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2 やっぱり呪われてる?



「金本さん。どうしたんですか?また庁舎君が何かしました?」

兼代が楽しそうに尚香を覗き込む。


「………何も……。」

「え?すっごい無表情で数日デスクワークして、今、絶望したような顔してますよ。」


金本尚香は、先週やっと結婚前提で付き合ってみようかと決意した人の兄が、自分の初恋の人だったと気が付いて動揺している最中であった。


大事である。


どこにも接点を感じなかったのに、思い出してみれば一致するたくさんの既視感。



大好きだった正二(せいじ)の笑顔。


何ということだ。


似ていない。

二人は似ていないのにそっくりではないか。あの笑い方のクセ。似ていない親子に感じる、「似ていないのにその瞬間がそっくり」「部分的にどこか似ている」現象。




『金本さん、何で言わなかったんですか?』


『金本さん―――』





重なった――――


あの声。




『金本さん!尚香さん!!』



あの日、初めてイットシーの人たちに出会った、ライブ前のセッティング会場。



どこかくすぐったい耳の奥。

似ているわけだ。兄弟なのだから。




そして思う。

これは何の呪いだ。


やっぱり呪いではないのか。

1000万人以上人口のいる東京で、なぜこんなことが起こるのか。正二はまだ大学仕事業界繋がりで分かる。だからこそ避けてきたのだ。ではなぜ章と?


