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スリーライティング・下 Three Lighting  作者: タイニ
第二十三章 ふたりの兄弟

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40 逃げた彼女



少し離れた所で椅子に座って近況を確かめ合う、久保木とイベント部部長の伊藤。


「どうだ?」

「まあ、ぼちぼちです。奥さんお元気ですか?」

「おう、子供もまた会いたがってたぞ。遊びに来い。」

去年一度、伊藤の家にお邪魔している。しかも上の子はもう高校学生だ。


「…………」

「あ?なんだ?」

「うらやましい………」

いきなりそなことを言い出す久保木に部長は引く。こんな混雑している場所でこんなことを言う男ではない。

「…………。結婚すればいいだろ。そのために、仕事減らしたんじゃないのか?」

心底に在った心理を見抜かれている。


「………する人がいない……」

「はあ?うちの部の女性がお前の話してたらしいぞ。」

「……いない……」

「いるっつてんだろ。」

気付いていないが、今も数人、声を掛けるチャンスを狙っている女性たちがいた。出世欲かもしれないが。


「お前、ジノンシーよりもっと専門のところ行った方が楽しいだろ………」

何せ、久保木のもともとの専門は重工業の中でも原料のところまで行く場合もあった。おそらくこの会社の中でも、かなり危険でヤバい職場から来た転職組である。銃を持ったガードマンを付けている人間が交渉相手だったりもしたのだ。


何か考えている久保木を見ると、急に頭を上げる。

「…………いや、楽しかった。」

「……あ?そうなんか?」

「思ったより楽しかった気がする。」

と、顔を赤らめる。

「は??」

伊藤が不気味がる。何が楽しかったのだ。


「……楽しかった。」

「あ、そうか?どうでもいいけど、日本でくだらないことだけは覚えるなよ。」

海外の桁違いの金持ちたちの道楽に付き合わなかった意思のある男なので、日本でバカになってもらっては困る。


「だからここでそういう顔をするな!気持ち悪い。外でしろ。飲み行くか?」

「……いや、今日は部下に付き合ってあげてください。」

「お前の方が心配過ぎる。」

イベント部の方が浮いた話が多いのに、何かあったのか。



「あ、そういえば、イベント部。すごい人が入ってきましたね。」

「ああ、しょっぱなから大型の賞新設の式典の引っ張ってきてえらいことになっている。」

今回は入ってきた女性がものすごいやり手で、国際規模の仕事を持ってきてイベント部がてんやわんやになっていた。国際催事で海外から人が来ると他社とも多く関わり、周囲の環境も含めドカッとお金が動く。見た目も華やかな人で、今回の主役の一人でもある。


女性がここまでガッツリ来るのは、ここ最近では金本さん以来だ。金本さんは存在が地味だが。



「で、金本さん。どう?金本さんも、営業でよかったんじゃないか?その方が給料もいいし。しかも後ろに収まっててもったいなくないか?」

部署は違うが部下の美香が動いていたので、伊藤も一連のことは知っている。

「まあ、既に企画営業って感じだったので。本人も、最初から営業で行くとなめられるから嫌だと言っていて。」

企画の皮を被った営業の方がよかったのに。


「………はぁ……」

と、尚香の話をされて久保木がまたため息をつくので、イベント部長、頭に来る。

「…懇親会で部長クラスが辛気臭い顔すんなよ。」




久保木は頭を悩ます。


今、久保木はもう尚香を押せないでいる。



正二(せいじ)の知り合いは無理だとはっきり言われた。でも自分は正二と仲がいい。都合さえ合えば、結婚式に呼び合えるくらいの仲ではある。


で、正二と縁を切れと?


尚香はハッキリそれを求めた。


異性の友人なら分かる。嫌がるなら必要のない全ての女性の連絡先を消そう。でも同性の友人まで?尚香の過去を思えば、正二に限定して離れてほしいという思いも分かる。でも、あまりにも横暴ではないだろうか。


なら久保木は尚香に、自分と結婚するために親友の加藤美香と縁を切れと言えるのか。言えるわけがない。そんなものはDVではないか。少なくとも自分がそう言ったら、パートナーを束縛するDV男であろう。


正二自身は悪いことを何もしていないし、あちこち女性に手を出すタイプでもない。



そして今、隣にいる40代のこの男性。イベント事業部本部長、伊藤は久保木の先輩だ。昔、留学中の伊藤に「人脈作りのために大学に来い」と言われ久保木は日本の大学にも行ったのだ。


実は伊藤も、正二のこともよく知っている。経済会で年齢は違いながらも、さしで飲めるような相手が数人いるのだが、全員正二と共通の知り合いだ。どうしたらいいのだ。

もっと言えば美香も正二の知人だ。美香は彩香とも交流は継続している。ただ美香は、尚香にそのことで気を使っているだけで。



そこで気が付く。

「…………あ………」


尚香は捨てたのだ。

正二と関係を切るために、既に親友を。彩香(さやか)と言う親友を。異性どころではない。同性友達さえも。



そしてもう一段階気が付く。

「………章……………」



「!」

尚香はそのために山名瀬章を切ったのだ。何せ正二の弟ど真ん中である。


何という事だ。だから章が怒っていたのか。人に対して真摯であることが金本尚香の営業ポイントのようなものだったのに、金本さんはあちこちでバサバサと人との縁を切っている。尚香自身を嫌いになったわけではないが、正直今はがっかりはする。



