12 渓谷の緑の家
「ごちそうさまです。本当にありがとうございます。」
「いいのいいの。正二は洋子さんの息子だよ。」
洋子の会話に突如現れる名前を広大が教えてくれるも、その名前、聴きたくない。それをスルーするために、みんなにお別れをしているのに。
もう帰るつもりであったが、この建物やその景観を見物してと言われるので、奢ってもらったしと仕方なく一緒にあちこちを巡る。
東京とは思えない、緑の中に川が流れる小さな渓谷の地域。
そのすぐそばに建つ、元々は大使一家が住んでいた小さな館。当時最先端のモダンな家の横に、同じようなモダンなレストランを建てたのだ。今はその館もお店の一部になっている。
80年代半ばのシンプルモダン。章の父の勤めていた会社の社長が手掛け、後々の改修で一度章の父正一も手を加えていた。
今は章の色彩。
シンプルと言っても無機的過ぎず、色彩は薄めのトーンながらも様々な切り返しで大胆に使っている。メインにパステルグリーンとパステルピンクを中心に取り入れ、目を引くのに静寂が広がる空間。
全部がきれいに収まっている。
不思議だ。
この空間を章君が作ったのか。
あんなめちゃくちゃな音楽をする人なのに。
「センスいいでしょ?」
「……そうですね。」
「自分、白黒ベージュやコンクリートや木目とかのシンプルなデザインは得意なんですけど、こういう色の大胆な使い方は苦手で。」
広大の顔を見る限り、苦手そうには見えない。性格もめちゃくちゃで何でもうまくやれそうだ。
「で、色遣いのマスターみたいなのが身近にいたから、章にお願いしている。」
と、にっこり笑った。その顔が、どことなく正二にも似ている。
「もともと海外のデザイナーの内装なので、色遣いや切り替えが日本人にない大胆さがあるんです。西洋のクラシックなのに色は近代風でしょ?日本の近年の色使いの派手さと違って、変わらないベーシックさや統一の中に、ハッとする大胆さがあるんです。」
それを聞きながら箱庭に出た。
「でもあいつ、苦手なものがあって…」
「章君にですか?」
「章、ガーデニングとか庭はだめみたい。」
と笑う。
「ちょっとしたフロアやアプローチ……玄関の外周りとか、そういうのはできるけど、花とか植物を植えるのをお願いすると、本で調べて庭屋と相談しても混乱してます。」
「へぇ……」
そんな話をしている広大と尚香の少し先で、洋子が花を眺めている姿が、映画のワンシーンのようにきれいだった。
別れる間際に広大は楽しそうに言う。
「また遊びに来てください。今度うちの事務所も紹介しますよ。」
「……ご遠慮しておきます。後………広大さん、やっぱり名刺もお返しします。」
と、尚香は申し訳なさそうに名刺を返す。少し門答して、仕方なく広大は受け取るも、広大は手の中でぐしゃっと握った。
「!……なんかごめんなさい。」
手垢の付いたものを他人には渡せないのだろう。申し訳がない。
「いやいや、もう押しつけがましいことはしないってケジメ。」
広大と別れてから、尚香は洋子を買い物に連れて行ってあげる。5時前にはマンションに着くと、紅茶に合う茶菓子を渡して、さみしそうな洋子とお別れをした。
車が見えなくなるまで見送るキレイな人。
とってもとっても寂しそうな顔をするので、尚香は最後、その目が見られなかった。
***
尚香は思い出しドキドキする。
少しだけ、ほんの少しだけ青みがかった、パステルグリーンとパステルピンクの空間。
章にはお手上げの、たくさんの植物に囲まれた庭。
架利季のあの辺り。学生の頃から時々散策をしていた場所だ。あんなところにも章の跡があるとは。必死に離れようとしているのに、渓谷に行ったら思い出してしまうではないか。
良子ちゃんから「今日はありがとうございました!」とメッセージが入るも、今日でおしまいですと強調しておいた。
それにしても、尚香は最近本当に自分が分からない。
章と一緒になろうと思った気持ちと、いつも笑っていた正二の笑顔が交差する。
それは自分の中で共存できないから必死に忘れようとするのに、ドキドキする自分の心が何のドキドキなのか分からなくなるのだ。
だって、章だけを思っていた時はこんな高揚した気持ちにはならなかったのだ。むしろ、自分と近い久保木の方がずっと心が浮いた。一度断ったので久保木も距離を置くようになったが、自分はどこに行けばいいのだろう。
柚木の入れてくれたマッチングアプリを眺めながらそれをアンインストールした。
本気で結婚を考えるなら、自分には結婚相談所の方が合っているだろう。
***
一方、広大の家。広大は大きなベッドの上で今日のことを思い出して考える。
ん??考えてみれば、今日会った尚香さんはなんなんだ?
見た目は普通の会社員。それ以下でもそれ以上でもない。
なぜ章と?
あの章と?
