9 ママはお出掛けがしたい
お見合い話の続きで、章の話で盛り上がられ困ってしまい、尚香は言ってしまう。
「SNSのフォロワーが240万まで増えた人と、どうしろって言うんですか……」
「エナドリ効果だし。あいつまた雲隠れするとどうせフォロワーも減るから。」
「でも、純粋なファンが10%としても20万人以上ですよ。すごくないですか~。」
そこで川田が功のフォトグラフィーを出した。
「この体が尚香さんのものになるんですよ?惜しくないですか??」
「………みんなしてセクハラなんですけど……」
功のSNSが人気なのは、エナドリとのショットがあると言うのもあるが、モデルのようだからだ。そして何とも言えない陽も影も持っている部分と、あの意味不明の性格がクリエーター側の人間に妙に好かれる。
「………写真と家での功君は全然違うんだけど………」
「うちだけの顔があるんですね~!」
「………」
ノリノリ柚木には誰も敵わない。
そこにメッセージが入る。
「……あ、いっぱい返信が来る……」
先の婚活アプリだ。29歳都内事務にもたくさん返信が来るので、みんなスマホに注目してしまう。
「……『初めまして!』だって。」
「何々?」
柚木が読み上げてくれる。
「33歳都内会社員、年収700万。同世代の方お会いしたいです……。いいじゃん、いいじゃん。」
そして、びっくりするほど次々と通知が入る。
「『少し上で自分はぽっちゃりなのですけど、お会いできますか。』誠実でいいんじゃない?身長172で82キロってぽっちゃりか知らんが。」
プロフィールを偽ってなければ正直ではある。
「ぽっちゃりって、響きはかわいいですよね!」
「次、『都内公務員……アラサーです』ってさ。『自分170いかないけれどいいですか』。尚香さん、いいですか?」
「こっちは……『身長153センチなんですね。かわいい系ですか?守野梨花寄りですか?』って、普通いきなり聞いてくるか??ダメだろ!!」
「守野梨花?」
「グラビアアイドルです!!」
しかし尚香、最後以外は思ったより普通で少し興味深く見てしまう。多少ごまかしがあるにしても、もっと変な人が来ると思っていた。ただ、身長を低めに書いたためか身長の話が多い。
「あれ?この人、すごくいい人そう。家事もできるし、全力で働くあなたを支えますだって。」
そして兼代にスマホを取られ、じっとチェックされるも………
「ダメに決まってます!!」
「え?何?いきなり。」
「この人61歳で20代前半希望してんですよ?子供もいるし、奥さんを亡くした既婚者!!イケオジかましています!!」
プロフィールを見て兼代が怒るし、周りも驚く。61で20代?
「へ?」
「『余生の楽しみに恋愛がしたい』って、相手ゲットのために自分を繕う事もできない年齢なのか、性格なのか………」
しかも趣味が、「婚活とニュースサイトの意見欄に投稿」だ。出会い系でただ遊びたい男よりは真面目でいいかもしれないが、20代との婚活を真面目な顔でされてもかなりヤバい。意見欄に投稿が趣味って、ある意味SNS中毒の若者と同じではないか。
聞けば聞くほどみんなドン引きしているが尚香は頭が回らない。
「あ……既婚者は困るけど……」
「尚香さん、どうしたんですか!そこだけでなく、全部だめです!!女性を支えるどころか早々に介護させられる側じゃないですか!」
下手したらその親も。
「子供希望とか書いてない分、まだいいのか………」
「いやいや。無理なんだけど。」
「こういうのは会ったら言い出すから。」
「………うゎ…」
みんなドン引いている。
「人って自分だけはいつまでも特別って思っちゃうんですよね。」
「奥さんや子供を大事に思っていた方がイケオジって分からない人はだめです!」
「禿ててもうちの部長の方がカッコいいっす!」
「そうです!」
「……でも……」
尚香がこんがらがって来て、兼代、悲しくなる。
