夜の闇が固く閉ざした
「翔には、分からないよ」
いつか、まったく同じ台詞をどこかで彼にぶつけたような気がする。弾かれたように目を見開く翔の顔が印象的で、私の記憶に強く刻み込まれた。
「翔には私の気持ち、きっと一生分かってもらえない。翔は、何にも縛られてないでしょ? やりたくもない家業を継ぐ必要もない。親の都合かもしれないけれど、この小さな町を出て東京に行ける。東京の大学って、きらきらしてて格好良いよね。私も……叶うなら大学に行きたかった。自分の道を進んでみたかった。でも無理なの。城島家に生まれ落ちた瞬間から、私の運命は決まっていたから。私の未来は、将来は、一本道だから。翔みたいに、たくさんの道が用意されてるわけじゃない。私は……ここから動けない」
自分でも酷いことを言っているという自覚はあった。
以前訪れた、荒れた翔の家が記憶に蘇る。生気のないない母親の顔も、父親がいない彼の家庭の事情も、忘れてはいなかった。けれど、私にしてみれば翔の置かれた状況は、自分よりうんと自由に見えた。少なくとも、高校三年生の私には。
翔は揺れるまなざしで私を見つめていた。何度も唇を噛み、次に何を言うべきなのか悩んでいる。彼の中で渦巻いている迷いを感じ取った。
やがてゆっくりと口を開く。
「なあ朝香。俺たち別れようか」
吐息を吐くような静かな声色だった。だからこそ、その言葉が冗談ではなく、翔の本心なのだと悟ってしまう。
「え……?」
まったく予想していない展開だった。私はただ、自分の抱え込んでいた辛い気持ちを翔に話して、慰めて欲しかっただけなのだ。そうと気づいた時にはもう何もかも遅かった。翔はすでに、並々ならぬ決意をしていたんだから。
「俺さ、四月になったら東京に行かなくちゃいけない。朝香のこと……近くで守れないんだ。最初はそれでも離れない自信があった。朝香のことずっと好きでいようって思っていた。もちろん、今でも好きだ。でも俺……やっぱり怖いんだ」
「怖い? 一体何が……」
「朝香がこれからも、こんなふうに一人で悩んで潰れそうになるのが。俺は朝香が悩んでる時、そばにいてあげられない。そんなことになるぐらいなら、俺じゃない別の誰かと——朝香のそばにいられる人と、結ばれた方がいいんじゃないかって……」
翔の話す、言葉の一つ一つが、うまく頭の中に入ってこない。
俺じゃない別の誰かと?
どうしてそんなこと、言うんだろう。
私は翔が好きだ。翔だって私を好きだって言ってくれた。それなのにどうして、別の人と付き合えるというの?
「……待って。ちょっといきなりすぎて……ごめん。頭の中ぐちゃぐちゃで、どうしたらいいか分からない」
混乱する気持ちをそのまま正直に話した。すると翔はもう一度深く息を吸った。
「別れよう、朝香」
何を言われても決意は揺らがない。
彼の瞳に、迷いはない。
彼は、一度こうと決めたら曲げない性格だ。私がそれを一番よく分かっている。私がここでどれだけ縋り付いたって無駄なのだ。翔と長い時間を一緒に過ごしたからこそ、すべて分かってしまった。
「……分かった」
何も分からない。けれど、頷くしかなかった。心とは裏腹に、頭は冷静な自分が憎い。私は頷いてしまった。彼と別れることに同意してしまったんだ。
「ごめんな」
蚊の鳴くような声で呟いた翔の瞳に、星の瞬きのような輝きが一瞬映った。それが涙だと分かった時、私は自分の瞼が熱く、視界が滲んでいくのに気づいた。
夜空に瞬く星は、とても明るいとは思えなくて。
夜の闇が固く閉ざした私たちの関係をのみ込んでいくようだった。




