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スリーライティング・下 Three Lighting  作者: タイニ
第二十一章 孤独が私を

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19 天をあおいで



その後、黒い車の男たちが現場の写真を撮り、

「ガキンチョごめんな。」

と、章の顔の写真も撮る。そして、血を大雑把に拭いて口の中を確認するとさらに写真を撮った。歯が1本は無く他にもぐらついている。


「救急車と……警察呼ぶか?」

「そのまま救急に行った方がよくないか。」

黒い男が仲間と話していると、腕を拘束された叔父が泣きそうな声で懇願した。

「待ってください!やめて下さい!」

「ああ?」

「身内の揉め事です!!」

「ああ゛??何クソみたいなこと言ってやがる!!子供が血まみれなんだぞ!」

叔母は泣き出している。


「病院に行きます!」

道が抱きしめてそう言うも、章が懇願するように首を振った。




一旦近くの倉庫のような場所に移動し、黒い男たちが白い車の男たちを尋問する。


そして分かったのは、襲った彼らはこの叔父たちの教会の人々だったことだ。しかも、運転席から降りて来たのは牧師だった。近年話したこともない道に車を寄せて声を掛けられたというのは、相当用意周到に事を進めたということだ。こんなもの組織犯罪ではないか。


なぜこんなことを。




聞けばこうだ。



韓国で将来を期待されていた道子がカトリックに改宗どころか、日本で神社の神前式を挙げ堅苦しい家に入ってしまう。


話も聞かない世を知らない、まだ若い娘がいるらしい。しかも方々(ほうぼう)の親族ともうまくいっていない。孤立していると。

きちんと説得すれば、戻ってきて全てが円満に行くと牧師に言われたのだ。


真っ青になる道と、バカバカしくて鼻で笑う章。


自分たちの方が誘拐しそうな身なりの男たちも呆れている。

「は?お前らの神様はこんなことをするのか?こんなん暴力で誘拐だろ?」

「だいたい道さん、身内じゃねーだろ。」

親戚の親戚のようなもの。ほぼ他人だ。




「章!大丈夫だったか?!」

そこにやっと来た荻が慌てて入って来るも、章は道も押しのけ、荻が入っていた入口に向かって歩き出した。

「章!」

「章、病院!」

道が言うも、章はそれを聞かず「ぃい゛……」とだけ言って建物の外に出た。道やその親族らしき人たちのことは仲間に任せて、荻は章の後を追うも、それも章が跳ね除ける。






もう日の明かりはない時間。


章は外を出て、ここに来る時に見えた十字架を頼りに、どこかの教会に真っ直ぐに向かった。



ただただ歩いて。


全てを弾いて。



少しだけ、思ったより遠く複雑な道を越えその門の前まで行く。


どこの教会かは分からない。





ドアが開いていたので勝手に入ると、シンプルな十字架だけが礼拝堂に掛かっていた。プロテスタント教会だろう。



礼拝堂に並ぶ椅子を越え、十字架の下に、


真っ直ぐにそこに向かう。



「……………」

章は初めて自分の頬を触った。まだ血の匂いと感触がひどく、押さえをしている綿から染み出た血なのか涎が口の中とその周りを汚す。


「……あぅあ゛……」

言葉が上手く出ない。綿を外すとまた何か出てくるも、その汚れた綿を手に持ったまま、章は十字架を見上げる。



言葉になっていたのかは分からない。でも章はこうされたことには何も言及せずに神に聞いた。




アメリカで、自分と道を救い上げてくれた天。


始めは自分の不足を指摘せず、ゆっくり見守ってくれ、

はじめてみんなと出来た楽器たちのとの演奏。讃美歌。



「う゛、ぁが………」




神様、自分はもう歌えないのでしょうか?


バイオリンもダメで、アイドルもダメになって、

だからもう、歌しかないと思っていたのに。



アメリカの教会で、歌は全てあなたに捧げるから、……そう約束したのに。



歌もダメになるのでしょうか。



涙が頬を伝い、血や涎と混ざる。


「ぐ゛…ぁ…」

数字も分からない自分が、この先どこで仕事が出来るのだろうか。

今後、誰が母さんを支えてあげられるのだろう。



今回の事で、母さんが負い目を負わないだろうか。




アメリカで筋がいいと言われ、様々なジムやスタジオにも出入りしていた。


小さな子供だったので遊びの肩慣らし程度だったが、真剣にやればどうにかなるだろうか。歯がなくても格闘技はできるだろうか。




しばらく上を見上げる章。

荻は教会の祈祷や掃除をしに来ていた人に事情を説明し、礼拝堂の後ろから静かに章を見ていた。






――――





そして、韓国からも親族が来て章に謝ったのはしばらく後だった。


道が唯一救われたのは、一連の事情を道のいつもの在日の親族たちは何も知らなかったことだった。

正一と道の結婚を嘆いたことを聞いたさらに遠縁の人々が、相談した牧師に言われてそうしたという事だった。彼らとは同じ教会ですらなかったのだ。


崔家の通う教会牧師も韓国から来て、信徒たちから集めたお見舞金を渡してくれ、腕の良い病院も探してくれていた。もちろん、拉致した教会とは関係ない教会だ。




日本でこんなことが起こるなんてと、道はひどくショックを受けていたが、東京をよく知る荻たちは、今までもこんなことがいくらでもあったことを知っている。家出拉致監禁、身売り。

