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スリーライティング・下 Three Lighting  作者: タイニ
第三十章 ふたりで

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84 お話しするあなたと私




世田谷の小さな家。


披露宴の日、結局ここでは狭すぎるということで、夜は親戚中心にまた外で食事をした。チュンゾモ(曽祖母)たちは、その後3泊観光だ。


最後は本当に近い身内だけ家に残り、お兄さんもいるので両親を任せ、尚香と章は後でマンションに帰る。




章は不思議だ。


引っ越しの時、2階に上がって尚香の荷物を整理した。まだ布団など残っているが、章や尚香が泊まりに来た時用にそのままだ。


自分がこの部屋に入ることを許してもらった時、アリア・サーフの楽譜や、たくさんの教科書や参考書、少しの書籍がきれいに置いてあるかわいらしい部屋だった。後はいろいろな小物。家具は兄の時からの物。服や化粧品など以外はほとんど貰い物らしい。


そして小さなもずく君に、小さな楽器たち。


小さな部屋で、その全部が胸に溢れるようだった。



尚香を抱きしめて、頬や顔にキスをしたのはこの部屋が初めて。






名残惜しそうな尚香を連れて、両親やお兄さんたちに挨拶をした。実父母の仏壇と時計はもう少し後に持って行く。




実は二人が身も心も繋げたのは、初めて二人でマンションに帰ったこの日ではない。



尚香がひどく不安がり、軽いキス以上に進めなかったのだ。




あまりにも、見た目の話をするので章は違和感を覚える。


病院に言った方がいいか、章君はどうしてこんなに肌がきれいなのか、脱毛した方がいいのか。章としては意味が分からない。気になるならすればいいけれど、剃ればいいんちゃう?としか思わないのだが、肌が汚い、自分の胸の形はおかしいかもしれないととにかくあれこれ言い出す。


そんなことを気にするタイプには思えなかったので、章も戸惑いどうしていいのか分からない。




後日、最終的に道と相談し、アメリカでカウンセラーをしていた牧師夫人にお願いして、やっと理由が分かる。



これまでの全部が、想像以上に本人の中で傷になっていたのだ。



際沢の事件を起こした頃、尚香は婚約者との精神的関係が非常に不安定になっていた。これ以上騒ぎを起こしたくない思いと、この人と結婚したら家に閉じ込められるかもしれないような漠然とした不安。なのに、子供が3歳になったら仕事復帰しなければならいないという矛盾したプレッシャー。


そして、体のことをひどく蔑まれてきたのだ。尚香が一番弱っていた頃に。


いや、彼は尚香にのみそう言ったのではなく、世の漠然とした価値観として女性がいつもきれいであることを求めていたのかもしれない。


尚香も世の中の男性が、女性のあらゆる個所を評価してきた現場に何度も遭遇している。事件以来ネットに容姿をのこともたくさん書かれていた。どこにもさらしたこともないのに、かなり卑猥なことまで。




そしてある日。それは突然だった。


婚約者が急に、尚香に関係を求めて来たのだ。



『!』


尚香にとって、それはあまりにも衝撃的なことだった。婚約が決まっている関係で家を出入りしていれば、今の時代なら不自然でもないことだ。


けれどその時は、心も体も何も準備していなかった。彼はいつも髪や肌をきれいにしろと言い、そして神経質で潔癖に思えたので、こんな風呂にも入っていない自分に迫ってくるとは思いもしなかったのだ。しかもあけっぴろなリビングで。


忙しくて体の手入れもしていない状態で、彼が嫌悪するボロボロの腕に触られた時、それが全身にあると知られたらどうなるのか、尚香はその人を受け入れることができなかった。



もう、全ての感情と緊張が混ざり合って、爆発してしまったのだ。数年分が積もりに積もって。




相手はこれまで長い間無自覚で尚香の肌や見た目を嫌悪し、尚香はそんな男性の思考を嫌悪した。


相手は罵り、でもそれ以上は何もせず。



彼のことまでは分からないが、実は尚香は経験がなかった。

もし経験があれば、お互いそこまで人の体に幻想を抱くこともないだろうし、こんなもんだと割り切れることもあっただろう。世の中いつもきれいにできる人の方が少数派だ。気になるなら電気を消せばいいと、そんなことどうでもいい人たちだって多い。


でも、それが未知な尚香には、相手が受ける印象がひどく重要に思え、怖かったのだ。人の印象が尚香の人生も変えてしまったから。



誰にも話さなかったが、過去そんなことが起こっていた。




そして重なる、男性に乗りかかられた時と、あんなに大きなビルの、あんなに長いオフィスに通路だったのに、女性もいたのに、誰も助けてくれなかったあの時の恐怖。必死で再構築したのに、また失われようとする社会的立場。




