71 光の庭で
文字数が多いため、修正と共に話数を増やしました。再掲載です。
ピアノに、バイオリン、
そして周りの人々。
『Baby Baby Soul』という昔の歌のカバーでは、次々繰り出す言葉と音の嵐だけでなく、振り付けまで合ってしまう。
楽しそうに笑う洋子に戸惑う章。
あんなにキリッと笑う姿も、あの事務所に来た日、初めて知ったのだ。
母はいつもキリキリカリカリして、何か怒っている人だった。気に入らないことがあれば息子の自分を咎め、父に八つ当たりをし、不安そうにどこかを見て。
他の兄弟や生徒には優しいが、自分を見るとツンとどこかに避けていく。
人が良く、幸せそうな道を見れば何もかも取り上げてしまう勢いで睨み。
消化しきれない、過去の全て。
それはずっとずっと昔、
幼い双子に向けられた、ある父の姿。
一方の娘はよくできた子で愛嬌があり愛され、もう一人は蚊帳の外。
自分のステージも、愛し合う夫婦像も喪失して、
思い通りにいかない人生を嘆き、子供の顔も見ず、ベッドに伏してしまった遠い昔のどこかの母。
けれど思う。
『あの歌』を歌いながら、もうみんな気が付いている。
全部が過去と同じだったわけではない。
父と母が探せなかった物を、持って来てくれた人たちがたくさんいたから。
双子が選んだカードは、ただ嘆くことでも不貞腐れすることでもなかったから。
失ったものはあまりにも多かったけれど、波に残されたものもたくさんあったから。
引いては押し寄せる、さざ波のようなバイオリン。
砂浜を歩く私。
波は全てを流してしまうようで、でも少しだけ砂浜に宝も残してくれる。
そこにあったものはゴミかもしれない。でも、そんな無意味なものだって、その人にはかけがえのない何かだったり。その時は何も見えなくても、誰もいない冬の浜辺に行ってみたら、宝箱に残したいと思える物も落ちていたり。
海に沈んでしまったものも、きっと切なく、そして優しく温めてくれているのだろう。
山も海もたくさんの痛みを残したけれど、大切な人を世田谷のあの小さな家に帰してくれたから。
章は歌う。
このホールに反響する、自分と誰かの声。
それは私なのかあなたなのか、あなたなのか誰かなのか、
全てが舞って、何もかもが分からなくなる。
けれど、間違いなく彼女はいたのだ。
歌と、私の中に。
「功兄ーー!」
と、演奏後に功に抱き着くのは花束を持って来た、妹良子。良子は少し離れた場所にいる洋子にも、同じバラの花束を渡す。
太郎と朝ちゃんは教室の先生たちから。里愛たちもみんなそれぞれ花束を抱え今回の演奏会は大成功であった。
「本当に皆様、ありがとうございますーーーー!!!!」
無料演奏会フロア担当者も、彼らが演奏会をすると聞いて、アートパークで初演をしてほしいと懇願した一人だ。アートパークの広報に載るので、招待した以外の隠れファンのお客様たちも来てくれるだろうと。実際、今回の客の多くが良くあの通路を使う人や、アートパークの催しをチェックしてくれている人々であった。
「初演も何も、次あるかも分からないのに。」
功がつぶやく。
「えー!やりましょうよー!」
「やるとしても、もっと小さいところでいい……」
「うちにもありますよ!会議場にもシアターにもなる小ホール!!」
「違う、地元のおっちゃんたちが集まるような公民館でいい……こんなにみんなが集まれる機会ももうないだろうし。」
「ダメですー!私がだめですーー!!」
と、ホール担当者も叫んでいた。
今回は真理や戸羽も来ていた。真理も混ざりたいと言ったが、LUSHの場ではないので一旦見学と言われ、客席にいたので不満である。
「私も仮装して、魔剣士サックスするー!」
と、騒いでいた。
みんなが驚いていたのは功の妹、良子と巻だ。強烈な母に兄ゆえ、似たような顔をした良子はどれだけのレジェントを残すのか思いきや、ただのほほんとしている。活発で背の高い巻とデコボココンビでかわいいだけであった。ふたりともダンスはしているが、レギュラーになれるほどでもないらしい。群舞の端っこだ。
けれどあの目つきの悪い親子と違って、二人でいるととてもよく笑いみんなも楽しそうだ。それぞれ影コンビ光コンビである。
「今日、最高やったわ!」
「太郎くーん。また呼んでね!」
「うーっす!」
楽団の人たちは三人そろってボッティチェリの絵画の三女神。予定外に一人男が来てしまい、そのまま仮装。ギリシャの巻物の服みたいでいいやんと言われるも、肉厚が違い過ぎて朝ちゃんにこれは違うという顔でじーと見られていた。その人は芸大音楽科卒、木琴ができたのでミニデュオまでしてしまった。
「……………」
楽しかったが太郎は少しだけ寂しい。
デコボコ演奏隊、きっかけの一人がここにはいなかったからだ。こんなに楽しい演奏会だったのに。
「………太郎……」
と、里愛はやさしく頭を撫でた。
***
ある晴れた日。
功のスマホに久しぶりの電話が鳴った。
「おじいちゃん?」
金本おじいちゃんだ。
