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潮に閉じ込めたきみの後悔を拭いたい  作者: 葉方萌生
第五章 虚の瞳

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誰を呼ぶ

 翔はどこにいるんだろう。

 つい先ほどまで隼人が仕事をしている港にいたというのだから、そんなに遠くには行っていないと思う。けれど、彼が今どこにいるかなんて、本人に聞かない限りは分からなかった。


 車に乗り込んだ私はまず、一昨日に訪れた彼の自宅へと向かった。ボロいアパートに今でも住んでいる翔。翔の収入なら、豪邸にだって住めるはずなのに、どうしてあのアパートにこだわるのか。その理由は一つだけだ。世間から身を隠すためじゃない。翔はきっと、今でもお母さんのことを想っているから。お母さんと過ごした残り香のする場所に、止まっていたいからだ。


 翔の部屋の前まで来てインターホンを鳴らす。けれど、翔は応答しない。居留守を使われている可能性もあるが、物音ひとつしないところを見ると、本当に留守をしているのだと分かった。


「どこにいるの?」


 ダメ元で着信を入れてみるも、やっぱり彼は電話に出なかった。諦めて、アパートから離れる。再び車に乗ってどこへ行くこともなく、町の中を彷徨い続けた。ゆっくりと車を走らせて、それらしい人影を見つけたら少しずつ近づいていく。まるで不審者のようだが、そうするしか方法がない。翔は車を持っていないから、どこかしらを歩いている可能性が高い。何度それらしい人を見つけても、みんな人違いだった。「脅かすなよ」と怒られることもあった。後ろを走っていた車にクラクションを鳴らされた。それでも探し続けた。私は、翔という一つの光に向かって、一心不乱に田畑の間の道を、住宅街を、駆け抜けた。

 やがて町の中はもう探す場所がないと分かり、ある一つの場所が思い浮かんだ。


「もうあそこしかないわね……」


 私が彼を見つけ出せるとすれば、一つしかない。

 その場所に向かって、もう一度車を方向転換させて走り出す。元来た道を戻り、見慣れた風景の中で想いを募らせた。

 辿り着いたのは、言わずと知れた吹上浜だ。遠くの方に、一つの人影が見えた。真夏の太陽が照りつける砂浜に佇む人影。もっと近くには、海に遊びに来た人たちがたくさんいた。けれど彼は一人だった。


 路肩に車を停める。もわりとまとわりつく空気を気持ち悪く感じながら、彼の方へとゆっくりと近づいていく。私と初めて再会した時と同じ、白いシャツを着た彼は、誰からの注目も浴びず、砂浜で突っ立って海を眺めている。私がすぐそばまで近づいても、全然気がつかない様子で水平線を見つめていた。


「翔」


 ゆっくりとこちらを振り返る翔。その目に、光が宿っていなかった。一昨日会った時と同じ人物のはずなのに、どこか虚ろなまなざしに既視感を覚える。高校三年生の梅雨時に、初めて会った彼の母親の表情と同じだった。翔が遠くへ行こうとしていることが瞬時に分かってしまい、足が竦んだ。


「……朝香がいつかここに来るんじゃないかって予想してた」


 ボソリと、蚊の鳴くような声で呟いた翔。私と少し、ほんの少しだけ焦点が合わない。翔が、もうとっくに壊れてしまっていたことを、今更思い知る。やっぱり彼は大丈夫なんかじゃなかった。私はどうして慢心してしまっていたんだろうか。


「朝香はいつだって俺のことを追いかけてくれた。俺は嬉しかった。高校時代、朝香が俺のことを慕ってくれているって分かった時、仮面を被って生きてきて正解だったと思った。……でも同時に、やっぱり虚しかった。虚しくて、胸が裂けそうになった。朝香が俺の名前を呼ぶ度に、本当は|誰のことを呼んでいるんだろう《・・・・・・・・・・・・・・》って考えるようになった」


 翔の瞳の中の深淵を、私は推しはかることができない。

 翔が人生をかけて周囲を欺き続けてきた仮面がどれだけ分厚くて強固なものなのか、考えられるはずもなかった。


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