16 LUSHのケンカ
ジノンシーのカフェテリア。
「え?もう山名瀬章とは会わないの?」
「うん。」
「え?なんで?」
久々に社内でお昼を一緒にしている美香は、尚香の報告に驚く。
「………なんか、やっぱり章君とは違うなって……」
「あいつが言ったの?」
「……違う、私から!」
「……………」
美香が怪訝そうな顔をする。
「柚木さんたちは知ってるの?」
「聞かれたら言ってるからみんなもう知ってるかも……」
「………」
なぜか黙ってしまう美香。
「お似合いだと思ったのに。」
「美香が?美香の嫌いなタイプだと思った……」
「山名瀬章は、いい悪い、好き嫌いで評価できない人間でしょ?」
「………?」
なんだ、その美香らしからぬ曖昧な評価は。好きなら好き、嫌いなら嫌いではないのか。
美香は美香で思う。
親家族までそれぞれ仲がいいあんな関係。そんなに簡単に断ち切れるものなのか。
「………なんかお似合いだと思ったし、章君は不死身そうだし、若いから尚香より長生きできそうだからさ……」
「お似合い?それに、章君は奥さんの方に長生きしてほしいタイプだよ。」
夫のいない老後を、苦労した妻にイキイキ生きてほしいからではない。妻に先立たれたら生活が成り立たない、自分がさみしいだけであろう昭和のおじさんおじいちゃんである。それに不摂生な生活の業界の上に、アーティストな人間なのでめちゃくちゃ生きて、あれこれ悩みまくって早死しそうでもある。
美香は山名瀬章の顔を思い出して、何か腑に落ちない。
「くそっ、章の奴め。」
「美香、コーヒー飲む?」
「うん。」
尚香は久保木に言われたことも、まだ美香に言えないでいる。なんだかとっても恥ずかしかったからだ。言われたことも、自分みたいなのが二人の男性に付き合おうと言われたことも。
章の兄に関しては、脳裏からも今はシャットアウトである。
全員旧友同士であり、彩香の旦那が好きだったなんて、美香にこそ言えない。
***
何事もなく過ぎていたある日、急に功が突拍子もないことを言いだした。
この頃は大きなライブと小さなライブをそれぞれこなし、バランスよく過ごしていたのだが、何を思ったのか。
「俺、バイオリン弾きたいんだけど。」
と。
「……は?」
みんな、は?と思う。だからなんでこいつはバイオリンを弾きたがるのだ。
「弾けばいいだろ。」
「ライブで弾いていいの?」
みんな首を振る。言い訳がない。
「ここで弾くな。それ以外の好きなところで弾け。」
「いつも弾いてるよ?」
「だからなんでバイオリンを弾きたがるんだってつってんだろ?」
「バイオリンの音がいっつも頭の中にある。」
「あっても、それに何の意味がある。」
「頭の中に音があろうが、プロの仕事をしなければ舞台で弾く資格はない。」
と言われると、ショックな顔をしている。
「俺、プロなんだけど。」
と言うも、もう誰も相手にしてくれない。
「それよりさ、」
「それよりって真理ちゃんひどいんだけど。」
「功君、もうすぐバースデイじゃない?」
「え?そうだっけ?俺、次何歳?」
「21歳。」
「まだ22歳じゃないの?」
もう22歳の気分だったので自分で驚いている。数え年も使われる韓国でアイドルをしてから、1年ごとに1歳年を取る計算すらできなくなってしまった。
真理、ワクワクだ。
「でね、大きなライブがダメなら、尚香ちゃん今度こそ白バンに呼ぼうよ。」
白バンとは、誰もが聴きやすいポップスやヒット曲でまとめたライブだ。一方、パンクな方を銀バンと呼ぶ。
「………真理ちゃん。何度も言うけど、尚香さんは来ないよ。」
「何でそんなこと言うの??いい加減仲直りしたら?もうすぐ出会って1年なんだよ?1年記念もついでにやろうよ。」
なぜ他人が1年記念を覚えているのか。しかも祝うのか。
「事務所で無理なら、仲いい人だけ呼べばいいし。」
「それはだめでしょ!」
横からナオが入る。
「功の誕生日はみんな祝うもので、仕事でもあります!」
「え?去年したっけ?」
覚えていない不幸者。ファンがいるのに自分の誕生日をスルー出来るわけがない。
「一応誕生日は覚えてる。7月1日だ。」
自分の誕生日を言えて偉そうだ。
「去年はライブの中でそのままお祝いしました。」
その風景をそのままアップしたのだ。それで終わりである。
「今年はちゃんとショーツ作りましょう!」
功は敢えて祝われることが苦手なので、正直自分の誕生日などスルーしたい。こういうところもアイドルに向いていなかったのだ。今はまだいいが、中学生当時はお祝い事の度にゲッソリしていた。
「じゃあいい。まり、家に尚香ちゃん呼ぶもん。」
「真理ちゃん、ダメだってば。いい加減にしてよ。」
「何で功が決めるの?私個人の話なのに。功だけが尚香ちゃんの特別だと思ってるの?私は私たち同士の関係だから。自惚れないで。」
「なら、会社に持ち込まないでよ。」
「功が会社に持ち込んだのに??」
功に言われたくない。この男が、嫌がる都内会社員を引っ張って来たのである。
「でも真理ちゃん、尚香さんが嫌がってるんだからやめなよ。」
「何で嫌がるの?」
