69 瞬きの朝日
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尚香の誕生日も過ぎ、世界は巡っていく。
「尚香さん。今日、アメリカ人の方のお宅に遊びに行きませんか?」
「アメリカ?」
海外の出張先で誕生日を迎えた尚香は、現地通訳の女性に楽しそうに言われる。
「その方が少し裕福で、家にジャグジー付きのお風呂があるんです!私も使わせてもらったことがあります。」
「日系の方?」
「違いますけど、私たちを心配してくれてるんです。全然湯舟に入ってないですよね?この前水しか出なかったし。こんな寒いところでシャワーや水だけだと体にきますよ。」
ここは、トイレとシャワーが狭い場所で一体化している。部屋の外にもシャワーだけの部屋はあるが、男性客の方が多いので女性が使うには向いていない。
今少し地方に来ている尚香は、想像以上にインフラがてきとうな地域に来て、でもお風呂だけ借りに行くなどいいのかと戸惑ってしまう。
「でも…………」
「現地の人ほどこの生活に慣れてないですし、女性は体を冷やすと一気に不調に繋がります。周囲の心配はしないで、まず自分が体を保たないと。日本女性はとくに環境の変化に弱いですから、まずは体を芯からあっためないと!」
「それに怒っていました。」
「怒る?」
「ダラさんって言うんだけど、尚香さん、なんで誕生日って言わなかったんですか?!」
「え?」
「そういうのは主張しないと!!」
「え?そうなの?」
ものすごく日本人な尚香は、最近知り合ったばかりの人に誕生日と主張する概念自体を持っていなかった。知っている人でも美香やソナ、家族くらいとしか共有しない。
「………」
でも、そういえば国によっては、誕生日本人がお祝いを主催してごちそうするとか言ってたな…と思い出す。
「こっちの習慣ですか?」
「あれ?日本ではしないですっけ?……こっちでは最近の人や若い人はそうですね。地域によってはお祝い自体するのかな…」
この国では家長や年長者のお祝い方が、女性や子供の記念日より特別だ。
「まあ、いいんですよ!誕生日だからお祝いしてくださいって、食事くらい誘ってください!!」
「……そうですか……」
「しかも30なのに!!特別ですよ!会社の人も言ってくれないと!!」
30だからこそ、もう放っておいてほしい気もする。
「……私も名簿持ってたのに気付かなくてごめんなさい……。一人しかいない女性の誕生日に気が付かないなんて……」
「いいですよ。気にしないでください。」
尚香も他の人の誕生日を祝ってないのに。
「それでダラさんが食事を準備してくれるそうです。」
「食事?」
「こんな、前の人が使ったバスマットも替えないようなホテルで誕生日だってなんて、さみしすぎます……。女性が来るからチップも多めに出して頼んでおいたのに!」
バスマットに足跡があったのだ。
「タオルと布団は洗ってあったから。」
おそらく、日本人女性なら大半が泊まれそうにないホテルだ。どこにでも似たようなホテルはあるが、都会と違ってここでは選べない。関係会社の事務所の方がまだまともであった。それに数日であるし、通訳さんも似たような隣りの部屋を取っている。ここらでは一番いいホテルで贅沢は言えない。
「まあ、都市じゃないしね。」
知らない人のことをそんな風に思ってくれるのにも驚くし、それだけで十分だ。
「彼女、海外から来てくれた女性たちのことすごく心配してくれていますから。」
夫の駐在に着いて来て、同じように海外から来てくれた人を心配し、地元の有識者の女性たちにつなげてくれたりもしているらしい。社交自体が趣味の女性だ。彼女が来てから、これでもこの地域がかなり変わったらしく、以前の赴任先では、何もない田舎に海外の観光客が泊まれるほどの変化をもたらしたそうだ。
「両親やお友達からお祝いのメッセージは来ました。会社の人からも少し……」
尚香はニコッと笑う。
うるっとしてしまう通訳さん。
「尚香さん、行きましょ!ダラさんところ、今夜はお子さん以外は女性しかいませんから、着替え準備して、あったかい恰好で!」
