75 女性たち
ある日の昼前、道は自分の1Kに、初めてこのお客さんを招待した。
「………すごく小さなおうちなのねえ。」
「ふふ、でも慣れるとこれも過ごしやすいんですよ。狭くても綺麗だし。」
こんな所に住めるのかと不思議そうに部屋を見渡しているのは、洋子さんだ。
「……あれがキッチンなの?」
先、入り口で見たものがキッチンだったと分かりものすごく驚いている。普通の人だったら嫌みにもなるかもしれないが、洋子にその意図は全くないだろう。
「学生の時はワンルームに住んでて、1コンロのところにもいたから平気。まな板を置く場所もなくて。」
「1コンロ?」
「ガスコンロは1つ。一時期、台所トイレバス共用の所にもいたし。」
「…………共用?誰と?」
「その建物に住んでる人と、シェアしてみんなで使うの。」
「…え……」
「女子学生だけだよ。」
洋子が引いている。絶対無理であろう。
「でも洋子さん、災害とかあったらどんな生活になるか分からないからね。いろいろ慣れておかないと。」
「その時は道さんが一緒にいて……」
「はは、会えるといいですね。」
「テーブルは?」
「そこのちゃぶ台。」
「ちゃぶだい?」
もう布団はしまってしまった小さな白いこたつテーブルを指す。
「!!」
驚きすぎる洋子。大きなローテーブルのこたつは正一の実家にもあったが、あの家にはダイニングが別にあった。
「かわいいテーブルでしょ。お気に入りなんだ。」
「どこで寝るの?」
「ここ。」
と、テーブル横の厚めのカーペットが敷いてある床を指す。
「!?」
もう、怯えてさえいてかわいそうだ。洋子の長身では、ベッドがないとこの部屋では生活しにくいであろう。
「洋子さんには狭いけれど、私は小回りが利くから。」
道も背は低くないが、床生活に慣れているので大丈夫だ。兄弟や従兄妹たちみんなで雑魚寝していた時代もある。
「そこのクッションを背にして使って。」
今日はワイドパンツだったので、胡坐で座る洋子。まだあちこち見渡している。
「……ねえ。やっぱり一緒に住………」
まで言って、道の真顔に気が付き、子供の様に口を押えた。言ってはいけない。
洋子が食べられるナッツの乗ったチョココーティングのビスケットと、温かいお茶を出して道も座った。
少しだけ最近の話をして、道は将来のことを聞いてみた。
「洋子さんはもう再婚はなさらないんですか?」
「………え……」
すごく嫌そうな顔をする。
「再婚も嫌だし、もう男性はいい……。」
「………」
「私は一人では暮らせないって、みんな言ってたけど…」
その通りではないのか。
「……生活力のある男性がいてすら、まともに暮らせないって分かったもの。」
それもその通りであった。少なくともこれまでは。
「いつか良子と暮らしたいって言ったら、良子がパパに話しちゃって、すっごく怒っられたんだって。」
「………」
それもかわいそうである。
「もう男性はいい。……子供たちがいた頃は幸せだったからそれだけでいい…………」
あんなに大変だったのに、洋子には幸せだったらしい。
「あとは、神様のために生きるだけ。」
「……………神様のために?」
「とりあえずしっかり生きて、いつか天国の道子に会いに行くの。道子に恥ずかしくないように。」
「…………」
「………私はバカだから、道子の願ってたことは分からないけど………」
それから洋子は顔を上げる。
「……道さんはあのマンションに……あ、私がいなくなったとしたらだけど、あそこに住みたい?」
「!」
慌てて道は首を振る。
「もうあのマンションは正二君の物だから!私は部外者です。」
「………」
今度は洋子が黙ってしまう。
なんて、さみしいのだろう。
正二が成人するまで懸命にあの家を守って来たのは、道子だったのに。
あのマンションは、いったい誰の物?
