの。」


「!」

あまりにも驚いて、道が慌ててしまう。

「売るって。そんな!」

「十分いい暮らしをしてきたし、小さな家に行ったら電子ピアノしか持っていけないし。どうせもうピアノは完璧には弾けないし。電子ピアノはヘッドホンがあるから、防音がなくても大丈夫なの。」

『道子』が死んでから、洋子はほとんど電子ピアノだったので、もうピアノまでなくてもいいだろう。



道はさらに驚いてしまう。

「小さな家に行く気なんですか?」

「道さんのお家みたいな家でいいのかなって。」

「!」


それは困る。

まずセキュリティーの問題だ。洋子をオートロック以外の家で暮らさせるなんてできない。あのマンションにはエントランスや通路、非常階段前に監視カメラがある。住宅の多い場所だが、コンビニもマートもある。


「ダメですよ。安全面もあるし、あのピアノだってやっと調律したのに。」

今となっては道だって思い入れがあるのだ。

「調律した分、高くなるとは思うの。それでお引越しすれば……」

「………」


あのピアノがいくらの価値があるのかは分からないが、都内の引っ越しを賄ってしばらく暮らしていけるほどでもあるまい。道のあのアパートですら月9万円だ。それに、子供たちが幼少に家族で過ごした思い出のある家だから、みんな住民でなくとも必死に維持をしてきたのだ。もし洋子が家を移ってしまったら、もう一世帯面倒を見ることなんてできないかもしれない。


「生活していくお金は?」

「工場なら働けるかもって……」

「??」

演奏ではなく、工場?

「私はもう年だし、お店も飲食店でも働けないから、ずっと同じ作業をする工場ならって……」


「!」

もう驚くしかない。


それができるのか……と思いつつ、昔遊びに来て延々と同じ折り紙を折っていた良子を思い出す。できるかもしれない……けれど論外だ。嫌がらせなのか。

「ダメです!」

「?え?どうして?」

「工場ってどこにあるか知ってます?こんな場所だと近場でも地下鉄を乗り継いで1時間以上掛かるところばかりです!」

23区外の方が多いであろう。

「え!?」

衝撃を受けている。

「ご近所にないの?イチゴやハムを乗せたりするお仕事。ネットの動画で見たの。」

数を数える仕事も、ラインもスピード仕事も無理であろう。

「少なくともこの近所にはありません……」

「!!」

規則の曖昧な小さな職場で働くなんてできないだろうし、現場も洋子のような人が来たら困ってしまいそうだ。それに、家族の目の届かない場所で暮らさせるわけにもいかない。



「…………」

小さくなってしまった洋子。


「……でも、道さんの暮らしを見て、あれもいいかなと思ったの…………」

「……!」


なんてことだ。道にも多少は一般的な東京の暮らしを知ってほしかった下心はあるが、お互い近くなりたいという意味の方が大きかった。一度来れば、外出の機会にもなり会いやすくなると思っただけだ。


そんなピアノを売るなんてことは考えもしなかったのに。



これはなんだ。本心か、かまってちゃんか。

少し健気なところを見せようとしているのか、思い込みの見切り発車か。なんのためにイットシーに乗り込んだのだ。音楽で食べていくためではないのか。


実は洋子、そういう思いも多少はあったのだが、どうすればその上で音楽をお金にするのか分からずに放置だ。尚香も忙しいし、イットシーは怖いので誰に相談したらいいか分からず、もうめんどくさくて思考からポイである。



「………分かりました。洋子さんが家を出るという意見も、一度正二君たちに話してみますね。でもどのみち、私はこんな大きいところでは住めないし……」

一人では……と思うも、それを言ったら洋子は自分も一人だと言い出しそうだ。


「でも、一旦は洋子さんはここで安心して住んでください。今は正二君たちがお金を出してくれていますし。」

「……私、本当は、お金を払わないといけない立場だって……」

「………大地と良子のお金も何も出してなかったから………」

その代わり正二が大きくなるまで、道が正一のお金をあの家に送り、その後は正二がいくらか生活費、養育費を入れている。


「正二君が今はちゃんとやってくれていますよ。」

「……でも元は全部、親の問題で、そういう事をしてると奥さんたちもよく思わないって………」

義実家問題のために多くのお金を使っているのだ。今の時代なら奥さん側から見れば即離婚でおかしくない。

「……それに関しては大丈夫です。和司さんの奥さんは、子供に責任を持つ約束で再婚されたし、彩香ちゃんも正二君の環境を受け入れて結婚しています。」

「……………」


「でも、私がいなかったらもっとお金が浮くんだって………」

「!」


ため息が出てしまう。また誰かに何か言われたのか。それともそう悟ったのか。けれど、このマンションに人が住むだけで空き家を防げるし維持費を捨てることにはならないので、そういう安心もみんなあったのだ。




道はこの家が無くなってしまったら、正二君たちが日本に戻ることになったらどうするのだとも聴きたかった。せめて30代になってもう少し方向性が決まるまでは維持して問題もない。


洋子の考えは全部その場限りだ。

現実的な未来への資金や物事の連帯性がない。本気かもしれないし、その場の思いだけかもしれない。言ってみたいだけかもしれない。道はいろいろ考え、夢物語でもひとまず自分に相談してくれることに、洋子の信頼を得ていると思うことにした。



取り敢えずこれは、おいおい正二に相談するとして、道は初めて知ったのだ。




洋子も、彼らの実母という以外、何も立場がない自分に引け目を感じて生きてきたことを。


それはそうだろう。章もあれだけ洋子を責めたのだから。



道は書類上だけ。

洋子は血だけ。


お互い、浮いてしまった存在。



それで十分だとみんな言ってくれる。でも………………




自分の元を離れていく章を見て、道は決めたのだ。


まだ先は決まっていない。

それでも、1Kでも生活を維持する力はある。少し逃げだが、もし将来生活に行き詰っても、韓国の実家も兄弟はみな親と別居してしまったので、帰ることもできるであろう。実家には今、両親と祖母だけだ。そういう保障もある。



この後、修道院に入ることも考えたが、おじいさんは『神様の元には、生涯を捧げたイエスの花嫁がいっぱい過ぎて、他の人と結婚してって言ってる』と言っていた。



何度も聖書を読んだ道にはそれが分かる。


天は自分の形に男女を作ったのだから、人はきっとそこに帰って行くのだろう。



天の国から、あたふたしている洋子さんを見て、正一さんはずっと心配しているに違いない。自分ですら、今もって心配でたまらないのに。


洋子さんが本当に今後も一人で生きていくのかまだ保証はないが、正一さんの元に返してあげたいと思ったのだ。




自分に気兼ねなく、その人を守ってあげられるように。







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