「金本さん……最近どうしたんですか?」
「え?どうも……」
「プロフィール欄もキチンと確認してください!らしくないですよ!」
「そうだね。でもこのアプリ、最初は画面に会話しか出ないから……」
腑抜けたことしか言わない尚香に遂に兼代が本気で諭す。
「もう、めっちゃダメダメです!こんなクソみたいなのに、金本さんを渡すくらいなら、俺がもらいます!!」
「!!」
「?」
「は?」
兼代が口を滑らせてしまった。
みんな目が点になっている。
「……………」
「っ!あー!!違います!!こんな男に持って行かれるくらいならってことです!!」
「………」
「兼代さん、これ以上問題を起こさないでくれますか?」
「これ以上なんの混乱を持ち込む。」
四谷や、近くにいた社員が呆れている。
「変な意味じゃありません!四谷さんだって分かりますよね??」
「………今の時代、飲み屋で話してもアウトなことをここで言うな。」
「なんすかその目!柚木さんだって分かるでしょ。こんなんにうちの大事なエースを取られるくらいなら、柚木さんがもらうでしょ??」
「あ、それは……そうかも。」
「?!」
尚香がビビっているので、柚木が説明する。
「尚香さん、例えばこんな自分しか見えないじじいにうちの川ちゃんを取られるくらいなら、尚香さんが川ちゃんもらうでしょ?」
地味なのに良く見るときれい、けれど家ではファンキーで色っぽい川田をじっと見て尚香も思う。
「何ですか?尚香さんまで!」
と川田もビビる。こんなかわいい川田をよく分からない人に持って行かれるくらいなら、身内の安心できる人に貰ってもらいたい。下手をしたら曽孫がいる歳だ。
「…………そうかも……。」
「そういうことっす!!」
と、兼代が言うもそこに久保木が来ていた。
「兼代……」
「はっ!久保木本部長!違います!親目線です!!」
という訳で、兼代は久保木に引っ張られて行った。
そしてみんな思う。
実は、尚香さんはモテなくはない。
見た目も性格も程よいからである。
この少子高齢化、少し田舎に営業や調査に行くとだいたい誰でも「うちの嫁に、婿に来ないか」と言われるのだが、尚香の場合営業先の社長さんからわざわざ電話が掛かって来ることもある。息子がいるのだがと。地方にも来てくれそうな雰囲気があるからなのか。
もちろん上司から説明して断るが、兼代目線で言えば、時々息子や若い部下の方が尚香を気にしていることも分かる。
際沢や功との件で、世間には傷を残してしまったが、身近で接する分には尚香さん男女共に非常に付き合いやすい人なのだ。それ以外で悪いこともない、かわいらしくて無難な女性。
一緒にいれば、少なくとも自ら荒波を立てない人だということは分かる。お母さんやお姉さんみたいな部分もあって、人の失敗を挙げて責めるようなこともせずそっと見守るし、見た目にも威圧感がないので気も楽だ。
時々言葉がきついが、兼代くらいの人間になるとそれもスパイス。無難でありながら、それくらいの武器も持っている。
アラサーという、真面目に結婚を考える歳。
今の尚香さんは、結婚にちょうどいいのだ。
***
その頃、功は日本のライブハウスやフェスで暴れまくっていた。
エナドリとのセッションを増やしていくと思っていたのに、全然違うことをしているのでそれ以上エナドリ層からのフォロワーは大きくは増えないが、名が知れたことで日本カルチャー好きや音楽好きな海外層にもさらに注目が広がっていた。
今はもう、尚香は功の姿も、章の姿も知らない。
なのに、地下鉄の壁を見て思わず止まってしまう。
長い髪の、躍動感のある男性のアップ。
一瞬分からなかったが、LUSH+とデカい文字が並ぶ大判ポスター。LUSH大型ツアーの前に、また新曲が出たのだ。
ピンク髪の次は、ロングヘアか。ナオたちに遊ばれているのか。
