29 あの子はなんなの?
「功君、いた!」
ある会社の廊下で引き止められ、おっ?と振り向く功。
「時空ちゃん?」
「功君!」
「おはよ、久々だね。」
日本のアイドル、元マリランのメンバーの時空である。
「ねえ、なんであちこちの女に声かけてるのに私はだめなの?」
「いきなり何?」
「地味な女が好きって有名だよ?私の方がかわいいのに……」
「そんなこと、こんな廊下で話さないでよ。」
腕に絡みついてきそうな勢いなので、思わず身を引く。そんなことをするタイプではなかったのに。
「話すよ!彼女がほしいなら私でいいのに!」
「……ユアみたいなこと言わないでほしいんだけど。」
「私の何が不満なの?功のためにこの業界から身を引くって言ってるのに。希望なら専業主婦でもいいし。」
「………ダメダメ。アイドルは30歳まではみんなのアイドルだし。みんなが30になるまで俺、待てないし、もっとアイドル続ける人もいるし。」
「だから私、やめたってば!!」
「時空ちゃん、もし売れてたら絶対アイドルやめなかったし。」
「自分だって元アイドルなのに…。それに人生にもしもなんてないから。私はアイドルを全力疾走した過去だけで充分だってば!」
「時空さん、いい加減やめてくれませんか?それもセクハラです。」
「三浦さん~!助けて~。」
用を済ませた救い主、三浦が駆けてくる。
「三浦さん、なんか分からないけど功、振られたんでしょ?」
功がすかさず言う。
「俺が振ったんです。」
「そうなの?ならなおさらいいじゃない。まあ、どっちでもいいけど、私が話を聞いてあげるのに……」
時空は冷静さを取り戻し、少し首をかしげて功をじっと見る。
美人だ。
男なら、三度見、四度見してしまう。
「……………」
そんな時空をサッと通り過ぎ、功は出口に向かった。
「…………」
何も言わずに駐車場に向かう功に、ため息がちに三浦が聞く。
「……本当にいいのか?」
「………」
「時空さん、マリランの頃も横道逸れず評判よかったし、まあ、きちんと付き合っていくなら悪くないと思うけどな。」
「…………」
功は何も言わない。
時空は国際規模のアイドルオーディション番組の参加が出発だ。
この世代は世界の目もあるし、オーディションからくる子は長く応援してくれた女性ファンも多いため、男女関係に潔癖な場合も多い。
賢い子やその親は、虐めが致命傷になることも知っているので、人間関係も気を遣う。
ダンス、歌、全てをそこに投入して横眼を見る暇もなかった。上には上がいるからだ。才能のある人間が努力するので、休んでいたらその数倍頑張っても追いつかない。
歌、日常韓国語、母国語に加え最低でも韓国語英語で歌えること、ダンス、写真写り、スタイル維持、協調性、進取性、不足を補えるほどの個性。この全てを備えている子がいるのだ。
それを思い知らされたのが功でもある。
男性で年下、そのころ時空は既に日本でアイドルに。フィールドは違うが、オーディションに参加したよしみで、時々それらの会社の仕事が入ったり番組に呼んでもらえる。そこでたまたま見せてもらった放送前のVTRに衝撃を受けた。
時空は幼いころから劇団に入りボーカル、ダンススクールにも通い、学校にもまともに行けず血眼で努力した。なのに研修生活すらまともにしなかった男の子がポンと出てきて、みんなが泣きながら覚えた振り付けをいとも簡単にこなしてしまう。
いつも厳しい顔をした海外の審査員たちが、みんな笑っている。顔を隠しても思わず笑いがこみあげてくるのだ。
その子は不愛想で歌なんて歌えるのかと思ったのに、適当に出された曲をなんでも歌いこなし、最後に愛嬌まで振りまいて、また審査員たちを笑わせる。終わるとブスッとなるが、その容姿もまだどこか可愛らしくて目が行ってしまう。
戸惑いや失敗さえ、人の目を引き付ける。
そのなんとも言えない顔をもう一度見たくて、ついついまた呼んでしまう。
絶妙なのだ。全てが。
時空はもう世界には追い付けないと思ったが、アイドルになると決めた自分とファンのために、日本に帰ってからの契約の7年は最善を尽くすと誓ったのだ。功を見て、それを最後まで貫く決意をさらに強めた。
三浦は、調べたので時空のことを知っている。
少し垂れ目で、でも強い顔をしているが、意志が強くまっすぐで、悪い子ではない。
アイドル卒業後のファッション誌関係のモデルも断って引退した。功にしても、時空にしても、もったいない二人だと三浦は思う。
***
功だって、この世界で揺れなかったわけではない。
16歳の、やっと日本の音楽シーンに登壇でき、でもまだ揺れていた頃。
折れた口の中も苦くて、道も狼狽して。あの頃の道の若白髪は心労のせいだったかもしれない。