「……はぁ………」

「久保木、ここで時化(しけ)た態度をとるなと言ってるだろっ。」


「……はぁぁ……」

「久保木っ。」




***




東北公演の後に、音響さんに詰め寄っているのは功である。


「東京公演でバイオリンを入れてほしい?」

「そう、俺、バイオリン弾けるから。その日オーケストラ来るでしょ?僕のも一緒に。」

「??」

音響さんたちが困っている。


アップテンポなポップスやバラードが多く入るため、ポップスのライブに慣れているオーケストラが初めて来る。そこに便乗したいと言い出したのだ。バイオリン1本くらいおまけしてと。


「功、やめなさい。」

プロデューサーたちに言っても今まで許してくれたことがないので、音響さんに(すが)っているのである。


しかもメインの音響台本に勝手に書き込んでいる。

「やめろ。」

「興田さ~ん。」

「忙しい時に仕事増やすな。なんでそんなにバイオリンが弾きたいんだ。あ?」

「バイオリンマイク、たくさんあるのに……」

「雑多な音を入れたくない。」

「っ!ひどいっ!」


功はもう一度奮起する。


「………トラウマを乗り越えたくて……。子供の頃自分をクソ扱いした皆さんに、『ざまぁ』をしたく思います。」

と、言い切ってからブリッコしてみた。

「ここですんな。」

「興田さ~ん。戸羽さんが許してくれないんです~。」



「功、いい加減にしろ。」

与根が言うも、功は落ち込んで呟いた。


「……俺はなりたいものに何ひとつもなれなかった……」

「歌手してんじゃん。」

伊那が横槍を入れる。


「俺、アマチュアだけどバイオリニストなのに………」


「……学校もまともに通えず、………大学にも行けず……、建築家にもなれず………、レジ打ちもできず………」

中学生の時、レジ打ちのバイトもレストランのホール仕事もできなかったのだ。

「高卒まで行ったならいいだろ?それに今のバイトはできてるし。」


「………演奏家にも………プロバイオリニストにもなれなかった………」


いや、いいやんとみんな思うが、座り込んでいる功の顔を見た与根がギョッとする。



げっそりした顔をしていた。




***




「ねえ太郎、プレゼント届いた?」


バイオリン太郎に連絡をするのは、同じくバイオリニストの里愛。あれ以来落ち込んでいる太郎に、最近ファングッズで販売されている、いかにも落書きな、でも功が一生懸命書いた漫画絵のキーホルダーを買って送ってあげたのだ。


暇つぶしに一生懸命描いた4コマ漫画のキャラをそのままキーホルダーにしただけである。どう見ても落書きだ。太郎はお礼をしてから愚痴を言う。

『こうやってウケようと思ってるとか最悪やんか。』

「頑張って描いたって言ってたよ?」

『僕のプラバンの方がよっぽどかっこいいし。』

「プラバン?」

『プラスチックに絵を描いてトースターで焼くといい感じのキーホルダーが作れる。』

「そうなの?じゃあ、今度作って功にあげて。」



太郎の家側では、朝ちゃんがプレゼントに釘付けだ。

「……こんな絵でファンが買ってくれるって、有名人って得やね。これ今調べたら700円もするし。横暴な商売やわ。」

『まあまあ、それも才能と努力あってこそのファンだから。それより高いのもあるよ。』

「……こんなんかばんに付けて学校行ったら恥ずかしいんやけど。」

と言いながら登校用のカバンに付ける。


朝ちゃんにはポーチだ。あとはお母さん分もTシャツが買ってある。親子Tシャツはカラフルでかわいいデザインだ。

「これ着るんか?功の追っかけと思われたら恥ずかしいやん。パジャマにしか出来んやろ。」

と言いながら着ている。ただ、ファンでないとLUSHだとは分からない。



朝ちゃんも服の上に着て、満足そうにゴロンとソファーに寝転んだ。


「功なんて嫌いだ。」

太郎もその横でごろ~んとするも、胸にあるLUSH+のロゴを触りながら、またすすり泣きを始めてしまった。




***




もう夏は半分を超えて、そんなみんなの気持ちなど分からないとでも言うように、ツアーは進んで行く。



名古屋公演は『男は来んな』と功が前もって書いていた公演である。シークレットとあるが、誰かはもうみんな知っていた。


その日の数組来るゲストが、彼らだけでスタジアムを埋められる規模のため、大型の公演となる。




そんな週末のアリーナに歓声が響く、


屋根を超えて空に届くかのように。






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