今までだったらそんな髪で家に来たら、お父さんに有りか無しか聞いて、あれこれ言い訳をしていただろう。みんなにさせられたのだと。それとも自分で提案したのだろうか。
そして尚香も聞いていただろう。どうやって髪に着けるの?エクステって言うの?と。それともカツラだろうか。
「………………」
見上げる場所に映る功の目は、尚香を通り越して、ずっと先を見ている。
そんな、
そんな気がする。
あの時のように。
渋谷の夕方の喧騒。
怪我事故なく無事に全国を回れますように、まだ少し先だがそっとお祈りだけをした。
***
一方、似た顔をしたこの人はひどく暇を持て余していた。
広いリビングに貰い物のマットを敷いて動画を見ながら先生の真似をすると、美しい体が驚くほどよく曲がる。
『ママ、運動してるの?』
「最近はちゃんとしてるから。」
『40歳でも運動してないと、つまずいたり骨折したり腰を悪くするんだって。絶対してね。ママだらしないもん。』
「今してる。最近はウォーキングマシンもするけど?」
マンションのリビングで通話をしながらストレッチをしているのは洋子である。
実は柔軟と軽い運動は毎日していたのだが、そこにもっと筋力を上げる運動も加える。運動の動画が流れやすいように、動画アプリを設定してもらっていたのだ。洋子、体は柔らかくても、優雅にダラダラ生きていたので筋力はあまりない。何年もピアノではなく電子ピアノを弾いていたこともあって、鍵盤も重かった。
「良子、今度はいつ会えるの?」
『私、ずっと部活があるし、ダンスもまた発表会だし。』
電話の向こうは章と父違いの娘の良子だ。洋子はまた何があるか分からないから、怖くてダンスも観に行けない。以前もめたことを思うと元夫和司の再婚相手や、その娘の千奈に会うわけにもいかないだろう。道は保育も始めたので声を掛けにくい。
「ママ、ジョギングしたいんだけど一緒にだめ?おいしいケーキも買ってあげるよ。」
『今は無理だな……。試験もあるし。』
「………さみしい……」
兄正二は塾にも行かず何となくな感じで大学に合格していたので、ここまで勉強漬けの娘の生活がさっぱり分からない。
娘と共に思い浮かぶのは、怒りに震える和司の妻やその娘の顔。
自分は娘の結婚式にすら、参加させてもらえないかもしれない。
「……………」
『ママ、大丈夫?』
良子は困ってしまう。
中学生になって自分であちこち行けるようになった良子は、昔、親に内緒で洋子の家に一晩泊まったことがある。
あの時の継母の怒りは忘れない。『黙っていくなんて!そこまで信用されていないなんて!』と、ものすごく怒られたのだ。実母洋子の話をしたら怒られると思ったのに、言わないことの方がずっと怒られてどうしていいのか分からなかった。
その後に定期面会を再開してもらえたが、父の付き添いはもうない。状況を考慮できない二人は決められた時間に家に帰るために、タイマーもかけて会うのも非常に気を使っていた。巻がいる時は、巻が一緒に行って時間を見てくれている。この忙しい時期に、良子は自分に全部をこなせる自信がなかった。
『あ、ねえねえ。あの、ほら!お兄ちゃんのお友達。尚香さんは?またお買い物連れてってもらったら?』
「………最近連絡しても出ないし、忙しいって1回メールが来ただけ。」
『………』
おかしいと良子は思う。章兄が、尚香さんは最近は前より家にいると言っていた。時間さえ合えば会える日もあるだろう。
そこで、良子は考え付く。
『私が尚香さんに会えるように言ってあげる!』
「……忙しいのに?」
『ママ、尚香さんの電話番号教えて!』
「家族でも勝手に人に教えちゃダメってみんなに言われてる。」
『……うーん。あ、ならそうだ!巻に聞けばいいんだ!巻、交換してたよ!』
「ほんと?」
洋子から禁止されているけれど、巻からならいいと思ってしまう二人であった。
そして、その土曜日、尚香は洋子と会うことになるのである。