道たちは思う。


多分相手は焦ったのだろう。尚香言うには、結婚まで待ってくれそうな、むしろそれでいいような人だったらしい。でも、彼は気が付いたのだ。ひどく下に見ていた婚約者は、男性に相手にされない訳でもないということを。


「……まあ、無理に何かする人でなくて、それはよかったけど………」

だが言葉の攻撃は受けてしまった。相手も自分の男性の部分を否定されたと思い、ショックだったのかもしれない。


けれどそれは、信頼関係があれば別れには繋がらなかったはずだ。






だから章は、少しずつ変えていく。いろんなことを。


抱き合うのはもう大丈夫になったから、今度はそっとソファーで唇を合わせる。




初めは章に悪いので、寝室も別にした方がいいと尚香が言ったが、みんなできるだけそれは避けたかった。そのままレスになってしまっても困るし、何より章が嫌がった。


何もしないから、一緒にいたいと。


尚香がどうしてもダメな時は、章は別の個屋には入らず居間のソファーで寝ている。




二人の結婚生活がそんな風に始まったとは、誰も思わないだろう。



章ですら最初は、9も年上の尚香に、こんなふうに年上のような役割をするとは思わなかったのだ。ずっと姉と弟と言われてきたのに。


家の中以外では、尚香が完全にお姉さんではあったが。


けれどきっと、そうやって夫婦はお互い、何にでもなっていくのだろう。

相手のために。





ソファーで章の横に座る尚香。章が後ろから抱いて、少しずつ二人は慣れる。最初は手で、それから足。


そして二人はたくさんお喋りをする。



「章君。私、この半分もお尻上がってないけどいい?」

何なのかと思うと、SNSのアイドルやモデルの写真を見せてくる。


「セルライトとかひどいかも。」

「……?別にいいけど。気になるなら一緒に運動しようよ。簡単なの。」

「運動しても、こうはなれない…。私見て萎えない?」

「………どうしたの?それを尚香さんに求めてないし。」

「求める時は、こういう人がいいの?」

「何言ってるの?なら最初から尚香さん選ばないよ。尚香さんがいいから結婚したんだよ?」

ほんとかなぁと言う顔をして考え込んでいる。


もう男はここまで来たら、好きな人の体形ならどうでもいいのにと思う。いやだと思った時点で、一緒に暮らしていない。正直、したい気分なら、細かいことなど気にしない。多分、元婚約者の男も、口ではあれこれ言っても実際嫌ってはいなかっただろうとは思う。



「尚香さん、俺、なんでも丈夫だからいろいろ気にしないでね。」

「何が?」

「尚香さんが思ってるより、人の体って全然違うからね。あざやアトピーがあってもいいし。心配なら病院には行った方がいいけど、あっても全然構わないよ。お腹出ててもいいし。」


「尚香さん、俺がハゲてたら俺のこと捨てるの?」

「え?どうしよう。」

「考えないでよ。捨てないで。」

と、抱きしめる。

「いいよ。私もはげてたし。」

と、尚香も笑った。



「俺ね、道さんに付いていろんなケアハウスにも行ってたから、尚香さんが思うよりなんにも気にしないよ。おじいちゃんの介護したこともあるし。」

「章君が?」

「大人がいない時に、おむつのままじいちゃん暴れるから、最初は放っておいたんだけど、周りを汚すから俺が掃除した。」

「……そうなんだ……。苦労したんだね………。」


「いろんな人見てるから。みんな自分の常識で生きてるし、もう少し適当で我儘でもいいと思うよ。」

「そうかな……」

「頑張ってどうにかなることと、ならないことがあるし。」


章から見ると、尚香が何を怖がっているのか分からない。手入れをしなければ肌だってみんな荒れることもあるし、健康や清潔を過度に怠っているわけでもない。



安心してほしいなと章は思う。



「あ、今度ソンジ来るから効きそうなパックとかクリームとかいろいろ買ってきてもらおう。ぼつぼつ薄くなるのもあるんじゃないかな。奴ら美容に詳しい。」

「ソンジ?エナドリの?」

「そう。結婚式参加できなかったから、無茶苦茶嘆いてた。」

「……そろそろ、焼肉してあげないとかわいそうだね……。なんだかんだ引き延ばしてきたから、こっちが奢らないとな…」

「え?いいよ。会わなくて。」

「でも、もうちゃんと章君と結婚したし、なんかもう、レインが悲痛だし。」


俺だけ仲間はずれ~、と未だうるさい。


「いいよいいよ。俺だけ会えば。」

そして、待っててと立ち上がる。

「尚香さん、今、家にあるので一緒にパックしよ。」

「一緒に?章君もするの?」

「するする。一緒にする。おそろ。ペアルック。」


不器用に章がマスクパックをしてくれる。


「章君、もう破れてるよ。」

「ごめん。やり直す?」

「もったいないからいいよ。」




そう言って笑い合い、


私たちはたくさんお話をする。




たくさんのたくさんのものを埋めるように。






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