十年後のきみ
「だから今度は、朝香の番だ。朝香は親御さんと、向き合えそうか?」
「私? 私は——」
この時代にタイムスリップする前、父が私のために仕事を変わってくれたことを思い出して胸が詰まった。
お父さん、お母さん……。
私はずっと、何か勘違いしていたんじゃないだろうか。
家業のことでがんじがらめにされて、自分は不幸だと思い込んでいた。でも……と、ふと思う。私は淡路島で、あの仕事に誇りを持っていたことも確かだ。父が繋いでくれた伝統を、私がしっかりと守りたい。そんな気持ちにさせられていた。
その時、ピコンというスマホの通知音が鳴った。誰だろう、と考える必要もなかった。きっと両親からだ。
翔に目配せをしてから、スマホの画面を開く。通知はやはり、父からのメッセージだった。恐る恐る文面を開く。
【朝香、今どこにいる? 早く帰って来なさい。母さんも、心配してるぞ】
予想していたよりも、父は怒っていなかった。てっきり「繁忙期に家出するとはどういうつもりだ」と罵倒されるかと思っていた。けれど、父が送って来た文面は、怒っているというより、私を心配してくれているようだった。
それに、仕事真っ只中のこんな昼間にメッセージを送ってくるなんて。
予想外なことが重なり、私は面食らう。隣で見ていた翔も、「お父さん、心配してるだろ」と言った。
「うん、そうみたい。怒られるかと思ってた」
「俺は、朝香のご両親は心配するって思ってけどな。朝香のこと、いつも一生
懸命考えてるだろ」
「私のことを……?」
「ああ。まあ俺は朝香の話を断片的に聞いて推測するしかないけどさ。一つも心配していない、期待していない娘に、大事な家業を任せようなんて思わないって。確かにご両親のやり方は朝香からしてみれば、自由を奪う敵みたいに見えるかもしれない。でも、朝香にすべてを任せようとしてるってことは、それだけ朝香を本気で愛してるということだよ」
母親からの愛に飢える翔は、一体どんな気持ちでこれまで私の家庭の愚痴を聞いていたのだろう。その愛に溢れた言葉に、一気に胸が締め上げられるような切なさを覚えた。
「朝香、前に進め。俺も進むからさ。俺たちならできるよ。ちゃんと、お互いの家族と向き合おう」
「ええ」
気がつけば、自然に頷いていた。
那珂川を眺めながら、私は一つ深呼吸をする。このまま逃げ続けるべきか、向き合うべきか。答えはとっくに出ていた。翔のための逃避行だと思っていたこの旅は、本当は自分のためだと気づいた。
「翔、ありがとう。私たち、やっぱり淡路島に帰ろう」
答えを口にしてみれば簡単だった。私たちはもうとっくに、前に向けるようになっていた。昨日の夜、一緒に逃げようと約束したあの時から。こうなることは決まっていたのだ。翔に、別れたくないという意思を伝えた時点で、私と翔の未来への道は、少しずつ本来の方向から向きを変えていたのだ。私が生きていた世界とこの世界はきっと、違う未来へと繋がっている。願わくばその未来が、翔にとって幸せな未来でありますように。
「頑張れ翔」
頑張れ。
最後にそう呟いたのが、私だったか翔だったかもう分からない。
私の視界を、まばゆい光が包み込む。博多の街も、十八歳の翔の姿も、強い光に溶けて視界から遠のいていく。その刹那、翔が私を見てふっと微笑んだ。
「ありがとう、十年後の朝香」
「え——?」
信じられない言葉を耳にした途端、私の視界からすべてが白く霧散した。




