66 思い起こせば
功はあの後数週間して、やっとあのDVDを観ることができた。
まるでオルゴールの仕掛けのように、みんなに注目され、
くるくると舞台を駆け巡るふたり。
美しいだけかと思ったら、
次々繰り出す音に、声に、みんなが振り向く。
既にイットシーの中では話題になっていたが、他にも洋子が持って来た録音や楽譜の数々、焼き付けたCDもたくさん出て来て、中を開けば驚くほどの録音やオリジナル曲もあったのだ。
あの家のどこにそんなにもと思っていたが、再婚時に向こうの家に持って行った物もあるし、幼い章が荒らしそうな棚には鍵を付けていた。そして、洋子はデータを扱えなかったので、CDなどはほぼ封印状態だったのだ。普通のCDは洋子でも使えたが、手作業で焼き付けた物はDVDや他のファイルも含まれ、CDデッキしか試せず動かないと思っていたからだ。
さらに驚いたのは、『道子』の当時のノートPCや3つの外付けハードディスクまで引き出しの中に入っていたことだ。
PCもハードディスクも、パスワードが分からず開くことができないが、イットシーのエンジニアがハードデスクの1つ以外は起動はできると言っていた。そこには音楽や自身の専攻分野のデータがいろいろ入っている可能性があった。
あまりにも若かったので、その時点で残した遺言も、めぼしい記録もなく。まじめな性格だったので、おそらく人に見られて困るような物はないだろうし、手帳やメモ帳、ノートを探ればいつか分かることもあるだろうが、とりあえずそっとそのままにしておくことになった。
さすがに女性のPCを、最初に外部の人に見られるのも心が痛む。
ただ、あまりに放置してもそれはそれで動かなくなる可能性があるので、どこかできちんと整理した方がいいと言われた。
「音楽以外は、global cooperation……えっと、international contribution系のデータが多いと思う。」
洋子が少し賢そうな英語を出すが、道子がよく言っていた国際協力という言葉の日本語訳を知らなかっただけである。なお、洋子はこの時点までみんながしきりに言っている、「データ」が何なのかも知らなかったのであった。
歌に関しても、『あの歌』ほど同じものはなかったが、曲の傾向や雰囲気が功と似ている部分は多い。
何というのだろか。曲自体は違うのだが、「同じ歌手、同じバンドが作れば、歌えば、その歌手やバンドと分かる」という感じの話だ。
全部の歌ではないが、何も知らない人が聞いたら洋子なのか道子なのか、功なのか分からなくなりそうな系統の楽曲はいくつかあった。
功が性格のわりに明るい、でもどこか切ない女性的な曲も作れるのは、この女性たちの影響だったのか。
聴いたこともなかったのに、その胎動をずっと感じていたのか。
彼女たちは恐ろしいほどレパートリーが広く、童謡や聖歌、賛美歌だけでなく、世界各地の民謡まで歌いこなし、その上クラシックから、昭和の歌謡曲、ポッポスまで網羅する。
これは、女性の声だからこそできる幅の広さだ。ハードロック、パンクやヘヴィメタル系はないものの、そういう音調を含めたポップスはあった。
次から次へとアレンジもし、イギリスでのコンサート映像は歓声や口笛、拍手が随時飛び交っていた。
みんな思う。
ジャンルが広すぎてもっと明確なイメージがほしいとは思う。でもこの多様さを武器にもできるし、日本でのコンサート映像がディフォルトとして、この二人は若い内に飛躍できたはずだ。なぜ、イギリスでももっと有名にならなかったのか。
ポップスの世界でないにしても、歌で食べていけたはずだ。
ただそれは……
イギリス当時を知る京子おばさんが、仕事や年齢もあって日本にあまり来れなくなり、事情を聞ていた正一もいなくなり、洋子はとくに何も話さないのでので、誰も知らなくなってしまっただけ。
きっと、全ては積み重ねの沿線上。
音楽への記憶力がすごくても、だからと言って楽器まで弾けて歌まで歌えるとは限らない。なのに、この女性たちはあまりにも多くの物を持っていた。容姿や雰囲気まで。
ただ、同じように欠けているものもあったのだろう。環境や情熱や、音楽で生きていくための『時代』と『運』と『志向性』。
どこでそれが、全て合致するかは分からない。
彼女たちに似たような男の横顔を眺めながら、与根がため息をついた。
ここにその合致したような何かがいるのに、あれこれ楽しい気分にはならないようだ。
「功のかーちゃん、スゲーな。」
伊那が来て、アイスコーヒーのドでかいのを置いて座り込むので、功はヘッドホンをはずした。
「かーちゃんとか言うな。」
「まあまあ。」
時間もかなり経って、功もようやく冷静になってきたのかもしれない。少なくとも、音楽の部分は。
自分の音楽への疑問、盗作、親との確執、母親も歌手だった事実。存在も知らなかった叔母の、自分と同じバイオリンの音。
お互いあれだけのことをして、まだ周りをうろついていたあの人。それを見た時の苛立ち。