この地元では少し大きな家に来て驚く。
少し昔の内装だが、大理石張りの豪華な造り。木の階段手すりも最近は見ないゴシックとアールデコを混ぜたような雰囲気。日本だと高度成長期のお金のある家がするような昔の様式だ。しかも家の中は温かかった。
それに少しだけ……なぜかこの風景に既視感も覚える。
日本人では見ないような大理石の使い方なのに。
「コーカ!!」
少々胸の豊かな女性に抱きしめられ、温かく迎えられる尚香。英語圏ではコカはどうとか言われることもあるが、ここではちゃんと伸ばしてコーカと呼ばれた。
ケーキまで用意され、既に大きな子供たちも日本人の訪問を喜んでくれた。通訳の女性は今はほぼ現地人なので、尚香が珍しいようだった。日本人には甘すぎるケーキだったが、一生の思い出になるだろう。
お風呂のお湯は足さないと熱くはならないため、ボイラーの残り湯を考えながら大切に使い、せめてかじかんだ足先までは温かくするも、肩まで温まってくださいと叱られた。
少なめに入れたお湯に丸まって、自分と一日違いの誕生日だった真理を思い出す。
「…………」
心の中でおめでとうだけ言い、しばし温かい夜を過ごした。
***
功は今年のクリスマスはアメリカだ。
その前に日本でのコンサートやライブを済ませ、年末にはまた日本に戻ってくる。
アメリカでは、以前お世話になった教会が、一般の人も呼んで大規模なクリスマスコンサート礼拝をするため、道と話し合って今年は参加することにしたのだ。道は行けないが、与根と伊那も行きたいと言い、弟の大地も連れて行くことになっていた。
その前の12月初め。大きなコンサートが終わってからの最初のライブハウスはテーブル型だ。
ナオのプレゼントで、功たちは柚木と川田、美香、子供も少し大きくなったソナも呼んだ。子供はパパとお留守番である。
今回はその女性たちに合わせて、しっとりとした曲やクリスマスに合う曲だ。
そして最後に歌うのは……『あの歌』。
今日は功も大きな振りをせず、着席で静かに歌う。
過ぎて行く冬。
そしてライブ。
東京の一角で、階段を上がりながら高校生大和は息切れする。
「章さーん!待ってください!」
「……のろすぎる。サッカー部のくせに……。」
「もう受験だからサッカーしてません。最近勉強尽くしだったから……」
「勉強してるのか?大学どこ行くんだ?都外行けよ。都内に留まるな。」
「ほっといて下さい。」
ここ最近、週2、3で大和は章のジョギングに付き合っている。
しかしこの男、信じられないくらいにスタミナがある。
「現役高校生なんだから、俺より頑張れないの?」
「……はぁ……はぁ………」
大和は言い返せない。階段コースは初めてだ。
「足幅が違う………」
高台まで来て、章が限りのない天井を指す。
「ここから星と……朝焼けを見ろ。」
「星?朝焼け?」
上を見ると都内とは思えないほどの星が見え、しばらくすると、日が昇り始めた。
「!」
星も朝焼けも一緒だ。
普段、空なんて見ても感動しないのに、胸が熱い。
「………きれいですね………」
ふと章の方を見ると、朝日が少しだけ顔を照らし始め、いつか渋谷駅で見たポスターのように……きれいな横顔で東京のどこか眺めていた。
「…………」
「よし、降りるぞ!」
「え?もう?」
「学校の準備があるだろ!下りは膝に負担がいかないように、勢いだけで降りるなよ。」
「え?あ、ええ??」
そう言って、また昇った階段を下りて行った。
***
そして出発する。アメリカには与根と伊那と……
大地。
「え?誰っすか?てか、あの、どちら様ですか?」
「俺の弟。」
「ええ!!??」
「ビビるな。」
「ビビります!!!」
空港で初めて顔合わせをするのは、行く予定の4人と、なぜか一緒に行くことになった大和である。
「大地ー。あれ?同級生だっけ?武田大和君だよ。」
「あ、お兄さんの友達の大和っす。」
「…………」
大地君は何も反応しない。
「大和、弟の大地君。名前の雰囲気も似てるね!よろしく!!」
「…………」