中国の親戚が月餅やお茶、調味料などいろいろ持って来たという。こっちの様子を知らないので、章に名指しのプレゼントまで買って来たらしいのだ。
おじいちゃんが、尚香もしばらく家にいないので少し顔を出せと。迷ったがまだ週一で道も仕事をしている。時々近くのスーパーまでは迎えに行っていたし、おじいちゃんの健康も気になるので顔だけ出してみることにした。
「こんにちはー。おばあちゃーん!おばあちゃん、いる?」
と、玄関の様子を見て勝手に入って行く章。
「おお、章。元気だったか。そこの袋、見なさい。赤いのは全部章宛だ。」
久々の居間に入ると、おじいちゃん一人だ。
もうすでに懐かしいような家の雰囲気。章が良くいた頃のような感じとは違い、全てがこじんまりしていた。よその家のように、匂いが分かる。
「おじいちゃん、田舎じゃないんだから危ないよ。一人なら鍵閉めておいてよ。」
いつも久しぶりに来ると仏壇に最初に手を合わせるが、今日はやめて、おじいちゃんの方を見た。
今日は天気がいいので、庭に続く大きな窓が開けてある。
おじいちゃんは、縁側の方で静かに座っていた。
「おじいちゃん、天気はいいけどまだ寒いからさ、窓は閉めよ。」
「少しだけだ。赤い袋の中を見なさい。章のだ。赤い袋以外も、ほしいのがあったら持って行っていいぞ。うちらだけでは食べきれないからな。尚香のお土産もあって、お土産があり過ぎる。ウチで使うものは分けたから、なんでも好きなのを持って行ってくれ。」
「ふーん。」
何があるのか見てみると、豆板醤や甜麺醤、XO醤や世界的に有名なお菓子の上海限定版など。
「道さんに聞いてみないと……。調味料は自分には使いこなせない…。」
「ならうちのお母さんに聞いて、肉や野菜と混ぜるだけのを持って行けばいい。」
「おばあちゃん帰ってきてからだね。でもこれ、並べるといい感じだから瓶並べておくといいよ。」
と、いかにも中華な瓶を全部並べている。
別の国っぽいお菓子もあるが、それには手を付けない。でも、道の家で見たものだ。道も土産でもらったのだろう。
「おじいちゃん、なんか食べる?月餅は?」
と封が明けてある月餅をいくつか吟味していた時だった。
少しだけ風が、家に入る。
閉めた方がいいと思うも、心なしか風が暖かかった。
「………山名瀬君。」
光る庭を見たまま、おじいちゃんが章を呼んだ。
「!」
少しだけ章は驚く。
「ここに座ってくれ。」
「……?」
そう言って縁側の床を叩くので、月餅を持ってその横に座った。
やさしい顔をしているのは分かるが、庭を見つめるおじいちゃんがよく見えない。
「山名瀬君。」
「あ、はい。」
「―――尚香はね。日本で生まれたんじゃないんだよ。」
「!…」
「尚香はね、私たちが先生をしていた国で生まれたんだ。」
「………」
章は何も言わずに聞く。
「妻と私はそれぞれ違う国で働いていてね。妻は気丈な人でエネルギーもあって、出産間際まで教鞭を取って、仕事先の国で尚香を生んだんだ。」
「!…………」
「もうネットがあった時代だから、大学の講義中にメールが入って。生まれそうらしいって言ったら、生徒たちが犬ですかとか、牛ですか、羊ですか?とか言うから、『娘だ』と言ったら急にみんなが怒りだして。
………なんでかって言ったら、娘が生まれたのにこんな隣国で奥さんを一人にして、何を授業なんてしてるんだと生徒たちに怒られて。」
「……」
「はは。普段ケンカしている国同士だったし、女性にそんな風に気を使う国柄だとは思わなくて。嫁はお手伝いさんがいるから大丈夫だと言ったら、異国の地で何を言ってるんだと大事になって。甲斐性なしだとか、目上の人間にひどくないか?」
と、懐かしそうに笑う。
「妻が、自分の学生たちが安産祈願をしてくれてるから大丈夫だと言ってると言ったら、私の生徒たちが言ってくれたんだ。自分たちも先生が無事国境を越えられるように、子供が無事に生まれるまで、祈っていてあげるからと。」
…………。
「それで早く行けと言われて急いで授業を抜けて………」
おじいちゃんは青い空を眺めてから、小さな庭を見た。
「尚香は、たくさんの祈りに囲まれて生まれたんだよ。」
「………………」
「少し頑固なところもあるが、優しい子だ。」
章がおじいちゃんを見ると、いつかの教壇を、住んだ国を懐かしむ顔をしていた。
「章君。尚香を大事にしてあげてくれ。」
そして、章にやさしく笑った。
しばらく、この庭にふわふわと温かい日差しが舞う。
今年の春は早いのだろうか。
気が付くと、壁掛け時計の音が………カチッ、カチッ、カチッ………と耳に入った。
スーと、少し冷える風が窓の方に吹く。
「おじいちゃん、風邪ひくよ。」
「あ?うん。そうか?」
功は慌てて窓を閉めた。
「おばあちゃんに叱られるから、月餅あっちで食べよ。床も向こうが暖かいよ。」
「章、月餅、うちにも違うのが一箱あるし、大きい方箱ごと持っていけ。」
「………今食べる。」
おじいちゃんを起き上がらせて、ソファーの方に一緒に移った。




