74 大丈夫、さみしくない
翌日の午後、事務所に出た功は、リフレッシュルームにあったお土産を見て沈黙してしまう。
おじいちゃんの家にも同じ言語のお土産があったからだ。
「…………」
「どうした?功。」
「………別に。」
その後日、久々に兄が泊まりに来たので聞いてみる。
「ねえ兄ちゃん、結局あの後、金本さんとはいろいろ話せたの?」
「金本さん?……いや、あのコンサートの後はしばらく日本に来なかったしな。」
あれからもう半年以上だ。
「彩香さんに言った?」
「言ったけど。」
「親友だったんだろ?どうだった?」
「うーん。何か考えているようではあった。」
「………」
それは何だ。これまで撒かれてきた怒りか。
「……久保木さん言ってたみたいに、金本さんさ、兄ちゃんの事、気になってたんじゃないの?」
「尚香さんが?」
「……そんなん聞いて、意識しない?」
「………」
兄、考えている。
「んー、そうだな。そうだったとしても、もうこうなってるしな。どうしょうもないだろ。」
「そう?」
「まあ、過去がどうあれ、彩香には苦労させてるし、これまでのことは大きいし……。」
そして少し恥ずかしそうに言う。
「……彩香がいるかならな。」
「………」
功は少しだけ知っている。
ふたりはなかなか子供が授からなくて、ずっと不妊治療を受けている。まだ結婚して数年だ。けれどそう思って呑気に構えていた彩香の母は、10年ほど子供が授からなかったのだ。最終的に姉妹ができたが、もう30近いのでクリニックに通っている。
環境や精神的なものも原因になることがあるため、今の仕事が一息したら、仕事を減らす計画もしていた。
出張も多く、海外生活。お互い不満が溜まりそうなのに、思い合える関係がうらやましい。
ずっと二人で頑張って来たから、二人にしか分からない苦労もあって、他にない絆もきっとある。
でも、尚香によく思われていたなら悪い気はしないだろう。悪く思われても、構うくらいなので何にしても同じかもしれないが。何せ尚香さんだ。
「それは尚香さんも同じなんじゃないか?」
「………何が?」
「必死に生きてきたらさ、会わない間にそれぞれ過ごして、それぞれ積んできたものがあるから。尚香さんには尚香さんの今の生活や人生があるよ。」
「………どうかな……。まあ、よく分からないけど、彩香さんはもう放っておいた方がいいよ。金本さんのことは。」
「はは、そうかもな。章はよっぽど嫌なんだな。いい人だぞ。」
今日は自分から振ってきたが、弟は尚香の話になると不機嫌になると兄は知っている。洋子サイドの人だからだろう。
章は、心でため息をつく。
おそらく、昨日の遠征中に事務所に尚香が来ていた。みんな無反応だったが。
また何かちょこまかしているようだが、もう章は動揺しない。
きっと誰かに頼まれて何かしているのだろう。けれど、敢えて会おうとしなければ会うこともなくなってしまった。
自発的に何かしなければ、どうせ見ることもないのだ。金本家に行っても、忙しいあの人はどこにもいない。お見合い以前、近い生活圏にいたのに、顔すら知らなかった頃のように。
あまりに章が尚香を落とすので、正二は一応言っておく。
「俺の中の敬意は消えないけどね。」
「…………」
兄はそう笑うが、章はいろんなものが頭から全部消えればいいのにと思った。
次の人生を歩んでいくのだと。
そしてその後、正二は、報告がてら話していた自分の妻彩香に、弟について衝撃的なことを言われるのであった。
***
そんな春先。
尚香の父がトイレで倒れたのは、今年こそどこか花畑でも見に行こうと言ってた頃だった。
お父さんがいる病院に駆けつける尚香。
「お父さん!」
お父さんはベッドで起きていて、娘を落ち着かせる。
「大丈夫だ。ちょっと、骨にヒビがいっただけだぞ。」
「ちょっとじゃないし!」
老後の骨折で、一気に弱ったり寝たきりになってしまう人も多い。
そして、病院の同室の人の会話に驚いてしまう。もう90近いと言っていた人やアラ100だと言っていたおじいさんが、父とほぼ似たような年齢に見えたからだ。白髪を染めてないせいもあるだろうが、父はまだ70代なのに。お見舞いに来る人たちの方が80代、70代で溌溂としている。
「…………」
お父さんに苦労を掛けてしまったことが、また胸に大きくのしかかった。
重い顔をする娘にお父さんは心配になる。
「……尚香?どうした。」
「………お父さん、ごめんね………」
「なんでだ?尚香のせいで転んだわけじゃないだろ。」
「……まだ80前なのに……。苦労させたから………」
「50、60でガンや心不全で亡くなる人もいるし、70でもっと老け込んだ仲間もいるぞ。それに70前半と後半も全然違う。もう80だ。しょうがないだろ。」