大地は眼鏡にニット帽、おそらく髪をスポーツ刈りできっちり切り揃え、服もかばんも何ひとつ乱していない。大きめのリュックをしっかり背負い、清潔感があり姿勢もいい。なのに章並みに目つきが悪い上、章より暗い。背は大和と同じくらいだ。
「あー!握手して、握手!!」
と、章が無理やり二人を握手させる。
目を反らす大地君。
「伊那と与根は多分、音楽関係であれこれ忙しいから、大地見てね。」
と、章は大和にブリッコする。
「あいつら、見学とか言ってもどうせ無理やり参加させられる。」
「はあああ???」
「そんな反応したら、大地君傷つくじゃん。」
「……え?ああ!」
と、慌てるも、大地は何も反応しない。
「ダイジョーブ、ダイジョーブ。現地まで行ったら、教会の人たち構いたがり屋だから、大地の面倒も見てくれるから。大地君、こう見えて頭いいんだよ。大和君がんば!」
「……っ!」
信じられない大和は、この大地君だけでなく、この後好き勝手する大人章の面倒も見るのであった。他の兄弟に比べて頼りないと言われた自分が、バイト代貰いたいと思うほど役に立つ旅行になるのであった。その代わり、物価の高いアメリカで与根と伊那にたくさんおいしい物を奢ってもらい、お小遣いももらえた。
そんな風にクリスマスも過ぎ、
世田谷の家に尚香が戻ってくると、道からのクリスマスプレゼントのショコラケーキと共に、茶封筒が置いてある。
「?」
なんだろうと見てみると、「忘れ物です」とだけあり、章と最後に食事に行った時になくなっていたイヤリングの片方だけが入っていた。
「!」
バカだな……と思う。
捨てればよかったのに。失くしたと思ってこっちも片方は捨ててしまった。
「…………」
なんだかそれが、彼の最後の糸だった気がして、イットシーに借りていたタオルも全部返して、もう全部自分の元に戻ってきて、彼と自分を繋ぐ物は全部無くなってしまった気がした。
***
尚香の友人、加藤美香はいろいろな食品を持って、義実家に新年のあいさつに行き、思いもしないことを言われた。
「美香さん。もういい加減、姓を戻したらどう?」
「……!」
驚いて顔を上げると、義祖母が静かに言った。
「子供もいないし、そろそろ美香さんも解放されたいんじゃないの?」
「………」
子供がいない……。
いなくなってしまったのだ。
美香の苗字は、亡くなった夫の姓のままだ。今までそんなことを言われたことがなかったので、ハッと顔を上げる。
「なんだか私たちが、いつまでも美香さんを責めてるみたいで、周りも良く思わないし。私を意地悪な義家族にしたいの?」
「!」
手を合わせに行って、言われた辛辣な言葉。
いつものように玄関での見送りもなく泣きそうになるが、玄関扉の外で義祖父に止められた。
「美香さん、申し訳なかった。でも、分かってほしいんだ。」
「………あ、はい。」
「……妻も、いつまでもまだ若いお嬢さんを縛りたくないんだよ。」
「…………」
「加藤を離れて、新しい人生を歩んでほしいんだ。」
「………はい、そうですね………」
美香は混乱する。
義祖父母はもう、夫にとって両親のようなものだ。二人に育てられたのだから。
まだ、夫を愛してるんです。
とは、言えない。
だって、このご両親の方が、ずっとずっとさみしかっただろう。自身の息子が亡くなってから、親として彼を見守ってきた。ずっとずっと、息子のように孫としても彼を愛していただろう。
自分も今でもひどく夫を愛しているが、そんなことご両親にはには言えない。
今でもあの人に抱きしめてほしいんです、とは言えない。
本当はお供え物ではなく、彼らが帰ってきて、ここで一緒に食べるご飯の時間があったはずなのに。
お二人の方が、どれだけさみしかったことだろう。
「急で申し訳ない。すぐにどうとかいう話ではないんだ。」
「……はい…。」
「……美香さん。我々は大丈夫だよ。気分を変えて旅行もしているし、今は新しいアルバイトも始めているんだ。」
お母さんは、児童館で子供を見る仕事をしている。
「……分かっています……。お母さんにお体を大切に伝えてください。お父さんも。」
美香は笑顔で義祖父に挨拶をした。




