76 次に進もうかな
「複雑?」
いちいち顔を覗き込むので、尚香は目線を反らす。
「……正二君は………
尊敬する人で、明るくて、私とは違う世界の人で、嫌いで、しつこくて、ばかみたいで、鬱陶しくて、兼代君と同類で………章君みたいで、何人がも同次元の人かも分からない人………」
「…………それは複雑だね……」
あきれている。兼代って知らないが。
「まあ、正二のことも、そのカネシロさんもいくらでも嫌って避けてもいいんだけどさ、私にそれはひどいんじゃない?」
「………ごめん。ひどいって思ってる………」
少しだけ彩香を見てまた横を見る。
「……でも私、正二君は何でも出来る人で、自分とどうこうとかは考えてなかったから。学校の、ちょっと人気者に憧れる感じで………」
一応彩香を安心させるため、小学生のような恥ずかしいことも言ってみるが、全く意外な返しをされた。
「憧れ?正二が?」
「…………?」
あきれられるような言い方をされるので、思わずそんないい方しなくてもいいのにと思ってしまう。
「……尚香から見たらそう見えたんだね………」
「何が?」
自分がバカみたいで、正二にも申し訳ない気がして、そんな立場でないのに少し怒ってしまった。
「私から見たら、正二は見てて心配な子だったけど。」
え?と心の中で驚き、顔を上げる。
「なんでも自分でやっちゃって、優秀ではあったから入社直ぐ主任みたいになって。仕事以外はけっこう抜けてたしね……」
インターンで既に優秀だったため、正社員になったとたん会社も待ってましたと言わんばかりに、主任どころではない責任のある仕事をしていた。
「…………」
そうなんだ……と今になって分かる。
そういえば、章を見てから正二を見ていると、似ていな………と思ったのだ。抜けどころは違うが、どこか鈍いところもあるのだろう。
「あの素直過ぎる性格で、よく営業とか対人仕事なんて出来るな……って。正直、私はハラハラしてたけど………」
彩香が悩んでいる。
「最終的には、素直過ぎて相手がひどい人間でも思ったこと言ったり、状況状況でざっくり切ることもできるって分かったからよかったんだけどね………。ただ、部下や後輩かわいがり過ぎるのもちょっと……。」
給料がいいので止めはしないが奢り過ぎで、時間も割き過ぎである。
「………………」
尚香は、彩香でよかったんだ……と安心する。
ちゃんと正二君をみてくれる人だったんだと。
あの頃の自分は、祝ってあげたくても正二に滲む思いに「おめでとう」と言うのが精いっぱいで。でも、そんな風にでもふたりの門出を送り出してあげてよかったと思う。
「……でもあの頃は私、正二君にも正二君と結婚してしまった彩香にも、どうしていいか分からなくて………」
最終的な思いは……多分、全部が追い詰められて、自分でも何が何だか分からなくなっていたからだろう。生きた心地がしない時期だった。
その頃の自分は一方的にしか何も考えられなかった。
あの迷路の出口に抜け出したくて………
出口は……全然違う場所にあったのに。
それとも必死でもがいた先に、新しい出口が生まれたのか。
ただただ、みんなが幸せであってほしくて。
少し前もそう思った。でも今は、ちゃんと安心する。
ホッとする。
彩香が戻って来てくれたから。
誰かもそう。
尚香以外の誰かも、きっとそうだったのだろう。
きっと誰かも見つけた答え。
「……彩香にも、正二君にも………本当にごめん………」
「まあ、しょうがない。好きになられても困るし。」
「…………」
申し訳ないと思いつつも、彩香は尚香が「好きだ」と言ってしまったらどうするのだと思ってしまう。
いずれにせよ、きっと、
嫌いにはなれない人ではあるだろう。
でも、以前のような気持ちとは違って、たくさんの大切なものの一部で、幸せになってほしい一人で。