そんな時、自分の手を握ってくれる女性がいたら、傾くに決まっている。男の集まりに行くと、女の話ができないと馬鹿にされ甘く見られていたような時代。どれにも全部、功は疲れていた。
そこに現れた、ふんわり長い黒い髪の彼女。その人は日本に戻ってきてからずっと一緒にいてくれた人で、優しくて、いろんな話をしてくれる。2つ上で、しかもひどくきれいで。
みんなが飲んでいる向こうの、個室の大きなソファーにもたれかかって、二人でいろんな話をした。
「功、ちゃんとお話しできるんだね。」
「………時々……」
そう言うとその人は笑う。
年齢より、ずっと大人っぽく見えて、頼りあるように見えた人。功の人間付き合いもずっと見ていてくれた、ライブハウスのアルバイト女性だ。人間関係だけではなく、いろんな話をした。歌や、世界や、たくさんのこと。話すのは半分以上その人だったけれど。
ずっと見つめあって、その人が笑う。
そして、ふと、目が合う。
お互い、何も言わずに手を絡めた。
サーモンピンクの唇が激しく潤って見えて、その人の指も功の唇に触れる。
全てが近づき………
けれど一瞬功が迷った時に、カバンとが落ちてガサッと中身も落ちる。
「?!」
それにハッとした。
首掛けひもの付いたカードを先に拾ったのは、その人だった。
「何?管理証?」
「……あ…」
カードを見るとスッタフ証や入館証などではなく功の家族写真であった。
父と、道と、小さな章。
「…………功なの?」
沈黙の後にその人が驚く。
「……お父さん?かっこいいね。………お母さんも優しそう。」
そして裏を見て、その人はさらに驚いた。
「…………」
そこには英語で功と母親の本名、おそらく電話番号、そしてアメリカの住所が書いてあった。
「?……何これ?」
その住所は、小学生の頃に通ったアメリカの教会だ。その人には上手く読めなかったが、写真の面には英語で短い聖句も添えてあり、住所面には『緊急時の連絡先。障害を抱えています。何かの時はここに連絡を下さい』と書いてある。
自分の生活を自分で管理できなかった章は、迷った時は警察か信頼できそうな人にカードを見せていた。教える人によっては自宅は危険なので住所は教会にしておいたのだ。
小学生の頃首に掛ていたものを、ずっとお守りに持っていた。日本では家族写真を持ち歩く人はあまりいない。
挙動不審になる功。
本当のことを言えば、今も気を抜くと日にちや時間も分からなくなる。道が細かくアラームと題目をセットしてくれているので、音で必要な時間を教えてくれるのだ。
「………」
二人の間に沈黙が続く。
また困った人間だと思われただろうか。けれどその人はあきれたように功に寄った。
「功、はい。」
と、カードを首に掛けてくれる。
そして、功と距離を取った。
「…………」
「……大丈夫だよ、功。嫌ったわけじゃないよ。功は、親に愛されていたんだね……」
その人は少しだけ寂しそうに笑った。
「功、戻ろう。」
そう言って、カードを襟首から服に入れて見えないようにし、功を引っ張ってその場を後に賑やかな場所に戻った。
遠い遠い、そんな記憶。
***
洋子のマンションは近頃明るい。
最近絶好調の洋子さんは、チューブユーの曲を流し、床にお掃除ラクラクワイパーを掛けていた。
ワイパーは掃除機と違って、何か開けてごみを捨て再度カチッと合わせるものがなくて単純で助かる。ワイパーも時々どのシートをどう合わせるのか分からなくなるが、まあどうにかはなる。
今日は、長いからとあまり聞かなかったライブ映像を聴いていた。MVを大きなテレビ画面に映すことに成功し、掃除をしている間に勝手に流れてきたものである。
あんなに自分を毛嫌いする息子の曲など聴きたくないが、LUSHの音は何となく自分に合う。趣味ではないのに合うのだ。
………この歌、原曲キーのほうがいいのに、なんでアレンジを加えるかね、
とあれこれ文句を思うも、洋子本人はライブで歌をアレンジしまくっている。
掃除ってあと何をしたらいいんだろ……
と、考えお手伝いさんたちが触らない化粧品の整理を始める。
良子が「メイクは消費期限があるんだよ」と言っていたが、日本の物は期限が書いてなくて困ってしまう。京子おばさんがいつも整理していてくれたのだ。もう、数年前の物もあるだろう。
……………
「あれ?」
突如、一人、ハッとする。
リビングから流れてくるメロディー。
このイントロ……?
そして始まるこの歌。
―――はじめてじゃないよね
君の名を呼ぶと―――
「!」
そこに流れてきた曲に立ち上がり、バッとリビングに戻り大きなTV画面を見る。
TV画面には大観衆の中でバラードを歌う息子。
―――聴こえてくるのは あの懐かしい
あの日のあなたの声―――
「!!」
洋子は息を飲んで、そこから動けなくなった。