めちゃくちゃな出会いだったが、まさかそれが………





しかし、今ここはオフィスである。仕事中という現実に戻らねばならない。


「尚香さん。なんか赤くなったと思ったら青ざめていますよ。ヤバい失敗したんですか?」

「………」

「尚香さん!!」

「え?はい。」

兼代が呆れた顔をしながらも、興味深々だ。取引先と仕事で何かあったならこんな締まりのない顔をしていないので、プライベートと推測する。


「大丈夫ですか?庁舎君と何かありました?」

「……呪い……。」

「は?」

「呪われてる?」

「………どうしました?際沢よりひどいことがあったんですか?あの関連ですら呪いなんて言いませんでしたよね?」


「……そうだね……。冷静にならないと……」

「一緒にお祓い行きます?俺も、彼女に分かれられないように祈願しとかないと。」

「………」

嫌そうな顔で、兼代を見てしまう。

「冷静になればいいだけだから、お祓いなんて行きません。」

「またまた~。息抜きに観光がてらどっか神社行きましょうよ。」

「彼女と別れたくない人間が、なんで会社の女性と観光するんですか!」

「怒らないで下さい。ただの尚香さんじゃないですか~。仕事に関わるなら業務の一環ですよ。部長か川田さんとかも一緒に。帰りにおいしいもの食べて来ましょ。」

「幽霊でも見ない限り行きません!彼女と行って下さい!」


そのまま、またディスクワークに切り替え、没頭する尚香を遠巻きに眺める課の皆さんであった。




***




あれから尚香は、会えないという一言のメッセージ以外章に何も連絡をしていない。

もう日も暮れた夜、そんな金本家に久しぶりに章がやって来た。



「章君?」


玄関から上がって来ず、気まずそうに章は尚香を見る。

「……尚香さん………久しぶり。」

「………久しぶりだね………。」


段差がある土壁の玄関でしんとしてしてしまう二人。



「……尚香さんあの………」

「待って、章君。私、お父さんにも何も言ってないから……。あの、申し訳ないんだけど、私、ダメかも……。」

「ダメって……?」

「……正二君はだめだ……。もう絶対に会いたくないから………」

「!」


「………尚香さん、それって……」

お見合いと結婚の延長線上にあった、この前までの自分は、一体どこに行けばいいのか。




尚香は章と、一旦外の玄関扉の横に出る。


「……尚香さん…………」

何の化粧もしていない、家で寝っ転がっていそうなままの、見慣れた姿の尚香。章は尚香が話し出すのを待った。


「……章君。」

「会えないとか……それはちょっと急じゃない?俺は兄ちゃんじゃないよ?」

「…でも………」

もしこの先に進めば、正二が義兄になるということだ。いや、義弟?どっちになるのだろう。いずれにしても、義兄弟だ。



そしてそこには、仕事や際沢の過去と、


一方的に縁を切ってしまった、彩香(さやか)がいる。



「……尚香さん、一度は考えてくれたんだよね?俺と付き合うの。」

「…………」

「まずさ、普通にお付き合いしようよ。」

尚香は顔を上げる。


「別に付き合うだけだったら、家族に関わる必要も会う必要もないし……」

そこで、きちんとした関係を作って行けばいい。兄を越えられるかは分からないが。

「……章君。ここには道さんも来るし、私は洋子さんに個人的に呼ばれる関係なんだよ?」



かわいい木目のピアノと、たくさんのヴァイオリンが眠る場所。



向こうのマンションにも二度と行けない。


想像と違ってほのぼのしていた、章の住むマンション。

みんなで鍋を囲って、いろんな国の、いろんな人が音楽を奏でる、あの楽しい家にも行けない。



正二が泊まりに来る場所なのだ。




「あ………」

そして気が付く。あの場所は、ピアノのマンションは、今も時々正二泊まりに行き、子供時代の正二が生活していた場所でもあるのだ。


今までこんなことを意識したことも考えたこともなかったのに気が付いてしまった。正二が使っていたかもしれないお風呂やベッドを使っていたのだ。

「っ!」

思い出して真っ赤になってしまう。


金本家は、お風呂の入り方は日本式だ。普通に湯舟を溜めて家族で使っていた。お父さんやお兄ちゃんが使ったお風呂も湯船も何とも思わないのに、あんなところで薔薇風呂に浸かっていたと思うと、何とも言えなくなる。というか、考えてみればあのマンションは章の家でもあったのではないか。


しかし、章に対しては何も思わなかった。いや、あの時は洋子さんが強烈過ぎて、あの家も女主人のお城のようにしか思えなかったのだが。


でも、章には何も思わないのに、正二の生活していた場所だと思うと胸がドキドキしてしまう。




「………尚香さん、何考えてるの?」

「…………何も………」

「顔が赤いよ。」

「……………」

「今も兄ちゃんが好きなの?」

「!………違います!すっかり忘れていた人です!!」


そう、忘れるほどに思考の片隅に追いやって来たのだ。彩香ごと。



今度は章が何とも言えない顔をしている。


「………なんていうか、尊敬する人で………憧れだった人です………」

やっとこれだけ言える。


好きだけれど、付き合いたいとかそんな思いはなかった。ゼミやサークルで出会うだけの、本当にただの憧れだったのだ。私生活では自分とは全く別世界の。



「まあ、たかがうちの兄ちゃんだし、どうせ1年のほとんどは海外だし。深く考えなくてもよくない?俺だってほとんど会わないのに。」

あれほど尊敬する兄ちゃんが、既に()()()兄ちゃんになっている。




以前尚香が婚約者として付き合っていた男と章が違うのは…… 


彼には別に自分の過去や思いなど伝えなくても、お互いやっていけると思った。掘り返されることもない、正二は過去の思い出だ。元婚約者だって自分の過去の話はたいしてしなかったし、お互いの都合で安定した未来のために婚約をしたようなもの。


でも、目の前の章には、そういうわけにはいかない。



だから言う。

「たかがって、そんなわけにはいかないよね?」

「え?なんで?」

「その先に結婚があるでしょ?」

「だから結婚でなくて取り敢えず――」

「章君!!」

「はい!」

ビビる章。


「私はもう30近いんです。悠長にしていられません!」

「はい!」

「これから男性とのお付き合い歴だけ重ねて結婚しないとか分かってるのに、何の意味があるの?」

「え?だって……」

付き合いながら、兄より良いと思ってもらうしかない。でも本当は、章はお付き合いなどすっ飛ばしたい。付き合うなど方便だ。むしろ、お付き合いなんてしているうちに、忙しくて生活の不一致になったり、呆れられて全部だめになりそうだ。



「……章君、やっぱり………」

少し躊躇しながらも尚香は言ってしまう。


「…………ウチに来ないでほしい……………」


「………………」


固まってしまう章。




「お互い良くないよ。」


付き合ってもいない女性の家に出入りする。

たとえそれがお父さんのお友達だとか、道さんのお知り合いの家ということで今まで通っていたとしても、既にあれこれ噂になった間柄だ。何をしたいのか分からない関係、ファンの人たちの心象にもマイナスだろう。


「そんな顔しないで。章君が嫌いになったからでもないし、」

「……………」

「ただ、現実的でないっていうことだよ……」


尚香の中で、自分との選択が全くなくなっていて、章はショックを受ける。ただ、兄が登場したというだけなのに、正二関係は尚香の中で既に全部塞がれていた。章はその一部だ。


正二の弟というだけ。




「…………章君、一緒になれるかも分からないのに、また変な遍歴を付けない方が章君にとってもいいよ。」


なんだこれは。と章は思う。


何年前の話か知らないが、尚香的に思い出に追いやった昔のことの方が、この昨今で付き合ってきた自分との関係より重いのか。みんなまだ、尚香と出会って1年経っていないと言っていた。でも道と出会って、自分もおじいちゃんのマブダチになり、尚香もナオや真理たちとも出会って、ここまで築いてきた関係は、「ウチに来ないでほしい」の一言で終わらせられるものだったのか。



ただ確実に分かったことは、章にとって地味な尚香さんは『背景』なのではない。


尚香にとって章は、過ぎゆく風景の一部でしかなかったということだ。





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