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潮に閉じ込めたきみの後悔を拭いたい  作者: 葉方萌生
第四章 闇の星

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分からないよ

 そして、気がつけば翔と出会って二度目の春が訪れた。

 高校二年生の三月。

 一つ上の先輩たちが大学受験を終え、まだ桜の咲かない肌寒い時期に卒業していった。私たちは在校生として先輩たちを見送り、いよいよ自分たちが最高学年を迎えることを実感する。


 春休みに、私は翔と二年二組の教室で落ち合っていた。名目上は、四月に行われる校内模試に向けて勉強をするためだったが、正当な理由をつけて二人で会うのが目的の一つでもあった。夏休みも冬休みも春休みも、約束をしなければ翔に会えないので、こうして頻繁に「勉強会」は開かれた。


「翔はさ、進学希望だよね?」


「うん。一応そのつもりでいる」


「そっかー。大学だったらもちろん淡路島を出るんだよね。神戸とか?」


「今のところはそんな感じかな。神戸だったらいつでも淡路島に来られるし」


「そうだね」


 翔は私が家業を継がなければいけないという事情を知っているので、島から出られない私のことを気遣ってくれているのだと分かった。

 淡路島から神戸は確かに気軽に行き来できる距離ではある。でも、交通手段は車しかない。免許を取るまでは高速バスでしか移動ができないし、それなりに時間もかかる。翔は、「卒業と同時に教習所に通うから安心して」と言うが、十七歳の私には、車を運転している翔の姿を想像することができなかった。


「朝香はやっぱり進学しねえの? お父さんたち、説得してみたら」


「いや……うちは、無理だよ。お父さんもお母さんも、頭固いもん。『お金かけて大学なんて行っても、ろくに勉強もしないやつらばかりだ。無駄な時間を過ごすくらいなら、早いとこ働いた方がいい』って言うに決まってる」


 そうだ。昔、まだ大学進学なんて考えてもいなかった中学生の頃に、父親がぽろっと溢したのを聞いたことがある。それ以来、自分には将来なんて選べないのだと悟った。

 私が「うしお丸」に乗って渦潮の中に落ちたのも、ちょうどその時期だったのはなかったか。

 進路のことで親の意見を知り、むしゃくしゃした気持ちで一人、船に乗り込んだ。その頃反抗期だったこともあり、自分の未来が敷かれたレールの上にしか広がっていないことに、憤りを覚えていた。


 だけどやっぱり、どうして船から落ちてしまったのかだけは思い出せない。

 とにかく胸の中がざわついていて、未来に絶望していたことだけは記憶に残っている。


「その辺のこと、ちゃんと話してみたら? 一人が不安なら、俺も一緒に話に行くよ」


 翔の真剣な声が、すとんと胸に落ちてきた。と同時に、彼の善意を受け取れないもどかしさに胸が押し潰されそうになる。


「無駄だよ。翔が何を言っても変わらない。むしろ、他人に意見させるなんて卑怯なやつだって怒られるだけだよ」


「そうかな? たとえ普段厳しく接してるのだとしてもさ、朝香の親は朝香のことちゃんと考えてるだろ。だったら娘の一世一代の相談ぐらい、真剣に聞いてくれるんじゃないか」


 翔の言葉はとてもまっすぐで、それが逆に今の私の気持ちを追い詰めた。

 翔は、何も知らないのだ。

 私の家のことも、私が縛られている(しがらみ)も。

 容姿端麗で、性格も明るくて、友達が多くて、大学進学だって自由に許されている翔に、私の気持ちは決して分からない。

 二年間、共に過ごしてきた翔に対して、はっきりと壁を感じた。


「翔には……分からないよ」


 私の気持ちなんて、翔には分からない。

 私たちは男と女、光と影、全然違う人種だ。相思相愛だというだけで周りからは二人でひとつの生き物みたいに扱われてきたけれど、実際は全然違っていた。

 私はどうしたって翔みたいになれないし、翔はどうしたって私の気持ちを理解できない。でもそれは、彼が悪いわけじゃない。暖かい日向で生きることを選ばれた翔が、じめじめとした狭い空間で生きる私を理解できないのは、当然のことだった。

 だからこそ、やるせなさに海の底に身が沈んでいくようだった。あの日、渦潮の中にのまれて強い力で海の底へと引きずり込まれていったみたいに。手を伸ばしても、翔の背中にはどうしたって届かない気がして。私は初めて、翔を遠く感じていた。


 翔には分からない。

 突き放すような私の台詞を耳にした翔は、目を見開いて私のことを凝視していた。先ほどまで握っていたシャーペンの芯がぽきりと折れる。ノートにペン先を強く押し付けた翔が、「どうして」と震える声で呟いた。


「そんな悲しいこと、言うなよ」


 翔の大きな瞳が、今まで見たことのないくらい絶望に満ちていた。翔には分からない。言いすぎた、と思った時にはすべてが遅かったんだ。


「ごめん……。でも私、進学はやっぱり無理だし、親を説得するなんてもっと無理なんだ」


 何に対して謝っているのか、誰に対して言い訳をしているのか、もはや分からなかった。

 翔は「そっか」とだけ呟いて、長いまつ毛をそっと伏せる。傷つけてしまったかもしれない——そんなふうに後悔したって、今更無意味だと分かった。


「まあでもさ、来月の模試は一緒に頑張ろうぜ」


「うん、そうだね。成績にも響くし、手を抜くつもりはないよ」


 勉強への熱意はとっくに消え失せてはいたけれど、一緒に頑張ろうと言ってくれている彼の気持ちを踏み躙りたくはなかった。参考書を開き、翔と同じように問題文に視線を走らせる。春の柔らかな陽光が、教室のカーテンに遮られていた。


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