正二の物だとしても、正二は洋子がいればそこに住むことはないかもしれない。みんなに、洋子さんは子供の配偶者とは暮らさない方がいいと言われているから。
道は改まる。
「……洋子さん、この前はごめんなさい。」
「……この前?」
「ひどいこと言って、洋子さんの家を出て行ったでしょう。」
「…………?……あー!そうだっけ?」
済んだことは、洋子の中ではあまり繋がらない。
「私はよく人を怒らせるから、道さんにこそごめんなさい。……嫌いにならないでね。」
「………大丈夫。洋子さんのこと、好きですよ。」
「ほんと?」
「ほんとです!一緒には暮らせないけど。」
「………」
分かりやすく落ち込む。
「洋子さん、ごめんなさいね。私は名前は同じ『道子』だけど……洋子さんの道子さんのようにはなれないから。」
「……?道子の?どうして?」
「私は『道子』さんにはなれないし……、血の通った身内じゃないから、生活に関しても実質実の姉妹のようには……」
道子さんの代わりにもなれないし、スムーズな関係でもない。
しかし、洋子はむくれる。
「……そうじゃなくて、道さんは道さんでしょ?」
「え?」
話がこんがらがる。
「私は道子じゃなくても、道さんのこと好きだよ。」
「へ?」
「道子のことを話してるんじゃなくて、道さんのこと!」
「私……?」
「そう!目の前にいる、『山名瀬道子』さんが好き!」
「……………」
「御実家の苗字は何ていうの?」
「崔…」
「チェ?じゃあ、そのチェ道子さんだった道子さんが好き!」
「………え?」
「妹は妹でしょ。道さんは道さん!私は道さんが好き。…妹の道子が好きで、娘の良子が好きで、笹井さんが好きで、若葉おばさんが好きで、富子叔母さんが好きで、道さんが好き!」
「!」
道子はなんとも言えずに下を向いてしまう。
「………道さん?」
「…………」
道の目に涙があふれてくる。
みんな自分を見ているのだと思わなかったから……。
その向こう側の『道子さん』だと………
「どうしたの?泣かないで……」
自分たちの関係は、何が正しいのかは分からない。
でも、道子は涙が止まらなくて、この後ふたりで洋子の好きなお豆腐と薄切りの豚、そしてうどんの入った水炊きを食べたのであった。
***
今夜は久々に尚香と美香とで夕食だ。
美香からは少し遅れると連絡が入ったので、近場で待つ尚香。しばらく近くの雑貨屋で時間をつぶしながら、着信が来たので着いたのかと外に出て電話を取った時だった。
「!!」
目の中に入った人物にあまりに驚き、そして反射的に逃げようとして…………
でも逃げられなかった。
「捉まえた!」
「!」
一気に駆けて来た人に腕を掴まれる。
「尚香、お久しぶり!」
「彩香……」
そこに現れたのは、彩香だった。
尚香と美香の親友であり、正二の妻であり、章の義姉である多賀彩香。
その向こうを見ると、ごめん!の手をして尚香に謝る美香がいた。
「………彩香………」
驚きすぎて、顔を見て怖くなる。少し怒っていたからだ。
「……なんでそんな顔で見るの?」
「…………あ……、ごめん………」
どうしていいのか分からないでいると、ギュッと抱かれた。
「……尚香…………。やっと会えた…………」
***
それから店には入らず、一旦尚香と彩香と二人で人気の少ないベンチで少し話をすることになった。美香は少し離れた所にいる。
「……ごめんね………」
尚香はそれ以外何も言えない。
「…………」
少しツンとしながらもじジーと尚香を見るのは、多賀彩香。ざっくり切った明るめのボブヘア。怒っていても、きりっとした顔に優しさが浮かぶ顔立ち。
「…………何年ぶり?」
「……………」
頭が働かない。
「………正二のことが嫌いだったの?」
「え?」
思わず顔を上げてしまう。
「それとも、正二のことが好きだったの?」
「!!」
尚香は真っ赤になってしまう。
「…………」
はあ……とため息をつかれ、尚香は一気に血の気が引き、涙が出て来てしまう。
「………今もなの?」
「…………ぅ」
こんな時に泣くとは、鬱陶しい女だろうなと思いつつも、そうでなくてこれまでのことが彩香に申し訳なくてどうしたらいいか分らない。その上、好きだろうが嫌いだろうが、奥さんの前でそんなことを言えるわけがない。
彩香も何を考えてそんな質問を。
しばらくぐずって、やっと言葉が出た。
「……正二君は複雑な存在……」
「複雑?」