功の周りにはキレイな女性がいくらでもいる。
功に負けないくらいぶっ飛んでいる女性も多い。
芸能界でなくても、どこかに食事に連れ出せば女性が寄って来るのだ。きつそうな顔だがよく見るときれいでもあり、あのテキトウな性格すら好きな女性は世にいくらでもいる。中にはその上に家庭的な女性もいるだろう。
尚香さんが悪いのではないが、あまりにも普通過ぎる。真面目そうだったし、受け答えも一般的でしっかりしていた。どうしたらあの章と合うのだ。道さんみたいな人なのか。
もしかして、親子して家政婦先の娘さんを本当に家政婦にするつもりだったのか。
風呂から出て来た妻が、髪を拭きながら広大に言った。
「洋子さんに会うの、法事以来じゃない?」
「そうだな……」
正二が海外に行ってしまう前の法事でしか会っていない。
「ちゃんと暮らせてるのかな……」
「思ったより元気そうだったけど。」
「ならいいけど……。私も連絡して見ようかな………。章や正二は?」
「元気にしてるみたい。」
「まあ、章はショーツ確認できるからね。」
「………」
広大は、章に電話してみるが出ない。あの親子は大丈夫なのかと、心でふうっとため息をついた。
***
平日の昼、尚香が家に帰ってくるとお父さんがロジックに目を向けたまま言った。
「尚香、章が仕事で韓国行ってたみたいだぞ。机の上の、お土産な。」
「………章君来たの?」
「いや、忙しいんだろ。道さんが持って来たんだ。」
机の上と仏壇前には、ペッドボトルやドリンクの真空パックや何か丈夫な箱、海苔などが置いてあった。お父さんは、章が来なくなったことについては何も言わない。
「その飲み物。シナモンが入っておいしいぞ。」
「冷蔵庫にも入れてあるから、それを飲んだらいいよ。赤い方は五味子のお茶だって。」
お母さんがそう言って冷蔵庫からパウチを出してきた。
「ゴミシ?」
「漢方だよ。肌にもいいらしいから。ザクロもあるけど、珍しいからこっち飲んでみようか。」
「そっちのスティックは高麗人参らしい。中国にもあるけど、向こうは育つのに土地がいいらしいんだ。」
「……それ高いんじゃないの?」
こんなにタダではもらえない。
「親戚に持たされたものだから、気にしないでって。元々家にあったものもあるらしくて。」
こんなに良くされても困るけれど、どこで線引きをすればよいのだろう。章が来ているわけでもない。家の仕事をお願いしている分はそのままにしてもいいのだろうか。
道にも話すべきだと思うが、両親と道との関係を思うと、章とのことをどう話せばいいのか。
先日、洋子と別れたばかりなのに、章だけでない。
山名瀬家が生活の中に付いてくる。何かを変えなければと思う。
***
「ねえ、なんで今度のライブ、尚香さん誘っちゃダメなの?」
不服な真理が、功にぶー垂れている。
「……………。」
「ならツアーの方に誘っていい?」
もうすぐまたLUSH+のツアーが始まる。今までで一番大きいツアーだ。
そして、このLUSHに「+」が付いていた意味にやっとたどり着く。もともとLUSHは音楽を楽しみたくて集まったメンバーだ。
たくさんの音を作りたくて、たくさんの音に出会いたくて、小さなステージに集まったメンバー。
功が楽しめればどんな音があっても、どんなメンバーがいてもいい。
そう、コラボだ。
各ツアーで気が合うバンドや歌手とコラボライブをしていくのだ。自社他社も関係ない。基本的にヒット曲がある歌手とコラボするため、どちらかのファンでなくとも楽しめる。チケットは早春の時点で既に完売。
スタートの東京公演は「ラナ・スン」と、「パメラ・キオ」。二人ともR&Bでは有名人である。2日目は、男性三人グループ。
大阪では大阪出身のヒップホップグループと2日目はソウル、R&B、オルタナティブ系歌手2人。
愛知は、K-POPティティカ姉さんの『ファーブス』。そこに『シークレットゲスト』とも書かれている。初めて功が公式で手書きのコメントを出して話題になっていた。
ヘタクソな字で『男はくんな。分かったか』と。『文句があっても自己責任』とも添えてある。
結果、『男だが買った』『既に後悔している』『男をバカにするな』『来るなと言われると行きたくなる。それが人』『男で埋めろ』とのコメント共に、愛知公演は最速攻で完売していた。一部席は後発販売のコラボ相手のファンクラブ優先になるので男で埋まることはないであろう。それにファーブスは女性ながらも女性ファンが多い。
「ねえ!東京公演呼んでもいい?」
「ダメ。」
「なんで功君が決めるの!尚香ちゃんは私の友達だってば!」
「ダメっつったらダメ。どうせ来ないよ。」
「せっかく東京公演、シルバールとコラボするのに??」
尚香もよく聴く男性二人組が全国から戻って来た東京最終公演1日目に出るのだ。
「尚香さんは何かを突き破ってまでコンサートに来たい人じゃないよ。」
「突き破んなくても、普通に来ればいいでしょ?」
「………うるさいな………」
「はー??何?!!泰、この人に怒って!!!」
そんなふうに、これから夏を越えて秋への準備が始まっていく。




