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潮に閉じ込めたきみの後悔を拭いたい  作者: 葉方萌生
第三章 波の音

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出発進行

「東京ではよく運転してたの?」


「いやーまさか。常にタクシー移動。たまーに電車も使うけど、人が多くて勘弁って感じ」


「そうだよね。人気俳優だもん」


 翔が生きてきたこの十年は、私には考えられない世界だ。電車社会の東京で電車を使えず、タクシーでマネージャーと共に移動をする。彼の東京での生活はなかなか想像するのが難しい。


「人気かどうかはさておき、とにかく運転は久しぶりだから、実は今めっちゃ緊張してる」


「うん、なんとなく分かってたよ」


 おどけたように答えてみせると、翔がふっと笑みをこぼした。


「なんで笑うの」


「だって、朝香の笑顔、久しぶりに見たから」


「……」


 そうか。そうかもしれない。

 翔と再会してから、常に心がガチガチに固まっていた。翔の前で笑っていいのか分からなくて、表情もこわばっていたに違いない。


「俺、朝香の笑った顔がすげー好きだったから」


 十年の隔たりなんて感じさせない言葉だった。

 一瞬にして、胸に切なさが込み上げる。


「私だって……翔の笑顔が好きだった」


 どうしてそんなことを口走ってしまったのか自分でも分からない。バックミラー越しに、翔が目を丸くするのが分かった。


「……もうすぐ着くみたいだな。近くて良かった」


 私の言葉には反応を示さず、翔は前方を見て言った。渦潮観光船は福良港の道の駅から乗ることができる。道の駅に車を駐車して、猛暑の中へと降り立った。


「ここ、昔来たことあるよな」


「うん。二回ぐらいね。あの時は散歩がてらに寄っただけだけど」


「高校生だったから、どこ行くにも徒歩かバスだしなー。あんまりいろんな場所にも行けなくて」


「そうそう。結局家と学校の近所で遊んでたよね」


「あれはあれで楽しかったけどな。青春! って感じがして。公園で夜までおしゃべりするのとか、結構好きだった」


 翔と付き合っていた頃の遠い昔の日常が、ぽんぽんと頭に浮かんでくる。この十年間、思い出さないようにと封印してきた記憶なのに、これほどあっさり蘇ってくるなんて。


「さあて、船の方に行こう」


 あの頃と変わらない無邪気な様子で観光船のチケット売り場へと向かう翔。その背中は大きくて、つい昔のように追いかけたくなる。


 だめだ、だめ。変なこと考えないで。私はもう翔の彼女じゃないんだ。

 とっくの昔に擦り切れてしまった関係も想いも、全部なしになっているんじゃないかって錯覚していた。翔は私と別れた後、誰か別の女の子と付き合ったりしたんだろか。ふとそんなことが頭をよぎる。十年もあったのだ。誰とも交際していない方がおかしい、か。


「何してんだ? 早く行こうぜ!」 


 その場に立ち止まったままの私を手招きする翔。私は「うん」と頷いて、彼の後ろをついていった。


「お、ラッキーじゃん。あと十五分後に出発するって」


 チケット売り場で船の出航時間を確認した翔が嬉しそうに頬を綻ばせる。彼の言う通り、もうすぐ出航する船があって安心した。

 チケットを購入して、さっそく渦潮観光船「うしお丸」に乗り込む。十五の時、私が乗った船だ。私は一階の室内の席に座ろうとしたのだが、翔は「デッキに行こうぜ!」と階段を登っていく。彼の勢いに負けて、私もデッキへと上がった。

 デッキにはすでにお客さんが多く乗っていてた。カメラを首から下げている人が多い。私たちは身一つで、太陽の光が燦々と降り注ぐところに降り立った。

 やがてアナウンスが流れ、船は出発した。 


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