「でもっ……」
「こんな父親じゃかっこ悪いか?」
「そんな訳ないし!」
会話が聞こえていたのか、隣の人が笑っている。
「それだけ気が元気なら、すぐ復活するからお嬢ちゃん安心しろ。ウチのおふくろは90過ぎて骨折っても、今も俺よりうるさいぞ。老親に老人介護させるなとか言ってるからな。」
「…………」
尚香、聞こえていたのかと恥ずかしくなってしまう。お父さんは安心させるように言った。
「最近は病院もあまり入院させてくれなくて、どうせすぐ退院だ。家で会おう。」
面会時間もあっという間。身内でもお見舞い時間が決まっているとは、大変な時代になったなと思う。
退院の時どうしようと思いながら、章を思い出す。お父さんは章に会いたいだろうか。章はお父さんに会いたいだろうか……と。そして、心の中でブンブン首を横に振る。
「尚香!こっち。」
尚香はロビーで待っていたお母さんと家に戻った。
***
自室の部屋着姿でゴロンと寝転びながら、なんてことだろうと思ってしまう尚香。
お父さんが退院と聞いて章を思い出してしまったのだ。足になってほしいという意味ではない。タクシーを使うか尚香の車を出せばいいのだから。章の車なら車椅子がラクラク入るなーと思い、何となく一緒に帰る風景を想像してしまったのだ。
あんな風にいろんなことがあって、最後の最後まで嫌そうな顔をした章を子供のようだと思い、よっぽど嫌われたのだなとも思い、なのに今になってさみしい。きっと、いろんなことが終わって、また心に余裕ができて来たからだろう。あれこれ考えてしまう。
尚香はもうあれから仕事以外で久保木と会うこともない。
雰囲気は悪くないが、久保木の方に避けられているのも分かった。
30手間にして初めてこんなに男性と距離が近付いて、結局両方とも上手くいかなかった。
両方にあんなことを言い、あんな態度を取ったのだ。仕方ないと言えば仕方ない。高嶺の花だったともいえる。考えてみたら章はバンドマンで、一方はどこでも生きていけそうなビジネスマン。逆になぜ自分だったのかと聞きたい。
今となっては、どういう経由であの二人とどうにかなると思ってしまったのか全部思い出せず、自分が恐ろしい。周りに結構な年収の男性がそれなりにいるような環境で仕事をしていたので、自分も女久保木孝成だと勘違いでもしたのか。手に余る男性の面倒も見ていけるだろうと………あれ?……分からない……。
いや、山名瀬章は年収100万円あるのかの男であった。あれ?自分は男性を養う気だったのか?あれ?
まあ、彼らは別に尚香でなくとも、すぐに新しい相手が見つかるだろう。もういるかもしれない。
自分が血迷ったように、相手も血迷っていたのか。冷静に考えてみれば、人って高望みするばかりでもないのだな、久保木さんみたいな人でも変なところで血迷って、低望みするんだなだなと、ちょっと笑える。
「………」
大の字で布団に転がる自分。寒い。
でも結果、尚香の元に何もないのは事実だ。
仕方ない。婚約の時もそうだったので、次が三度目の正直か。いや、今回二人に意識してもらえたので、一気に三度目の正直も終わってしまったのか。
横を見ると、もうしまい込んでもう無い、アリア・サーフの楽譜があった棚。
尚香も疲れてしまった。
この歳になって今こそ婚活市場で頑張れる正念場なのに、去年以上の苦労ができる自信はなかった。
息もできないほどに走った20代であったから。
『尚香さん、ドジすぎない?』
バカだねと言われているようで。
『もう条件。定職持ちで清潔感のある45歳までとかだけにしといたら?』
書きかけのまま、去年からずっと放置してある結婚相談所の自分の紹介シートを見たら、章ならきっとそんなことを言いそうだ。
相手の希望年齢30~40歳、希望年収500万以上にしてある。妻の年収の方が高いと上手くいかないこともあるらしいと聞いたので、まだ尚香の方が高いが一旦その年収設定だ。都内ならこんなものだろう。あくまで希望である。
相談所で、
『100万……』
とつぶやいてしまったら、「だめです!ヒモになりたい人が群がります!!」と、止められた。その相談所の最低ラインは400万円からであったが。正直、子供のことを考えなければ、自分がだれかを養ってもいいのだ。むしろもう、自分が男だったらと思う。
でも自分は女で、結婚したらやっぱり子供はほしいだろう。
忙しかったこともあり、入会するか迷って家に持ち帰り、気力がなくなって提出しないままだ。
仕事は順調なのに、時々ひどく弱気になる。
大丈夫、さみしくない。
自分のさみしさでもう誰かを振り回していい人はいない。そう思いながら、そのまま寝てしまった。