自分もたくさんのものを通過して、たくさんの人と出会い、たくさんの思いに触れ、環境が変わり、変わって来たのだろう。
だからそのまま言う。
「きっと、嫌いにはなれないけれど………、自分の前を通り過ぎた……大切な人たちを守ってくれていた人。」
自分だけでなく………章君のお父さんや洋子さんや、章君や道さん、良子ちゃんやみんなを。
自分も、憑き物が取れたように何かが変わって。
「…………そっか。」
彩香はまたため息をついた。
「私はどうせ時々しか会えないし。正二には会いたくなかったら、会わなきゃいいし。……私には時々会ってね。」
「………」
飲みに行くくらいはできるであろう。
「………ぅう…………」
尚香はまた泣いてしまう。
「なんでまた泣く!」
こんなことがあって、冷静でいられるわけがない。
彩香がいる。彩香がいるのだ。もう二度と修復できない関係だと思っていた。
「ぅぐっ……みっともない………」
「何が?」
「この歳になって、ここ最近、何回みっともなく泣いたか分からない……」
「……私の前ならいいのに。」
「いろんな人の前で大泣きした………」
お父さんやお母さん、美香や正二君や久保木さん、道さんや…………
ずっと年下の章君………。
よかったと思う。
久保木さんに、正二を切るように最後まで迫らなくて。隣りの彩香を見て、彩香がいてくれることに安心する。久保木が正二を切ったら、経済界や大学の友人、章まで切るという事だ。そんなことをさせなくてよかったと思う。
「まあいいよ。そういうこともあるよ。それくらい大変なこともいっぱいあったんだし。」
「……ぅぐぐ……」
「それに男泣きだし。」
もう、かわいいすすり泣きでもなくヒステリックでもなく、泣き止もうとして変な声が出ておっさんみたいだ。
「もうちょっ……あー………とことん話そう!美香ー。店じゃなくて、美香の家、行っていい?」
少し離れた場所からコクッとうなずく。
「……行こ、尚香。」
「……帰りたい………」
「はあ?何言ってるの?」
「…………帰りたぃ………」
これ以上何か話せると思えない。既にひどい顔だ。
「……うぅ……久々に帰って来たのに、義実家や………正二君は………いいの……?」
「私一人で帰国したから。」
「?!」
ほいほい帰って来れる距離ではないし、家にいても仕事ですれ違うのに、旦那据え置きか。
「それにお義母さん、私の事苦手みたいなの。」
山名瀬の親戚たちに義母とはあまり関わらない方がいいとあれこれ言われ、大変な人なのかな?人嫌いなのかな?と距離を取っていたら、「私を嫌いなんだ」といつの間にか嫌われてしまった。東京にいないので誤解を解きにくい。
「それにまだ聴きたいことがいろいろあるんだけど。」
「え?何?」
「まず、そのカネシロって誰?」
「……どうでもいい人。」
まさにどうでもいい人である。恩はあるが。
「なになに?尚香はそのカネシロ君の前でも泣いたの?」
「泣くわけない。」
そこは言い切る。泣くどころか怒りまくっている。兼代相手に泣くことなど何もない。
「まあちょといろいろ聞こうか。」
「え?」
「言っとくけど、私、いろいろ許したわけじゃないからね。」
「…………」
そう言って、三人。
数年ぶりに同じ家に帰るのであった。
***
都内のボクシングジム。
「大和、お前なんで24区外の大学に行かなかったんだ。」
大学生になった大和に絡む、大人功。
「いまさら何言ってんですか。しかも、東京は23区ですよ。」
「……え?そう?」
「23区です。」
「あれ?なんで俺は24区だと思ってるんだ?」
「バカだからじゃないですか?」
「あ?なんだ??ならお前は、太陽系の恒星の数を知ってんのか?」
「1個です。」