それが大きな日本の小さな世界の中で起こっている。


そして、本当に戻って来ない人間もいるのだ。この日本ですら。




それでも章にとってはとばっちりだ。


グレーの車側の男たちは、子供が思った以上に力強くて驚いて反撃してしまったとあれこれ言い訳をしていた。「正当防衛のようなもので」と言った時には、荻の知り合いが椅子を蹴り飛ばしてしまったほどだ。


しかも、章は全くの無名ではない人間。

牧師が、「あなた方のような人間たちと知り合いと知られたら、もう舞台で生きていく生命を失うだろう。だから警察には行かないでほしい」と言うのだ。


血だらけで、将来に希望を閉ざすかもしれない子供に何を言うのか。自分たちの教会もダメになると思わないのか。牧師なのに、教会どころか自分の保身しかしていない上、そういうことには舌が回る。

「生臭坊主ってこれを言うのか。」

と、遂に言ってしまうも、本人たちは自分が言われたとは思っていないかもしれない。




章はまだ成長期。

どう治療を進めていくか。



道はいろいろなことを覚悟していたし、荻の勧めで被害届けも出したが、最終的には成り行きでするべきこと以外は何もしなかった。章が激しく嫌がったからだ。






「荻さんも、章の周りをうろつかないで下さい。」


様々な処理が終わり、助けてもらった恩人に容赦ないことを言うのは道。


「私はそんな素性の知れない人間じゃないですよ。道さん、ひどくないですか?」

「言いましたけど、章はエンタメの世界にいた人間です。何か一つでも変な話があると、今は世界中に叩かれるんです。」

「それで、何もない友達を絶縁するんですか?あの牧師みたいですね。」

「そうです!私は保身に走ります!」

「保身に走ったところで、もう数回お世話になってそうじゃなかったですか。」

「何がですか?」

「なんで警察と仲がいいんですか?」


警察署でそんな感じだったのだ。荻も顔見知りだが。

「放っておいて下さい。」




章は擦り傷や打撲を負い歯もなくなってしまったが、顔の歪みや他の骨折などはなかった。犯人たちの一人が元チンピラで格闘技経験のある者だったらしく、ここまでひどいことになってしまった。


口の中まできれいに元通りに戻るのかも分からないが、医者は大丈夫だと言った。


けれど、心の傷は分からない。



「でも章、父親はどうしたんですか?激怒して賠償求めたりしないんですか?親族みんなケンカし合ってるんですか?」

息子がこんな目に合ったのだ。なのになぜ父親側の人間が出てこない。離婚しているのか?でもそれと子供の話は別であろう。


道は力なくどこかを見た。

「………章のお父さんは………亡くなっています。癌で………。」

「え、あ、すみません!」

「いいです。昔のことですから。」

父親の叔母である富子叔母さんとも、最近は連絡が取れていない。富子の兄が山名瀬家に入ってしまったので、今は夫寄りの生活をしていた。


「それに……荻さん……。都内で車が回せるあんな知り合いたちがいるって………」

道が不安そうだ。緊急で掛けた電話に2台も車が動いたのだ。少し前に会ったばかりの子供のために。荻自身はよくても、周囲までカタギとは限らない。


「学校の後輩が金持ちなんです。俺を慕ってて。」

「………」

何もかもが怪しい。

「とにかく章に近付かないで下さい!荻さんがどうあれ、これ以上複雑になったら章のあれこれを私で解決できません!」

「……だから私たちがいるじゃないですか。道さんのあれもこれも、頑張ったんですけど。」

「~っ!ダメです!」





***




「と、まあ、そんな感じで、章とは時々ご飯食べてます。」

「……………」


信じられない顔をしてしまう尚香。


恩人を突き放した当時の道の気持ちが分かる。

大丈夫と思う方が無理である。韓国から逃げ出してあれこれ言われていた時期。この時代、何が引き金になるか分からない。権力のある者や金持ちすら叩かれているではないか。


そして、この荻の気持ちも分かる。一般人に対応できる話ではない。



なぜ、章の周りはこんなにも騒がしいのか。

いや、自分も人のことは言えないが。


こんな二人が合わさったら、もう何事もない平和な未来が見えない。



「あいつ、絡まれやすかったんですよ。昔は背が低かったのに、ガン飛ばしてるような目してたし。なのにかわいらしい顔もしてるだろ?」

「…………そうなんです……かね?……」

当時はまだ幼さも残ってかわいかったのだ。


「お姉さん、もしかして章とお付き合いするんですか?」

「いえ!」

思いっきり首を横に振る。とてもじゃないが、あんな心臓がどうにかなりそうな生活は、もうごめんである。炎上するので、自分のペースも何もない。


自身についても、みんなに何かとよく評価してもらっているがそこまでいい人ではない。全力で尽くさなければ向かい合える相手ではないし、もう向い合うことも出来なさそうだから。


「えー?なんか、章、慕ってたじゃないですか。」

「章君のオバちゃん世代なんです………」

「……そうなんですか?道さんと同じくらい?」

「まあ……」


「あ!地下鉄来ます。行きます!時間です!」

そう言って、尚香は逃げ出した。




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