ラムネをくれた女の子
「それ……本当か?」
けれど翔は、頭ごなしに否定したり、疑ったりしなかった。真面目な表情で私の話をどうにか噛み砕こうと思案してくれているように見える。
「保育園……ラムネ」
やがて、ぽつりと彼が漏らした声は、「只今より船は折り返します」というアナウンスにかき消された。
「俺、覚えがある」
ぴたりと風が止む。私と翔の前髪がはらはらとおでこへと落ちる。
ブゥン、というエンジン音が響いて、船は鳴門海峡から福良港の方へと引き返し始めた。
「覚えがあるって、どういうこと?」
今度は私が彼に尋ねる番だった。
翔が何を言おうとしているのか、私には分からない。けれど、心臓がドクドクと、平時よりもたくさんの血液を送り出しているような心地がした。
「保育園時代に、道端でラムネをくれた女の子がいたんだ」
「……え?」
理解が追いつかなくて、思わず翔の顔を見つめる。その真剣なまなざしに、心まで射竦められそうだった。
「周りは田んぼだらけで、とにかくお腹が空いていた。たまらなくなって泣いてたら、同い年くらいの女の子が近づいてきて。そうだ。『お腹が空いた』って言ったら、その子が鞄からラムネを出してくれたんだ」
だんだんと彼の中でも記憶がはっきりとしてきたのか、ハッとした様子で話し出す。
「俺、あんまり空腹だったからラムネを全部食べちゃって。すごく申し訳ない気持ちになった。でもその女の子は優しくしてくれて、『大丈夫だよ。怒ってないよ』って言ってくれたんだ。だから俺、すごくホッとした記憶がある」
……翔だ。
私があの時、過去に戻ってラムネをあげた相手は間違いなく、彼だ。
一つの真実に気づいて、私も翔もじっとお互いを見つめ合った。時が止まったような感覚に陥って、脈打つ鼓動が痛いくらい激しくなる。
「翔だったんだ」
信じられない気持ちで呟く。まさかあの時、私が出会っていたのが翔だったなんて。と同時に、あの日の出来事が夢なんかではなく、本当に自分が体験したことなのだと思い知った。
「……ああ、びっくりした。あの女の子が、朝香だったなんて。しかも過去に戻った中学生の朝香? 本当、信じられない。でも信じるしかないよな」
「うん。普通じゃ考えられないけど……実際、こうしてお互いに記憶があるんだもの。偶然じゃ、ないはず。でも、そういえば翔、中二の時に転校してきたって言ってなかった?」
「そうだな。中二の時に転校してきた。でも実は小学校に上がる前まで淡路島に住んでたんだ」
「え、そうだったの?」
「うん。もともと、母親の仕事の関係で淡路島で暮らしてた。だけど色々あって、小学校に入学する頃には母親の実家がある東京に戻ったってわけ。その後、俺が中学二年生になる前にじいちゃんとばあちゃんが亡くなってね。また淡路島に戻ってきた。行ったり来たりの人生だよ、はは」
本州と橋で繋がっている島ではあるけれど、海を渡り東京と往復を繰り返す翔の人生はきっと、本人が語らないところで苦労が多かっただろう。
「知らなかった、翔がそういう人生を送ってたなんて。聞いてもいい? 小学校に上がる時に東京に行った理由」
「そうだな。あんまり楽しい話じゃないけど……その頃、母親のメンタルの調子が良くなくてさ。知ってると思うけどうちってシングルだったし。両親の支えがある実家で子育てした方がいいんじゃないかって話になったんだ」