「バカかよ。9個だよ。」
功、得意げになる。
「それは惑星ですよね。それに冥王星は準惑星になったので8個ですよ。」
「んあ?勝手に準にすんな。俺の中では冥王星は恒星よりも輝いてんだよ!!」
「普段気にもしないのに、生産終了になったら嘆くみたいな人やめて下さい。」
「黙れ、揚げ足取んな。」
と、大和に絡んだ。
「功、やめろ。」
ジムのお兄さんに怒られる。
「だいたい、俺をジムに入れるから悪いんじゃないですか!」
「なんで俺のせいなんだ。」
「入会費払ったのに、都外行けとかひどくないですか?」
「………大和は、ジムで大学を選ぶのか?」
「功さんがそれ言います?」
「いやいや、入会費0キャンペーンで入っただろ。」
「……3000円払いました。功さん、あんまりうるさいと、会社にボクシングしてること言いますからね。」
「あ~。大和く~ん。お兄ちゃんが何でも奢るよ~。」
「…………」
あんなに物静かだったのに、ぺちゃくちゃ喋る功に周囲はあきれていた。こういう性格だったのか。
現在、時々来る弟の大地も含めて3人で都内を走る日もある。
大和は、「Lushクラスティン」が想像以上に本格的な活動を始め、そちらも助けながら大学に通いたいと思ったのだ。緑川高校は少々お坊ちゃま学校。英語などに親しい人が多いため、日本に住む外国人と地域の人を繋ぐ活動などもしている。一緒に地域ボランティアをしたり、日本の伝統文化を体験したり太鼓や伝統舞踊を習って発表の場を設けたり。
ジムが終わって、スタッフ以外誰もいない受付付近でまた功が絡む。
「つーか、大和さ。俺が営業したのに、去年の文化祭で軽音部10人もいなかったってどういうこと?緑川って、見る目ないん?」
今年は仕事で緑川高校の春迎祭には行けない。
「今年は100人ぐらい入らないの?」
「………自分の営業力がなかったって思わないんですか?」
「ああ??」
本当は今年、例年以上に高校自体に入学希望者が来ている。昨年、音楽系の部にはそれなりの希望者が殺到したのだ。ただ、やはり緑川はお嬢様学校。他の部と違って指導者がなく個々で頑張るしかない軽音部ではなく、それなりの指導が入る吹奏楽やマーチング、ダンス部などに人が集まったのである。
けれど、うるさいのでしばらく黙っている大和。
「でも、LUSHの講習が良かったから選んだって人もいるんで、ライブじゃなくてもいいから一度くらい行ってあげてくださいね。」
「…………」
そう言って少し座っていると、見知った人が来た。
「章!」
「荻さん!」
「……なんでお前、男とつるんでんだ?早く結婚しろって言ってんだろ。大和、こいつ構うな!」
と、荻はしょっぱなからひどいことを言う。
「………しばらく仕事に生きるから大丈夫です。」
「は?もう誰でもいいだろ。サッサと結婚しろっつーの。……あー、すみれちゃんはやめとけ。二人してアクティブ過ぎる。」
「荻さん、しばらく俺の前に現れないでくれます?3年ぐらい感傷に浸っていたいので。」
「は?ふざけんな!3年も経ったら中学1が高校生だぞ?そんなに掛けるな!」
「俺まだ23なんですけど。」
「功さん、21ですよ。」
大和が教えてくれる。
「お前絶対、横で助けてくれる人間いるだろ。」
「…………」
寒い目で荻を見ている章。
「荻さん、章さんかわいそうなのでやめてあげて下さい。」
「あー。でも、ウチの会社の今の庶務受付の子、すごくいい子だぞ。紹介してやろうか。そんな派手な子じゃないし……」
「荻さん!」
というところで章がつぶやく。
「………会おうかな……」
「!?」
章は少し考えている。
「…………会ってみようかな……。荻さんがいい人って言うなら……。」
環境を変えてみるのもいいかもしれない。そう思った。