壁際に追い詰めてあんなことをしたかったわけではない。怯えた目と、震えた手が目に焼き付いている。
「…………」
コンサートを思い出して、まだ傷のある手をぐっと握った。
でも、そのくらいのことをしないと、洋子に振り回されてまた同じことをするのかとも思ったのだ。フラフラフラフラしているのが、この業界でどれほど危険なのかも知らないのか。
全部が一度に降ってきて、ここ数週間でどれだけ消化できたかは分からない。
もう一度、その手を開く。
なぜ自分はあんなにも、バイオリンが弾きたかったのか。
大きな舞台が済んでしまうと、もうそれすら迷宮入りだ。
いつものソファーに狭っ苦しくゴロンと丸まり、功は拗ねている。
「功、そういえば尚香さんは?あれから会った?」
伊那、久々にその名を口にしてしまう。
「………会ってない。」
あの後、もう尚香が帰ったと知って真理があからさまにショックを受けていたが、実はみんなショックをであった。相当ひどいことをした自覚がある。なぜなら、本部長も庁舎君も知るジノンシー側では、そういう話になっていなかったからだ。二度とイットシーに関わりたくはないであろう。
「……もういい。尚香さんは。多分俺のこと、すっげー子供だと思っただろうし。」
コンサート後からあの話し合いの時まで、功が一貫して尚香に向けた態度は苛立ちであった。だたでさえ子供だと言われていたのに、幻滅したことであろう。大人な職場で、大人な人たちに囲まれて、誰が気の短いガキンチョと一緒にいたいのか。そのくらい功でも分かる。
そして、功に完全に委縮していた。
最悪だ。
もう暴力であるが、功だって他にどうしたらいいかなんて分からなかった。もう来るなと言いたかっただけだ。そして、本当に来なくなってしまったが。だから結果、よかったと思う。
与根は思う。
彼女はきっと、大人たちはそれぞれ忙しいと言い、子供たちは周囲の目を見て、本人たちは灯台下暗しで、誰も見ようとしなかった何かをどうにか引っ張って繋げただけだ。
みんなが見向きもしない場所に、何かが落ちていると知っていたから。
きっと、世界中に、そんな落し物がたくさんあるのだろう。
ロンドンの片隅。
人々が当たり前に持つ、自分の家の鍵。
彼女たちが、たった一つのドアの鍵すら持っておらず、窓から必死に逃げ出して、家の中で見つからない両親の愛を探していたことは、もう誰も知らない。
いや、知っている人はいた。でも、もう語る人はいない。
彼女たちは親に人生を拘束され、でも、敬虔な親の教えも守って来た。
だから、エンタメの巣窟の中に身を滅ぼすこともなく、けれど、そこで光り輝くこともなかったのだ。
そして、彼女たちが目指した洞穴の出口は、
もう一人を守ってくれるものであってほしかったから。
***
ジノンシーのオフィス。
「尚香さ~ん。」
「なんでその歳でそんな甘えた声が出せるの?恥ずかしくないの?」
ディスクに呼ばれて、兼代にあきれる。
「そんなんだから、コンサルが下火だって言われるんだよ?」
「関係なく下火です。だが種火が付いている限り……こんな人材がコンサルにいる限り、この業界はまだ燃え上がります!」
「…………イベント部の方が合ってるんじゃない?」
「ハマり過ぎはだめだって言われて!」
「…………」
「そんな顔しないで!お土産頼んでるだけなのに。」
「頼む方が呼び出すの?」
「ここを通りかかるから思わず。」
「………重いから買ってきません。それに、お土産じゃなくて普通『立て替えて買ってきて下さい』じゃないの?」
「えー?お土産じゃなくて?チョコレートじゃないですかー。」
「チョコ、おいしいのは高いって知らないの?有名処でもないしチョコならここで買わなくてもいいし。」
「あの、フルーツにコーティングしたのまたお土産にして下さい!」
明日から尚香は2週間海外出張だ。もう3回目なのでお土産すら買わないつもりであったが、この男はうるさい。
「兼代さん、部長が呼んでますよ。」
柚木が言うと、お土産よろしくね!の顔で去って行った。
川田が心配顔だ。
「尚香さん、気を付けて行って来て下さいね。前回体調崩したらしいじゃないですか。」
「大丈夫。だいぶ海外に強い体になって来たから。」
「ダメですよ!絶対現地では気を付けてくださいね。はいこれ。薬だけじゃなくて、栄養も持って行って下さい!体力付けないと!」
いくつかの漢方系サプリの入った袋を貰い、ありがとうと受け取った。
仕事の方は順調だ。
***
章のスマホが数回鳴る。
ジーとそれを見て悩んだ挙句、せっかく得た弟分だと仕方なく出た。
「あ?何だ?大和か?」
『キャーー!!!!本当に功??!』
と、電話越しに黄色い声がするので聞こえるので嫌な顔をしてしまう。黄色いのに、若く青々しい声。最悪だ。女子高生であろう。
あの人が年下学生を嫌がった気持ちが分かる。ファンとしてならいいが、プライベートだと思うと心底引いてしまう。
「切るぞ。」
『あー!やめて下さい!!切る気ないですよね?!』
切る気があったら何も言わずに切るであろう。