「いい加減うるさいんだけど。マジで!」
「!!」
「?!」
みんな注目してしまう。
「なんなわけ?」
真理は抵抗する。
「理由が知りたいだけじゃない!」
「ここで話すことじゃないだろ?」
それくらいは功にも分かる。
「ここでしなくていいこといっぱいしてるのは功なのに?!」
「は?何が言いたいわけ?」
功としては、ものすごく人に気を遣ってこの仕事をしてきた。好きに曲を作って好きに歌って好きなことをしていればいいだけのバンドだったのに、事務所に所属したことでアイドル時代よりは遥かに良くても、それでもたくさんの人に囲まれたくさんの仕事をしなくてはいけなくなった。事を荒げないように、言いたいことや感情が高まっても全部押さえて。
スタッフもオドオドしてしまう。仕事以外の内容でLUSHメンバーが言い合いやケンカをしているところを見たことがない。
「なら、勝手に呼べばいい。外でなら好きなことすれば?」
「するけど?」
「どうせ断られるのに。あの人の気まぐれだし。」
「……!尚香ちゃんの悪口まで言わないでよ!!」
「…なら試してみれば。他の知り合いたちと違って、俺らなんか通り過ぎるだけの存在で、連絡断って終わりの関係だから。」
「!」
過去の出来事より、比重が少ない、掠っただけの関係性。出会ってまだ1年経つかないかだ。
真理から見れば、クセの強いこの業界以外で初めてできたと思っていた日本人の親友だ。時々会う、柚木や川田も含めて。それが意外にもおもしろくて、楽しい時間だった。
怒って出ていく功と、取り残される真理。
スタッフの女性が声を掛けようとすると、真理も出て行ってしまった。
***
「ねえ、美香さん。真理の事情聴いてあげて。」
そう言って呼ばれた美香は、呼ばれた飲み屋で和歌の話を聞いてあげていた。
尚香が完全に功を避けている。連動してイットシー関連も。そして、功がめちゃくちゃ仕事に打ち込んでいるらしい。今日のこの相談にも直接尚香を呼んだのに来なかったのだ。
「よかったんじゃない?」
仕事を頑張っているのなら何よりではないだろうか。
「でもね、あのがんばり方は良くない気がするんだよね……。ダンスの方の練習、ダンスチームじゃないかってくらい普通の人みたいに頑張ってるし……」
いいことではないのか。美香からすればダンスチームの練習に合わせること自体、普通の人からすれば尋常ではない運動量でもある。真面目じゃないか。ただ奴は唯一のメインボーカルなので、そこまでダンスをする必要はないが。
「それでね、朝もすっごい走ってるらしくて。」
「走る?」
「ここ最近尚香さんちだったからまだよかったわけよ。そんで今は都内緑道10キロ以上走ってるらしいの!仕事前のこんな季節に!!三浦さん言うには功の家から尚香さんの家でさえ、普通の人は走ろうなんて思わないのに!」
そんなに力が有り余っているなら、もっとライブをすればいいのにと思うのに、戸羽に止められているらしい。功の持っているエネルギー中心に活動すると、ほとんど休みがなく働ける。
それで昔、パンクしていたのだ。体力に精神というのか、気持ちが追い付かなくて。昔のように仕事を回せなくなることは減ったが、自分で仕事量をセーブできず、みんながボロボロになるくらい仕事をしたことがあるらしい。金本家に行くようになってから、大分そういうことがなくなったのに。
放置したら放置したで本人がよっぽど気を付けていないと、誰かに誘われてフラフラ変なクラブや集まりに行ってしまうかもしれない。
右に行っても左に行っても誰かを困らせている男である。
美香はそんな話を長々聞いて、真理が捉まらないため、まだスタジオにいるという山名瀬章に話を聞きに行くことにした。
スタッフに案内された場所に行くと、誰もいないスタジオで功が一人、動画を見ながらヘッドホンで何かを聴いていた。一区切りの部分でスタッフが間に入り、功を止める。
そうして少し話をすることになった。
二人きりになってから、お互い少し離れた場所に座った。
「章君、二人で話すのは久しぶりだね。」
「…………あ、はぃ。」
章は、大人に接する思春期の中高生のように、小さな返事だけして目を合わせない。
「何かあったの?」
「…………」
「なんで、もう会わないことにしたの?」
「…………別に……」
「尚香は何が気に入らなかったの?それとも章君が?」
美香は尚香と、章の義姉綾香の親友だ。章は何を話したらいいのか分からない。下手をしたら美香も兄ともつながりがあるかもしれない。みんな同じ大学ではないか。
「………尚香さんが、やっぱり俺は嫌だって。」
それを聞いて美香は黙ってしまう。納得いかない。二人の間に何もなかったのに、ここまで来てそんなことを言うだろうか。
「何か決定的な理由があるでしょ?」
ないのに尚香がそんなことを言うだろうか。
「尚香さん。会社の人に告白されてるみたいだし。」
「?」
それは聞いていない。
●章と美香の約束
『スリーライティング・上』63 ちゃんとしてね。
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